世界の都市人口ランキングBEST100(行政単位別・2018年度最新版)

2018年度最新版の世界の都市人口ランキングを100位まで集計しました。


都市圏(市街地の広がり)別ではなく、自治体別のランキングです。

中国、インドのアジアや、アフリカの都市の増加が目立っています。

参考 : 世界都市圏別・人口密度ランキングBEST25(2018年度) / イギリスの都市・人口ランキングTOP10 / フランスの都市・人口ランキングTOP10 / ドイツの都市・人口ランキングTOP10 / イタリアの都市・人口ランキングTOP10 / 中国の都市・人口ランキングTOP50 / アメリカの都市・人口ランキングTOP25オーストラリアの都市・人口ランキングTOP10アフリカ大陸の都市・人口ランキングTOP30インドの都市・人口ランキングTOP15スペインの都市・人口ランキングTOP10韓国の都市・人口ランキングTOP10


1位 上海(中国) 2415万人

*アジア最大

上海

上海市は、中国の直轄市であり中国最大・世界最大の人口を誇る都市。元代に市舶提挙司が置かれ港町として発展し始め、アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により条約港として開港。1920年代から1930年代にかけて、中国最大の都市として発展し、「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれた。中国の共産化後外国資本は香港に逃げたが、1978年の改革開放政策により、再び外国資本が流入して目覚ましい発展を遂げている。





2位 北京(中国) 1861万人

北京

北京市は華北中央に位置する、中国の首都であり直轄市。春秋戦国時代には「薊(けい)」と称し燕の首都となるが、歴史的には常に北方の匈奴などの遊牧民族の侵入による被害を受ける辺境であった。秦漢時代に「北平」、その後「南京」、「中都」などと称され、モンゴル帝国時代に「大都」として中心地となった。明代には南京に首都が移され、当地は再び北平と呼ばれたが、15世紀、北平を拠点とする永楽帝が政権を握ると遷都され「北京」と称された。第二次大戦後一時北平の名に戻るも、共産中国成立後、再び北京に改称され現在に至る。台湾政府は現在も北京の公式名称として北平の名を使う。


3位 ムンバイ(インド) 1839万人

 

ムンバイはインドの西海岸に面する都市。天然の良港であり、国全体の海上貨物の半数以上を担う港湾都市である。ムンバイの歴史は古く紀元前までさかのぼる。1534年にグジャラート・スルターン朝からこの地域を譲り受けたポルトガルが城塞を築き、ポルトガル語で「良港」を意味する「ボンベイ」と呼んだ。1661年にイギリスに委譲。東インド会社の中心港として発展を遂げ、海軍の拠点ともなった。二度の世界大戦後は、コルカタを抜いてインド最大の都市となる。1995年、英語での公式名称がボンベイから、現地語(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更された。


4位 デリー(インド) 1634万人

デリー連邦直轄地は、インドの首都特別地域であり、同国の商業・工業・政治の中心地。12世紀、チャウハーン朝のプリトヴィーラージ3世によってこの地に最初に都市が作られ、以降断続的に各王朝の首都が置かれる。ムガル帝国滅亡後、英領インドの首都はコルカタに移されるも、ベンガル分割令によるコルカタの不安定化により、1911年、英国はデリーに再び遷都。この際、デリー南部にニューデリーが建設され、連邦の首都機能が集約された。これにより旧来のデリーはオールドデリーと呼ばれる。





5位 カラチ(パキスタン) 1491万人

カラチはアラビア海沿岸にあるパキスタン最大の都市であり、同国の国内総生産の大部分を占める商業・金融の中心地。バローチ人が作った漁村で今もその子孫が住む。8世紀にはアラブ人の間で「デバル」と呼ばれた港町であったが、19世紀から始まるイギリス植民地時代に、その地政学的重要性から植民地支配の拠点として都市および港湾が整備されたことにより現在の姿に発展した。一方で治安、テロ問題が深刻である。パキスタン独立後はラーワルピンディーに遷都するまで、10年ほど首都でもあった。


