ドイツの都市・人口ランキングTOP10

ドイツの都市別人口ランキングをまとめてみました。大都市ベルリンのほかに、分権化された中堅の地方都市が多く存在します。ランキングに登場する都市はベルリン、ライプツィヒ以外はすべて(西ベルリンも含めて)旧西ドイツの都市です。


ドイツ連邦共和国 : 8280万人

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1位 ベルリン 361万人

ベルリン

ドイツ北東部に位置する同国の首都。ベルリンが最初に文書に現れたのは13世紀。プロイセン王国(1701-1918)やドイツ帝国(1871-1918)、ヴァイマル共和政(1919-1933)、ナチス・ドイツ(1933-1945)の首都であった。 1920年に「大ベルリン」が成立し、市域は現在とほぼ同じ領域に拡大。1920年代には世界で3番目に大きな都市であった。第二次世界大戦後、ベルリンは東ドイツの首都である「東ベルリン」と、東ドイツ内にある西ドイツの飛び地として、周辺をベルリンの壁(1961年完成)で囲まれた西ドイツ領「西ベルリン」に分断された。西ドイツは首都をボンに置き、西ドイツ本土と西ベルリンは空路または直通専用道路で結ばれた。1989年ベルリンの壁が崩壊し、1990年にドイツが再統一を果たすと1991年、ベルリンは再び首都としての地位を取り戻す。以降、東西に分断されていた交通網を東西で直結する工事が行われ、旧東ベルリン地区を中心に再開発が進行した。またボンから首都機能の移転も漸次進められ、作業は2001年に完了した。地方分権の歴史が長いドイツでは、司法の中心地はカールスルーエ、金融と交通の中心地はフランクフルトなどに分かれており、EU二番目(イギリスEU離脱後は第一)の人口を擁する大都市でありながら、都市域の経済規模はロンドンやパリの6分の1程度と大きくない。しかし多様な建築、現代芸術、世界で最も居住に適した都市の一つであるなど、文化面で欧州をリードしている。






2位 ハンブルク 183万人

ドイツ北部に位置する特別市。国際海洋法裁判所の所在地。9世紀、カール大帝によって前哨基地ハンマブルクの城塞が築かれ、都市の基礎が築かれた。デーン人やスラブ人の襲撃に耐え12世紀、神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世から船舶航行の特許状をうけると、交易都市としての発展した。13世紀、リューベック、ブレーメンと結んだ防衛同盟が「ハンザ同盟」成立へと繋がり、自由都市の特権と自治権を維持した。16世紀にはハンブルク証券取引所が設立。1529年には宗教改革をうけ入れており、現在もプロテスタントが多い都市である。1815年にドイツ連邦に加盟。1871年のドイツ帝国成立の際はどこの州にも属さず独立を維持した。1918年ドイツ帝国崩壊の際には、短期間ではあるが社会主義の「レーテ共和国」が樹立されている。現在も「自由ハンザ都市」として自由都市の気風を残す。ちなみに「ハンバーグ」の語源はハンブルクの労働者の食事として流行っていたタルタルステーキから由来するものである。


3位 ミュンヘン 145万人

ドイツ南部に位置する。ミュンヘンの有史への登場は12世紀。バイエルン公ハインリヒ獅子公が塩の交易路として都市を発展させ、その後12世紀から20世紀までウィッテルスバハ家がミュンヘンを支配した。14世紀、ルートヴィヒ4世により塩の専売地位が与えられる。15世紀後半、ゴシック芸術が復活して旧市庁舎が拡張され、ミュンヘン最大のゴシック建築であるミュンヘン聖母教会も完成した。1506年、2つに分かれていたバイエルン公国が統合されるとミュンヘンはその首都となり、ルネサンス芸術の中心として繁栄した。その後バイエルン王国でも首都。第二次大戦で市街は大きな被害を受けるも戦前の道路網などは保たれ、戦後街は急速に発展した。1972年、ミュンヘンオリンピックが開催される。近年では世界で最も居住に適した都市としての評価が高い。


4位 ケルン 108万人

ドイツ西部に位置する。紀元50年、ローマの植民地 (コロニア)として支配を受け、都市名「ケルン」の語源となる。10世紀から15世紀のかけて、東西ヨーロッパを結ぶ重要な交易路の一つとして繁栄した。4世紀にはキリスト教が伝播すると8世紀末には大司教座が置かれたが、13世紀にハンザ同盟の一員となり世俗都市となると司教座は街から出ていった。16世紀、同盟の衰退や宗教戦争とともに経済活動も沈滞。18世紀末には一時フランスに占領されるも、すぐにプロイセンに復帰した。その後は鉄道網を活かし、工業都市として発展。ゴシック・リバイバルに伴い、19世紀末にケルン大聖堂が完成した。第一次大戦では一時イギリスに占領され、第二次大戦では市街の9割が消失する大惨事を経験するも、ケルン大聖堂は戦火を免れた。戦後交通の要衝として発展を遂げている。


