中国の遷都
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大都(北京) (元)
1264年-1368年
モンゴルが金を滅ぼし、華北を統一。のち臨安を占領して南総を滅ぼし、開閉府(内モンゴル・ドロン)を夏の首都、現在の北京を冬の首都とし、計画都市「大都」を造る。
南京 (明)
1368年-1420年
明の洪武帝が異常気象による飢饉によって国力が弱っていた元の大都を占領。中国を統一し、都を南京に移す。当地は2度目の首都となる。
北京 (明)
1420年-1644年
経済や人材の中心が、江南地方に偏りすぎているという南北格差が問題となり、また北方のモンゴル勢力からの防衛の観点から、明の洪武帝は華北優遇政策をとるようになる。北平出身の永楽帝が皇位につくと、南京から北平に遷都し、元が造った大都よりも少し南に首都を建設し、「北京」とした。南京にも北京に準じる中央完成を残し、北京と南京は、明の南北の核となった。
盛京(瀋陽) (清)
1636年-1644年
満州人による国家・清は、盛京を首都とした。明を滅ぼした後の中国統一後は北京に遷都するが、清朝発祥の地である東北地方を特別行政区とし、盛京は副都となった。
北京 (清→中華民国)
1644年-1928年
中国を統一した清は、明代までの首都・北京に遷都する。辛亥革命ののち中華民国成立後も引き続き北京が首都となった。
南京 (中華民国)
1928年-1937年
国共内戦時、国民党が中央政府となった際、彼らの拠点であった南京が首都となる。
武漢 (中華民国)
1937年
日中戦争が始まり、南京事変によって日本軍に南京が占領されたため、国民政府は重慶へと移転を決定するが、重慶にその準備が整っていなかったため、臨時で武漢が首都となる。
重慶 (中華民国)
1937年-1945年
武漢に遷都した1年後、国民政府は予定通り重慶へと遷都する。
南京 (中華民国)
1945年-1949年
太平洋戦争が終結し日本が引き上げた後、国民党が半ば強引に主導権を握る。首都も南京に戻った。
広州 (中華民国)
1949年
国共内戦の劣勢を受け、国民党政府は広州に遷都する。
重慶 (中華民国)
1949年
広州も陥落し、国民党は成都を経て重慶に逃れる。
台北 (中華民国)
1949年-
台湾島に逃れた国民党は公式な首都は南京のまま、台北を臨時首都とし、現在に至る。
北京 (中華人民共和国)
1949年-
国共内戦に勝利した共産党は、1949年、北京を首都とし現在に至る。
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