中国の都市・人口ランキングTOP50

中国の都市の人口ランキングを50位まで集計しました。


人口1000万以上の都市5つ、500万以上の1000万未満クラスの都市が9つもあります。

中華人民共和国  人口 : 13億9538万人

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1位 上海 2415万人

上海

中国の直轄市であり、世界最大の人口を誇る都市。元代に市舶提挙司が置かれ港町として発展し始め、アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により条約港として開港。1920年代から1930年代にかけて、中国最大の都市として発展し、「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれた。中国の共産化後外国資本は香港に逃げたが、1978年の改革開放政策により再び外国資本が流入し、目覚ましい発展を遂げている。





2位 北京 1861万人

北京

中国の首都であり直轄市。華北中央に位置する。春秋戦国時代には「薊(けい)」と称し燕の首都となるが、歴史的には常に北方の匈奴などの遊牧民族の侵入による被害を受ける辺境であった。秦漢時代に「北平」、その後「南京」、「中都」などと称され、モンゴル帝国時代に「大都」として中心地となった。明代には南京に首都が移され、再び北平と呼ばれたが、15世紀、北平を拠点とする永楽帝が政権を握ると遷都され、「北京」と称された。第二次大戦後一時北平の名に戻るも、共産中国成立後、再び北京に改称され現在に至る。台湾政府は現在も北京の公式名称として北平の名を使う。


3位 広州 1208万人

広州

北京、上海と並ぶ中国三大都市の一つであり、華南の中心都市。秦代にこの地に南海郡番禺県が設置されたのが始まりである。唐代には市舶司が置かれるなど、古代から中国の南海貿易の中心地である国際都市として発展し、南漢の首都ともなった。海禁政策を取った明代も広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、清代半ばの1757年からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と広東貿易が行われた。阿片戦争中の1841年には一時イギリス軍に占領される。中華人民共和国成立後も香港に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、1979年、鄧小平が対外経済開放政策を取ると、深圳・珠海の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。






4位 天津 1208万人

天津

華北海河の五大支流の合流する所に位置する、中国の4つの直轄市の一つであり、華北最大の対外開放港である。隋代に京杭大運河が開削されると物流、軍事の一大拠点となった。1858年、アロー戦争で英仏連合軍に敗北し天津は開港され、以後首都・北京の外港として急速な発展を遂げた。中華民国時代の1927年に天津市に昇格、日本軍撤退後は1947年まで米軍基地があった。1949年に直轄市に指定され、中国の工業及び貿易の拠点として現在に至っている。


5位 深圳 1190万人

深圳

香港と接する経済特区であり、一大金融センター。1970年代まで宝安県という一集落に過ぎなかったが、イギリスの植民地であった香港と隣接する地理的重要性から1979年、省轄市として「深圳市」に昇格され、1980年には改革開放路線を採用した鄧小平の指示により深圳経済特区に指定されると急速に発展。わずか30年で人口は1000万人増加した。都市拡大の過程で外部より労働人口が流入して都市が形成され、広東省でありながら広東語が使われる比率が極めて低い地域である。深圳市にはスタートアップ企業が数多く存在し、「中国のシリコンバレー」とも呼ばれている。





6位 武漢 858万人

武漢

華中地域ないし長江中流流域全域の中心都市。「百湖の市」とも呼ばれ、市内に数多くの湖があり、水域面積は全市面積の約4分の1を占める。3800年の歴史をもつ国家歴史文化名城であり、上海、重慶とならび長江流域3大コア都市の1つ。武漢が正式に一行政単位になるのは前漢時代。1858年の天津条約により開港される。1992年に対外開放都市に指定され、翌年、武漢経済技術開発区が正式に発足すると、多額の外国投資が導入された。