6位 イスタンブール(トルコ) 1464万人

*中東最大

イスタンブール

イスタンブールはトルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地である。2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもある。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1はアジア側に居住している。サライブルヌの岬に紀元前660年にビュザンティオンとして創建され、330年にコンスタンティノープルとして再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国 (330-395)、ビザンティン (395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国 (1204-1261)、オスマン帝国 (1453-1922) と4つの帝国の首都であった。ローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要であったが、オスマン帝国成立後はイスラム教の中心地へと変わった。第一次大戦後の欧米の占領から独立したトルコ共和国成立後、オスマンの歴史を拭い去るためトルコの首都はアンカラに移された。


7位 コルカタ(インド) 1405万人

コルカタ

コルカタはインド東部に位置する西ベンガル州の州都。1690年にイギリス東インド会社がこの地に商館を開設したことにはじまる。英国の帝国主義政策における主要な拠点となり、英領インド時代の前半は植民地政府の首都機能を有していた。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の分離を命じるベンガル分割令によりコルカタが不安定化したため、首都はデリーに移る。さらにインド独立後宗教対立は先鋭化し、大きな後背地であったイスラム教地域の東パキスタン(現バングラデシュ)が分離独立したことにより経済的に打撃を受ける。都市圏人口でもボンベイやデリーに抜かれるなど、インド国内での地位は低下しつつある。かつて英語圏では英語化された音で「カルカッタ」と呼ばれた。





8位 ラゴス(ナイジェリア) 1312万人

*アフリカ最大

ラゴス

ラゴスは、ナイジェリアの南西端のベニン湾岸に位置する同国最大の大都市・港湾都市。16世紀にポルトガル人によって建設され、後イギリスの植民地に。「奴隷海岸」と呼ばれ、1851年まで奴隷貿易の一大中心地となった。19世紀より保護領の行政府が置かれ、ナイジェリア独立後は首都となる。1976年に国内の南北対立を解消するため、国中央に位置するアブジャに遷都される。1970年代の石油産業にけん引された好景気により高層ビルが多数建設されが、一方で大規模なスラム街が広がり、犯罪、エイズ感染、格差、交通渋滞など、多くの深刻な都市問題を抱える。「ラゴス」とはポルトガル語で「ラグーン」の意味である。


9位 モスクワ(ロシア) 1222万人

*ヨーロッパ最大

モスクワ

モスクワは、ロシア連邦の首都。ヨーロッパで最も人口の多い都市である。1156年に砦が築かれて以降、徐々に小都市化していった。元により灰燼に帰されるも、1271年、この地にモスクワ公国が成立。1480年にはイヴァン3世が、拡大したモスクワ大公国をハン国の占領下から独立させ「タタールのくびき」終わらせると、ロシア最大勢力の都に成長した。クレムリンは壮麗となり、赤の広場もこの時代に作られた。ロマノフ朝時代にサンクトペテルブルクに首都を譲るも、スラヴ文化の中心地として発展を遂げ、ソビエトによって1918年に首都機能が移転されるとソ連崩壊後も引き継がれた。


10位 広州(中国) 1208万人

広州

北京、上海と並ぶ中国三大都市の一つであり、華南の中心都市。秦代にこの地に南海郡番禺県が設置されたのが始まりである。唐代には市舶司が置かれるなど、古代から中国の南海貿易の中心地である国際都市として発展し、南漢の首都ともなった。海禁政策を取った明代も広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、清代半ばの1757年からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と広東貿易が行われた。阿片戦争中の1841年には一時イギリス軍に占領される。中華人民共和国成立後も香港に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、1979年、鄧小平が対外経済開放政策を取ると、深圳・珠海の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。





