イタリアの都市・人口ランキングTOP10

イタリアの都市の人口ランキングです。


イタリア共和国 人口 : 6031万 (2020年)

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1位 ローマ 283万人

伊:Roma/英:Rome。イタリア中部に位置する同国の首都であり、人口も面積もイタリア最大の都市である。紀元前9世紀ごろからテベレ川河畔に北方の民族が定住し、前8世紀頃、ローマを建国した伝説上の人物・ロームルスが城壁を作ったと言われる。前6世紀から前1世紀まで共和制ローマ、1世以降帝政ローマの首都。皇帝アウグストゥスの時代には人口100万人を擁する世界最大の都市となった。しかし3世紀以降、西ゴートや東ゴートの支配に下ると政治的重要性を失い衰退。その後ローマは教皇の所在地以上の重要性を持ち得ず、教皇がアビニョン捕囚でローマを出た14世紀には人口はわずか3万あまりにまで減少した。その後教皇が帰還しローマ教皇領の首都に復帰すると、15世紀以降ルネサンス文化の中心地の一つとなり繁栄した。1861年にサボイア王家のもと統一イタリア王国が成立すると、1871年にはローマ教皇領も併合され、ローマはフィレンツェに代わりイタリア王国の首都となった。当時も人口20万足らずの都市だったが以後大きく発展を遂げる。1929年にイタリア国王とローマ教皇が和解し、ローマ市に囲まれるように教皇の居住するバチカン市国が作られた。第二次大戦中に一時首都の座を退くも、戦後イタリア共和国でも首都。ヨーロッパ随一の観光都市だが、公共サービスの停滞やインフラの老朽化が深刻化している。






2位 ミラノ 139万人

伊:Milano/英:Milan。イタリアで最大の都市圏人口を擁する北部の都市。紀元前600年にケルト人の町として始まり、ラテン語で「平原の真ん中」を意味する「メディオラヌム」と呼ばれていた。前3世紀、ローマ帝国の支配に下り繁栄。4世紀、コンスタンティヌス1世がミラノで発した「ミラノ勅令」によって、ローマ帝国で初めてキリスト教が公認される。4世紀、西ローマ帝国の首都となるも5世紀以降異民族の侵入に悩まされる。13世紀、都市貴族ヴィスコンティ家がミラノ公国を成立させ、その首都となる。14世紀、街の中心にミラノ大聖堂の建設が始まり(完成は19世紀)、15世紀には公位を継いだスフォルツァ家による芸術や学問の保護の下ルネッサンスの中心地となり、ダ・ヴィンチらが活躍した。しかしその後スフォルツァ家がフランス、スイス、オーストリアの傀儡となると、16世紀に公国は消滅。16世紀中頃以降スペイン、オーストリア、フランスの支配を経て19世紀、イタリア王国に統一された。第二次大戦では英米軍の激しい爆撃に遭うも戦後急速に再開発が行われ、現在は多くの大企業が本社を構えるイタリア最大の商業都市である。多くの史跡が残る観光都市であり、またファッション・デザインの発信地としても知られている。


3位 ナポリ 96万人

伊:Napoli/英:Naples。ナポリ湾に面した南イタリア最大の港湾工業都市。紀元前6世紀、古代ギリシアによって建設される。都市名はギリシア語で「新しいポリス」を意味する「ネアポリス」が語源だと言われている。ローマ、西ローマを経て東ローマの属州になり、7世紀にナポリ公国が作られる。12世紀、ノルマン人が南下支配してノルマン・ドイツ系のシチリア王国の一部となった。13世紀、動乱に乗じてシチリア王国から分離したナポリ王国が興り、14世紀にはルネッサンスの中心地の一つとなるも、16世紀以降フランス、オーストリア、スペインの支配を受けることとなる。ナポレオン支配後の19世紀、ナポリ王フェルディナンドが返り咲き、ナポリ王国とシチリア王国が合併して両シチリア王国が作られる。同国の首都となったが、1861年にイタリア王国に統一されるとそれ以降は一地方都市に収まった。「ナポリを見て死ね」と謳われるほどの風光明媚な都市で、「ナポリ歴史地区」は世界遺産である。ピザ発祥の地。


4位 トリノ 87万人

伊:Torino/英:Turin。イタリア北西部の商工業都市。ローマ時代以前に住んでいた「タウリニー人」が都市名の語源である。古代ローマの軍事植民都市として栄え、中世には東ゲルマン人のランゴバルド王国の一部となった。16世紀、フランスに支配されたが、18世紀には北イタリアの名門・サルジニア王国の首都として発展。イタリア王国統一後もフィレンツェに遷都される1864年まで首都だった。第二次大戦では多大な被害を受けるも、戦後フィアットに代表される自動車産業の中心地として発展した。2006年には冬季オリンピックが開催される。イタリア王サボイア家の王宮は世界遺産に登録されている。