5位 フランクフルト 74万人

正式名称は「フランク人の徒渉(川を渡る)地」を意味する「フランクフルト・アム・マイン」。ドイツ中部、マイン川下流の両岸に位置し、市域の約1/3が緑地帯景観保護地域に指定されている。8世紀にカール大帝の書簡にて有史に登場。9世紀以降、東フランク王国の王の居城・帝国会議の開催地となり、14世紀よりローマ王の選挙・皇帝戴冠式の地となった。1806年の神聖ローマ帝国崩壊後、フランスと同盟した「ライン同盟」内に組み込まれる。1810年には短期間ではあるが「フランクフルト大公国」が創設されている。ナポレオン戦争後のウィーン会議によりドイツ連邦の自由都市の一つとなった。第二次大戦では市域の70%が破壊され、中世の町並みはほとんど失われてしまった。ロスチャイルド家を生んだ伝統を受け、現在もドイツ金融の中心地としてヨーロッパではめずらしく高層ビルが立ち並ぶ。証券・商品取引所があり、1998年には欧州中央銀行の所在地ともなった。見本市のメッカとしても有名であり、またフランクフルト空港は欧州航空路の要衝の一つでもある。






6位 シュトゥットガルト 63万人

ドイツ南部西に位置する。13世紀に都市となり、15世紀なかばにはウュルテンベルク伯の居住地として栄えたが、17世紀の三十年戦争で荒廃した。19世紀にヴュルテンベルク王国の都となり、19世紀後半より街の工業化が進んだ。第二次世界大戦後は2年ほどアメリカ占領地区となり、その後はアメリカ欧州軍の司令部が置かれている。室内管弦楽団や州立歌劇場、バレエ団を擁するなど美術館や音楽施設が充実した芸術都市としての性格も持つ。


7位 デュッセルドルフ 61万人

ドイツ中部西、ライン川下流右岸に位置する。デュッセルドルフの街の記録が残るのは12世紀から。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の下、当地は要塞化された。13世紀に都市権を得る。都市成立以来、近隣のケルンとはライバル関係にある。19世紀のナポレオン戦争後、ナポレオンによって「ベルク大公国」が設けられ、デュッセルドルフが首都となった。都市改造がなされ、デュッセルドルフは「小パリ」ともいわれた。第二次大戦時は連合軍の爆撃の標的になったが、戦後急速に復興し海外企業が多く支社を構える。日本企業の進出も盛んで、デュッセルドルフ市内にはドイツ最大となる約5,000人の日本人の駐在員やその家族などが居住し、日本総領事館などのあるインマーマン通りは日本人街の様相を呈している。数々の芸術家を輩出するなど芸術都市として知られ、近年ではドイツ国内でももっとも住みやすい都市の一つとして評価も高い。


8位 ドルトムント 58万人

ドイツ中部西に位置する。ルール工業地帯の代表都市。9世紀頃から東西の主要通商道路沿線の都市として発展すると、13世紀に帝国直轄都市となり、その後ハンザ同盟に加わり商業都市として栄えた。ナポレオン戦争後の1803年に自由都市の地位を失い、プロイセン王国に組み込まれた。 19世紀、産業革命が進展すると工業都市の一つとして繁栄。戦後は「鉄と石炭の町」としてドイツの復興に貢献した。エネルギー革命によって炭坑はすべて廃止され、2つの大製鉄所も生産を停止した今日、ドルトムントはハイテク産業の街として再建を目指しており、1984年にドルトムント大学の近くにドイツ初のテクノパークが建設されている。


9位 エッセン 58万人

ドイツ中部西に位置する、ルール工業地帯の中心都市。市の北部に工業地域が集中し,南部は森林と公園が広がる。9世紀、ルール川の近くに成立し、14世紀にハンザ同盟に加入。19世紀、炭田が開発され、鉄鋼業が興ると街も発展。第二次世界大戦では市街地は壊滅的な被害を受けるも、戦後急速に復興した。ルール工業地帯の中心都市として繁栄したが、産業構造の転換とともに都市は衰退しつつある。市北部の「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群(第12立坑、コークス工場などの鉱業関連建造物群)」がユネスコ世界遺産に登録され、全盛期の姿を今に伝える。






10位 ライプツィヒ 58万人

ベルリンの南西、ワイセエルスター、プライセ、パルテの3河川の合流点付近に位置する。7世紀、スラブ人の集落として興ると、その後ヨーロッパ大陸を縦横に貫く2つの通商街道の交差点に位置する町として、神聖ローマ帝国有数の商都へと発展した。12世紀に都市権を得る。16世紀にはルターによる「ライプツィヒ討論」の地ともなり、街はプロテスタント化した。ナポレオン戦争では激戦の地ともなった。戦後、19世紀のライプツィヒはウィーン、パリと共にヨーロッパを代表する音楽の都として名を馳せ、メンデルスゾーンやシューマンらが活躍した。戦後の社会主義化後は、東ドイツの主要工業地域を形成。1989年には東ドイツ崩壊のきっかけとなった「月曜デモ」がおきた。中世よりドイツ最大のものとして知られたメッセ(見本市)が盛ん。世界初の日刊紙が発行されたり、ライプニッツ、ゲーテ、R.ワーグナーなどを輩出した(1409年創立の)ドイツ国内で二番目に古いライプチヒ大学があるなど、かつて「小パリ」と称された文化都市である。





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