7位 成都 779万人

成都

中国四川省の省都であり、副省級市。豊かな成都平原の中にあり、古くから『天府の国』と呼ばれた。三国時代に蜀の都となったほか、4世紀初頭には、巴氐の李特が建てた成漢の主府、五代十国時代には前蜀・後蜀の都となる。 唐代には水運が開け、成都では隋末の戦乱もなかったため発展した。 宋代に商業が発展し、以後西南中国の中心地となる。明代には四川布政使が駐在し、農民反乱軍の首領で大西皇帝を称した張献忠の拠点となったが、張献忠による人口の9割を超えるほどの殺戮と、清初期の抵抗運動や軍の反乱などにより、清前半までは荒廃が続いた。以後100年をかけ湖北省・湖南省・広東省から移民を入れ復興を果たす。成都は歴史的遺産が豊富で、1982年には国家歴史文化名城に指定されている。また2000年に始まった西部大開発の拠点都市として経済も活性化し、現在中国でもっとも住みやすい都市であるとの調査結果もある。


8位 重慶 758万人

重慶

北京、上海、天津とならび中国に4つある直轄都市の一つ。他の直轄市とは異なり、下部の4県級市、18県、4自治県を持つ。重慶市内の人口は758万人だが、下部自治体を含めた重慶直轄市(日本でいうところの都道府県レベル)全体の常住人口は3022万人に上る。長江上流の四川盆地東部に位置し、中国の直轄市の中で最大の面積を誇る。古代の巴国の地であり、南北朝時代には宋により「渝州」と命名され、12世紀、南宋の光宗により「重慶」と命名された。1891年に長江沿岸の港湾として対外開放され、1929年に重慶市政府が成立。日中戦争で南京陥落後、重慶に逃げた蒋介石の中国国民党を日本軍が無差別爆撃を行ったという歴史もある(重慶爆撃)。1895年の日清講和条約により対外開放され、外資、民族資本が投入され近代工業が興った。戦後内陸部工業化の重点都市となったが、改革開放後、内陸部からの資本の撤退により衰退し、目覚ましい発展を遂げた沿岸部の都市から取り残されてしまった。そのため1997年に内陸部振興のため直轄市に指定されている。現在では発展を遂げ、歴史遺産や独特な都市景観、食などにより多くの国内旅行者を集めている。





9位 東莞 736万人

東莞

中国広東省、珠江デルタの北東部に位置する地級市。古くから水運の要地である虎門鎮を中心に街が形成されていたが、現在の市域の多くは赤土が広がる貧しい農村だった。しかし、1980年代末に改革開放政策が取られてからは、広州と深圳・香港の中間に位置することから、香港・台湾企業の委託加工先や工場建設の好適地として、衣料品、日用雑貨、玩具、電子製品、パソコンまで、重工業以外の各種工場が林立する工業地帯に変貌した。特にパソコン部品は世界の供給拠点として重要な地位を占める。産業の発達に伴い出稼ぎ労働者が急増し、それに伴い労働者相手の売春女性が増加したため、2010年代に入り「性都」の異名を取るほど性風俗産業が発達した。一説にはその規模は同市のGDPの10%に相当する500億元(約8500億円)にも達すると言われる。その中には周辺地域の高級官僚や関係者が関与しているものも確認されたため、2014年に関連施設の一斉摘発が行われ、性風俗産業は壊滅した。


10位 仏山 708万人

仏山

中国・広東省のほぼ中央に位置し、省都の広州市に隣接する地級市。古代は百越諸族の居住地であったが、前漢武帝による南越国滅亡により中原に支配される。唐代に3体の銅の仏像が発掘され、近くに塔坡寺が建てられたことから「仏山」と改められた。また付近の仏教の中心地ということで「禅城」とも称される。明代は窯業が隆盛であり、江西省景徳鎮、湖北省漢口鎮(武漢市)、河南省朱仙鎮とともに中国四大名鎮に数えられていた。改革開放政策が実施されると香港やマカオに近接した立地条件もあり、仏山は珠江デルタ地帯の中心的な工業都市として発展。1978年から2004年までに経済規模は50倍にも発展し、年間経済成長は16.6%にも達している。改革開放の初期に外資を導入した地域であり、現在は中国における重要な輸出貿易工業の拠点として、広州市を中心とする広仏経済圏の中心地。