11位 天津(中国) 1208万人

天津

天津は、華北海河の五大支流の合流する所に位置する、中国の4つの直轄市の一つであり、華北最大の対外開放港である。隋代に京杭大運河が開削されると物流・軍事の一大拠点となった。1858年、アロー戦争で英仏連合軍に敗北すると天津は開港され、以後首都・北京の外港として急速な発展を遂げた。中華民国時代の1927年に天津市に昇格、日本軍撤退後は1947年まで米軍基地があった。1949年に直轄市に指定され、中国の工業及び貿易の拠点として現在に至っている。


12位 サンパウロ(ブラジル) 1199万人

*南米最大

サンパウロ

サンパウロは、ブラジル南東部に位置する南半球最大のメガシティである。サンパウロの起源は、インディオに対する布教のため、イエズス会宣教師団の一人ジョゼ・デ・アンシエタが1554年に創設した宣教村である。17世紀のポルトガルの奥地探検隊・バンデイランテスの拠点となることで発展をはじめ、19世紀、コーヒー栽培の広まりにより街は急速に拡大。欧州から労働者が流入し、国際化が進んだ。コーヒーブーム終息後も人口増加は進み、1960年代にはリオデジャネイロを抜いてブラジル最大の都市となった。


13位 深圳(中国) 1190万人

深圳

香港と接する経済特区であり、一大金融センター。1970年代まで宝安県という一集落に過ぎなかったが、イギリスの植民地であった香港と隣接する地理的重要性から1979年、省轄市として「深圳市」に昇格され、1980年には改革開放路線を採用した鄧小平の指示により深圳経済特区に指定されると急速に発展。わずか30年で人口は1000万人増加した。都市拡大の過程で外部より労働人口が流入して都市が形成され、広東省でありながら広東語が使われる比率が極めて低い地域である。深圳市にはスタートアップ企業が数多く存在し、「中国のシリコンバレー」とも呼ばれている。





14位 ラホール(パキスタン) 1112万人

ラホール

パキスタン北東部、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市。ムガル帝国の首都だったこともあり、数多くの文化遺産が残されている。11世紀にガズニ朝の首都。しかし西南アジアとインドを結ぶ交通路の要衝であったため、各王朝に幾度となく侵略・破壊される。ムガル帝国時代には、皇族の居所となって最盛期を迎え、多数の壮麗な建造物で飾られた。ムガル帝国衰退後のシク王国領時代にはその王都となり、イギリスから独立後の1955-59年には首都。イギリス領時代に作られた同国で最古・最大のパンジャブ大学やラホール博物館をはじめ、文化教育機関が集中。インド、カシミールに近いことから、同国最大の軍事基地がおかれている。


15位 キンシャサ(コンゴ民主) 1012万人

キンシャサ

キンシャサはコンゴ民主共和国の首都。コンゴ川下流に位置する内陸河川交通の要衝。19世紀にはここにキンシャサとキンタンボという名前の2つのコンゴ人の村落があった。19世紀末に鉄道が整備されると、大型船が航行できる地域として海に近いキンシャサは、内陸部の物資を船で集め鉄道で海まで運ぶ結節点として繁栄した。1926年、ベルギーによりレオポルドヴィルとして植民地の首都になる。1960年のコンゴ独立の後は幾度となく内戦の舞台となるが、その間に労働者が殺到し人口が急増。1966年、文化のアフリカ化政策の一環でキンシャサと改名。21世紀に入り政情が以前に比べればやや安定したことを受けて、欧米や中国の鉱山会社が資源を求めてコンゴへ進出しキンシャサは栄えるが、一方で貧富の格差や非常に高い犯罪率が問題となっている。コンゴ川をはさんだ対岸にはコンゴ共和国の首都ブラザヴィルが位置するが、隣り合っている都市が両方とも共国家の首都というのは世界中でここだけである。