5位 パレルモ 65万人

伊:Palermo。イタリア南部、シチリア島西部の北岸の盆地に位置する同島最大の都市。前8世紀ごろフェニキア人が建設。その後、地中海の中心に位置することから、カルタゴ、ローマ、西ローマ、東ローマなど異民族に多く占領され、10世紀にはイスラムに支配される。11世紀には南下してきたノルマン人によるシチリア王国の首都して栄えるなど、フランスとイスラムが融合した独特の文化が芽生える。その後スペインなどの支配に下ったのちの19世紀、両シチリア王国を経てイタリア王国に併合された。第二次大戦では大きな被害を受けるもアラブ-ノルマン様式の建造物は多くが残り、一連の王宮や教会は世界遺産に登録されている。


6位 ジェノヴァ 57万人

伊:Genova/英:Genoa。イタリアの北西部にあるリグリア海に面した港湾都市であり、イタリア最大の貿易港を持つ都市。背後に丘陵地が迫るリビエラ海岸が観光地として有名。前5世紀には商港として栄え、ローマ時代は北部の中心都市となった。衰退後盛り返し、中世には「ジェノヴァ共和国」として海洋貿易で栄え、ベネチアと地中海貿易の覇権を競った。その後オスマン帝国の台頭により植民地を失うも、16世紀、ジェノバの金融業者はポルトガルやスペインへの投資に活路を見出し、新大陸や大西洋岸貿易で繁栄した。19世紀、一時フランスに占領されるもその後イタリア王国に統合される。赤の宮殿を始め、一連の貴族の邸宅などが世界遺産に登録されている。コロンブスの生地。






7位 ボローニャ 39万人

伊:Bologna。イタリア北部に位置する都市。前9世紀ごろ、イタリアに古くからいたエトルリア人が作った都市で、「フェルシナ」と呼ばれていた。前2世紀ごろ、イタリア北部の都市を結ぶアエミリア街道が建設され交通の要衝となるとローマ化が進み、そのころには「ボノニア」と呼ばれるようになった。東ローマ、ローマ教皇領となり衰退するが、11世紀に自治都市として復興。1088年、ヨーロッパ最古の大学・ボローニャ大学が創設されると法学のボローニャ学派、絵画のボローニャ派などに代表される学問・芸術の中心地となり、ルネサンス期にかけて文化の都として栄えた。16世紀から再びローマ教皇領。19世紀にフランスやオーストリアに一時占領された後、イタリア王国に統一される。第二次大戦時は米独対決の最前線となった。歴史的建築物や芸術品が多い観光都市である。


8位 フィレンツェ 37万人

伊:Firenze/英:Florence。イタリア中部に位置する都市。街の名称は「花の咲く植物」の意に由来する。前59年にカエサルによって作られ、4世紀にはキリスト教の司教座都市となる。9世紀から神聖ローマ帝国に支配されるも、12世紀に自治都市となると13世紀、民主制の下成立したフィレンツェ共和国の首都となる。14世紀には絹・毛織物工業、金融業などで繁栄し、人口9万人を数えるヨーロッパ屈指の大都市に成長した。15世紀、金融業で富裕となったメディチ家が実権を握り独裁政治が始まるが、メディチ家の保護の下ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロらが活躍し、ルネサンス文化が花開いた。15世紀末以降、二度ほど市民がメディチ家が追い出すもすぐに復帰し、民主制の共和国は名実ともに崩壊。16世紀にフィレンツェ共和国を引き継いだトスカーナ大公国でも首都となった。18世紀にメディチ家が断絶するとフィレンツェはロレーヌ公国に引き継がれ、ハプスブルク家による支配が続いた。イタリア王国に統一された後は、1865年から(ローマに遷都される)1871年まで同国の首都だった。多くの歴史的建築物が残り、美術館も多い観光都市。「フィレンツェ歴史地区」は世界遺産に登録されている。


9位 バーリ 32万人

伊:Bari。イタリア南部に位置する港湾都市。アドリア海に面しており、十字軍の時代より東方への出港地として栄えた。もとはギリシャの植民地で後にローマ化。9世紀から東ローマにより支配され、ビザンティン帝国の南イタリアにおける中心都市となった。11世紀、ノルマン人によって征服される。12世紀にはシチリア王国の統治下におかれ、19世紀にイタリア王国に入る。第二次世界大戦中はイタリア海軍の主要な基地となったが、連合国軍に占領されたことによりドイツ軍の空襲に遭った。サンタクロースのもととなった聖人ニコラオスゆかりの巡礼地である。






10位 カターニア 31万人

伊:Catania。イタリア南部シチリア島に位置し、イオニア海に面する農業都市。シチリア島ではパレルモに次ぐ規模の都市である。紀元前8世紀、古代ギリシャの植民都市として歴史が始まり、3世紀にローマ、11世紀にノルマン人の支配に下る。現在の街並みは17世紀のエトナ山の噴火とその後に襲った大地震による壊滅の後18世紀に再建されたものであり、当時流行りの規則正しいバロック風の街並みが広がる。それらの町並みは「バル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として世界遺産に登録されている。





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