16位 リマ(ペルー) 988万人

リマ

太平洋に面するペルー共和国の首都。同国の工業生産の60%、商業の80%が集中している。先コロンブス期には既にこの地にアメリカンインディアンのグループが居住していたと考えられる。インカ時代に入ると巨大な太陽神殿や月の館が建設され、宗教的な中心地となった。1535年にインカ帝国を征服したスペイン人のコンキスタドール、フランシスコ・ピサロによって都市が築かれる。16世紀から17世紀を通して、リマはスペインによる南米植民地支配の拠点として、ポトシ銀山の銀がヨーロッパに輸出されるための中継地点として栄えた。ペルー独立後の1872年、都市計画のためにリマの城壁が破壊される。19世紀の半ばから末にかけ、ヨーロッパや清、日本からの移民がペルーに多くやってきた。19世紀末には一時チリに占領される。第二次大戦後、人口の流入が続き、1940年からの40年間で人口は11倍も増加している。





17位 ソウル(韓国) 980万人

ソウル

ソウル特別市は、大韓民国の首都。古くは百済の都・漢城。新羅時代は漢(漢江)の北側を意味する「漢陽」と呼ばれ、高麗初期には市域の北部は「楊州」、南部は「広州」、文宗の代には副都を意味する「南京」と称された。しかしいかなる表記であろうと朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われている。盆地構造であり、外敵からの攻撃を妨ぎやすい地形であることもこの地が古くから発展した理由の一つである。再び名前は漢陽に戻るも、高麗の李成桂が政権を奪取し、1394年に開京(現・開城)からこの地に遷都すると漢陽府は「漢城府」に改称され、これ以後、漢城は500年に渡って朝鮮王朝の都となる。日本統治時代は京城府と呼ばれる。朝鮮戦争の際は市内は破壊され、釜山が臨時首都となった。休戦後、ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、1975年の680万人から1990年には1061万人にまで到達した。ソウル都市圏には韓国全国民のおよそ半分が在住するなど一極集中の傾向が見られ、世界屈指の規模の大都市圏を形成している。


18位 ジャカルタ(インドネシア) 960万人

ジャカルタ特別市は、インドネシアの首都。16世紀初めまで、西ジャワのパジャジャラン王国の港町「スンダ・クラパ」として、中国との朝貢貿易や中継貿易の港町として発展した。16世紀、ジャヤカルタと改名。16世紀末にオランダが占領し、バタヴィアと改称。蘭領東インド国家の中心都市として発展した。1811年にはイギリスがバタヴィアを占領し、英東インド会社のラッフルズが副総督としてこの地を統治。1817年再びオランダへと返還。日本占領時代に「ジャカルタ」と改称し、現在に続く。戦後みたびオランダに占領されるも、独立後ジャカルタはインドネシア共和国の首都となった。経済発展著しいが、現在でも交通や住宅などインフラ設備が整うには程遠く、深刻な都市問題を抱える。


19位 東京(日本) 927万人

東京

東京は日本の首都。平安時代後期に武蔵七党と総称される在地武士団が興り、12世紀には豊島郡江戸郷の名が見え、この地を本拠とする江戸氏も興った。これ以後、当地は江戸と呼ばれるようになる。鎌倉時代には多摩地方に北関東から鎌倉へ至る鎌倉街道が整備される。戦国時代には太田氏が台頭し、太田道灌が江戸城を築いた。太田道灌暗殺後は小田原城を拠点とする後北条氏の領国となる。後北条氏の滅亡後、豊臣政権下おいて徳川家康が関東地方へ領地替えとなり、駿府城から江戸城に入った。江戸幕府開府後は、首都は京都でありながら、幕府の所在する江戸が実質的に日本の行政の中心地となり、18世紀初頭には人口100万人を超える世界有数の大都市となった。大政奉還後、「東京」と改称。1923年、関東大震災に襲われ、一時大阪市の人口が東京市を上回る。第二次大戦中の1943年、東京市と東京府が廃止され、東京都が設置された。1945年3月の東京大空襲でも市街地の多くが焼け野原と化した。戦後、高度経済成長期を通じ著しい復興を遂げ、人口では中国珠江デルタに次ぐ世界第2位、経済では世界最大の都市圏を形成する。





20位 カイロ(エジプト) 915万人

カイロ

エジプトの首都。アフリカ、アラブ世界で最も人口の多い都市。エジプトはナイル河谷地方の上エジプトとデルタ地方の下エジプトとに古代エジプト以来2分されているが、その両者の接点にカイロは位置する。ナイル川下流河畔の交通の要衝として、中世に建設されてより現在にいたるまで、イスラム世界の学術・文化・経済の中心都市である。それまでは未開の地であったが、イスラム帝国が7世紀にエジプトを征服以来のエジプトの首府となった。ファーティマ朝時代に商業都市としても発展を始める。その後、オスマンやナポレオンの侵攻を受け政治の中心から退くも、半独立を果たしたムハンマド・アリー朝のもとで再びカイロは政治の中心となり、都市の近代化が進められた。しかしこれらの近代化政策は財政を破綻させ、エジプトはイギリスの保護領となるが、1922年には独立を果たしカイロは再び首都となった。イギリスの実効支配を脱したエジプト革命後都市は急拡大を続け、その人口は1907年に95万人だったものが、1988年には1200万人に達している。


21位 ロンドン(イギリス) 886万人

ロンドン

ロンドンは、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国、およびこれを構成するイングランドの首都。テムズ川河畔に位置し、2,000年前のローマ帝国による「ロンディニウム」が都市の起源である。ロンディニウム当時の街の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドン(シティ)に当たる地域にあった。シティの市街壁内の面積は約1平方マイルあり、中世以来その範囲はほぼ変わっていない。ロンドンは市街地の大部分は、市域が合体したコナベーションにより形成されている。シティ・オブ・ロンドンとシティ・オブ・ウェストミンスターに31のロンドン特別区を合わせた大ロンドンを一般的に「ロンドン」と呼ぶ。大ロンドンの市長の他に、シティ・オブ・ロンドンの市長も存在する。屈指の世界都市として、芸術、商業、教育、娯楽、ファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力があり、ニューヨークと並び世界をリードする金融センターでもある。


ナショナル ジオグラフィック日本版 2019年4月号「世界の都市」<特製付録付き>


22位 テヘラン(イラン) 869万人

テヘラン

イランの首都で同国最大の都市イランの文化的、宗教的中心。イスラム教のモスクのみならず、キリスト教の教会やユダヤ教のシナゴーグも各所にみられる。住民の大多数はシーア派イスラム教徒。イラン高原の北西部、標高1200 mほどの地点にある。紀元前6000年の住居跡が見つかっているが、9世紀ごろまで近郊のレイがこの地域の首邑であり、テヘランは小村であった。1220年、レイがモンゴル帝国に襲撃され破壊されるとレイの人々がテヘランに避難し、都市としての歴史が始まった。テヘランがイランの首都になったのは1795年、ガージャール朝のアーガー・モハンマド・シャーがこの地で戴冠したときである。イランでは王朝の交代とともに遷都が行われるのが常であったが、以来今日までテヘランは首都として続く。第二次大戦中、親ナチス路線を取っていたため、イギリス、ソ連両軍の侵略を受ける。戦後、城壁を撤廃し急速に発展するが、イラン革命後のイラン・イラク戦争ではスカッドミサイルの標的となるなど、度重なる空襲で甚大な被害を受けた。対米穏健派のロウハニ大統領就任後は、街の欧米化が進んでいる。


23位 チェンナイ(インド) 865万人

チェンナイ

チェンナイは、南インドの東側ベンガル湾に面する。古く1世紀頃から都市として存在していたが、1522年ポルトガルがこの地の近くに要塞を建設し、イエスの使徒の一人聖トマスに因んで、「サン・トメ要塞」と名付けられたが、現地ではヴィジャヤナガル王国の英雄にちなんで「チェンナイ」と呼ばれていた。17世紀、イギリス東インド会社が土地を取得し、セント・ジョージ要塞を建設。チェンナイから「マドラス」と改名した。そして、この要塞を中心に、徐々に市街地が広がっていくことになった。1996年、都市名のマドラスは植民地支配に由来する名前であるとして、かつての「チェンナイ」の名に改められた。自動車産業、情報技術産業、ビジネス・プロセス・アウトソーシング業が盛んであり、「南インドの玄関口」、「南アジアのデトロイト」、「インドの健康首都」、「インド銀行業の首都」などの異名を持つ。




24位 武漢(中国) 858万人

武漢

華中地域ないし長江中流流域全域の中心都市。「百湖の市」とも呼ばれ、市内に数多くの湖があり、水域面積は全市面積の約4分の1を占める。3800年の歴史をもつ国家歴史文化名城であり、上海、重慶とならび長江流域3大コア都市の1つ。武漢が正式に一行政単位になるのは前漢時代。1858年の天津条約により開港される。1992年に対外開放都市に指定され、翌年、武漢経済技術開発区が正式に発足すると、多額の外国投資が導入された。


25位 メキシコシティ(メキシコ) 855万人

*北米最大

メキシコシティ

メキシコ最大の都市。もともとは13世紀にアステカ王国の首都として作られた、当時世界有数の人口を誇ったテノチティトランである。干拓によってテスココ湖の中に都市が築かれたが、1519年にスペインによって征服されるとそれまでの都市は破壊され、そこから切り出された石材で現在のスペイン風の都市が築かれた。その後テスココ湖のさらなる干拓が行われ、湖はメキシコシティの東部にのみ残ることとなった。1821年、メキシコ独立に伴い、メキシコシティはメキシコ合衆国の首都となる。1847年にはアメリカ、1863年にはフランスによって占領されるも、1867年に共和派が再びメキシコシティを回復した。1873年にはメキシコ初の鉄道がメキシコシティとベラクルスの間に開通すると近代化が進展。政情が安定した第二次大戦後に急成長。1968年にはオリンピック、1970年にはFIFAワールドカップが開催された。現在は都市圏が世界第12位の人口を持つ、ラテンアメリカを代表する世界都市に成長した。


26位 ニューヨーク(アメリカ) 853万人

ニューヨーク

ロンドンと並ぶ世界トップクラスの世界都市、金融センターであり、世界の商業、文化、ファッション、エンターテインメントなどに多大な影響を及ぼしている。1524年、フランスによって発見され、1624年にオランダによって「ニューアムステルダム」として町が築かれる。1664年にイギリス人の支配が始まり、現在の名称となった。1785年から1790年まではアメリカ合衆国の首都。イギリス帝国の支配の下、貿易港としての重要性を増し、1790年にはフィラデルフィアを抜いてアメリカ最大の都市へと成長した。20世紀に入り、急激な経済成長に伴い超高層ビルが競うように建てられ、1920年代初頭、ニューヨークはロンドンを抜いて世界で最大の人口を擁する都市となった。またニューヨーク都市圏の人口は1930年初頭に1000万人を超え、人類史上最初のメガシティとなった。人種の多様性も著しく、市内では170近くの言語が話され、人口の36%がアメリカ国外で生まれた人である。




27位 バンガロール(インド) 852万人

バンガロール

デカン高原の南、マイソール高原の上に位置し、標高は920m。インド第3の人口を持つ都市である。1537年、ヴィジャヤナガル王国の配下の領主、ケンペ・ガウダ1世が泥で市城を築いたことで歴史がはじまる。後にマイソール王国の一部となり、後には同国の首都として繁栄した。イギリスによるインド帝国建国後、バンガロールは南インドの植民地支配の中心地となった。高原にあるためインドの他都市と比較すると気候は穏やかで涼しい。インド独立後は国営の重工業、航空産業、宇宙産業、防衛産業の工場群が置かれ、近年ではハイテク産業が発達。インドのIT産業を成長させる原動力になり、「インドのシリコンバレー」と呼ばれる。高い教育水準を誇る大学群と研究所群の所在地だが、大気汚染、交通渋滞、犯罪、スラムなどの問題も存在する。2005年、カルナータカ州政府は都市の名をカンナダ語での名称に合わせた「ベンガルール」に改名した。


28位 ボゴダ(コロンビア) 806万人

ボゴダ

コロンビアの首都。アンデス山脈の盆地、標高2640メートルに位置しており、南アメリカ大陸でもラパスとキトに次いで3番目に標高の高い首都である。1991年に名称が「サンタ・フェ・デ・ボゴタ」に変わったが、再び現在の名称に戻る。この地域ではムイスカ族が大規模な首長制社会を形成していたが1538年、ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダ率いる探検隊がたどりつき、植民都市サンタ・フェ・デ・ボゴタを建設した。1717年にスペインがヌエバ・グラナダ副王領が創設すると、ボゴタはその首府となる。スペインからの再独立後、市名をボゴタへ変更。1920年代に入ると工業が興り、次第に大都市として発展していった。戦後コロンビア内戦の舞台となるも1980年代以降、急激な経済成長と、麻薬カルテルの抗争から逃れた国内難民などで急速に人口が増加した。1990年代に世界で最も暴力的な都市であるとされ犯罪率の非常に高い都市であったが、その撲滅を目指しており、犯罪率は急減を続けている。


29位 成都(中国) 779万人

成都

中国四川省の省都であり、副省級市。豊かな成都平原の中にあり、古くから『天府の国』と呼ばれた。三国時代に蜀の都となったほか、4世紀初頭、巴氐の李特が建てた成漢の主府となった。五代十国時代には前蜀、後蜀の都となる。 唐代には水運が開け、成都では隋末の戦乱もなかったため発展した。 宋代に商業が発展し、以後西南中国の中心地となる。明代には四川布政使が駐在し、農民反乱軍の首領で大西皇帝を称した張献忠の拠点となったが、張献忠による人口の9割を超えるほどの殺戮と、清初期の抵抗運動や軍の反乱などにより、清前半までは荒廃が続いた。以後、100年をかけ湖北省・湖南省・広東省から移民を入れ復興を果たす。成都は歴史的遺産が豊富で、1982年には国家歴史文化名城に指定されている。また2000年に始まった西部大開発の拠点都市として経済も活性化している。





30位 ルアンダ(アンゴラ) 777万人

ルアンダ

アフリカ南西部、太平洋に面するアンゴラの首都。天然の良港であり、コーヒーやダイヤモンドを輸出する。もともとは16世紀、ポルトガルによって造られた植民都市。その後オランダ西インド会社、ブラジル植民地軍によって支配される。そのことからブラジルとルアンダの結びつきは強く、19世紀、ブラジルがポルトガルから独立した際にはブラジル領に組み込まれる動きもあった。1961年アンゴラがポルトガルから独立すると、独立運動を支援したキューバ人が多く住むようになった。内戦終了後、豊富な天然鉱物があるアンゴラの首都であるルアンダは急成長。世界中から投資があつまり、とある調査で海外駐在員にとって世界で最も生活費の高い都市にランクされたこともある。





 

次ベージ : 31位から60位まで

 



 
参考 : 世界都市圏別・人口密度ランキングBEST25(2018年度) / イギリスの都市・人口ランキングTOP10 / フランスの都市・人口ランキングTOP10 / ドイツの都市・人口ランキングTOP10 / イタリアの都市・人口ランキングTOP10 / 中国の都市・人口ランキングTOP50 / アメリカの都市・人口ランキングTOP25オーストラリアの都市・人口ランキングTOP10アフリカ大陸の都市・人口ランキングTOP30インドの都市・人口ランキングTOP15スペインの都市・人口ランキングTOP10韓国の都市・人口ランキングTOP10
 





 

1 2 3 4

シェアする