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11位 南京 634万人

南京

南京は中国の都市。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(六朝)、十国の南唐や明、南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。南京の歴史は春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。14世紀、明の太祖・朱元璋がこの地を征服し、以後ここを根拠地として全土を統一するに至った。のち、応天府と改められ首都となる。15世紀には皇位を簒奪した永楽帝により首都が北京へ移され、当地は「南京」と改められる。辛亥革命により中華民国が成立すると一時的に臨時政府が置かれ、1927年には国民政府の首都となった。日中戦争中の1937年には日本軍によって占領され南京大虐殺が起こる。第二次大戦後の国共内戦の結果、中華民国政府は撤退した。なお、現在も台湾政府は南京を「公式な首都」としている。


12位 瀋陽 630万人

瀋陽

中国遼寧省の省都。瀋陽の歴史は大変古く、7200年前の定住集落が発見されている。しばらくは地域の重要な地方都市的な位置にあったが、17世紀初、満洲族のヌルハチが後金を建国し、瀋陽を都城と定めた。1634年には盛京(満州語:ムクデン・ホトン)と改称された。その後、清と国号を改めた後金は明朝の滅亡後の中国を支配し北京に遷都するが、盛京はその後も副都とされた。1903年には東清鉄道南満州支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年には奉天会戦の舞台となる。清朝滅亡後、瀋陽県と改称される。その後は中華民国臨時政府を巡る混乱の中、1923年に奉天市、1929年に瀋陽市と改称されている。日本占領時代は奉天市と再度改称。戦後瀋陽市に戻る。2004年に瀋陽故宮ならびに東陵、北陵などが世界遺産に登録された。





13位 杭州 613万人

杭州

上海市から西、銭塘江の河口にある都市。隋代以降、北京と結ぶ大運河の南の終点として経済発展した。南宋時代は首都となり、当時人口124万人を擁する世界最大の都市となった。世界遺産の西湖を有する中国八大古都の一つ。「上に天有れば、下に蘇州・杭州あり」と称えられ、マルコポーロが「世界で最も華やかな街」と記すなど風光明媚な都市として今も中国中から多くの観光客を集める。現在はハイテク都市としても有名で、中国の大手IT企業アリババの本社なども所在する。


14位 西安 578万人

西安

古くは中国古代の都・長安。西周、秦、漢、隋、唐など多くの国の王都となった。呼称も豊邑、鎬京、咸陽、長安、常安、大興、西京、大安、京兆、陝西、永興、安西、奉元と変遷する。隋唐代には人口100万を超える大都市となり、長安城は日本の平城京、平安京の築城にあたり強い影響を与えた。シルクロードの起点であり西域に近く、国際都市・政治の中心として長く栄えたが、宋代以降首都となることはなかった。清代に西安となり、現在に続く。


15位 哈爾浜(ハルビン) 459万人

ハルビン

中華人民共和国東北部に位置する副省級市。漢代より様々な民族に管轄されるも森林地帯であった。本格的な開発が着手されたのは清になってからである。1898年、ロシア帝国により満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、交通の要衝としてロシア人を初めとして人口が急激に増加し、経済が発展。1907年、清朝はハルビンを対外交易拠点とすることを決定し浜江庁を設置。するとロシアも同年、同市の7,000平方キロメートルの地域を市区と定め、清朝に対抗した。中華民国になり着々と現在の政治的な地位の基礎が築かれると、ロシアは撤退していった。満洲事変が勃発し、日本により満洲国が建国されるとハルビン特別市が成立。満洲地区からロシア・ヨーロッパ方面への鉄道輸送の要衝として発展し、1940年には人口が60万人に達した。満洲国崩壊後の国共内戦の結果、共産党が1946年にハルビンの支配権を獲得するとハルビン特別市政府を設立。1954年、省の合併により黒龍江省に移管され、省人民政府が設置され現在に至っている。





16位 蘇州 408万人

蘇州

上海の北西、長江の南側にあり、太湖の東岸に位置する。古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、9つの古典庭園が世界遺産に登録されている。古来、北京と蘇州南を結ぶ京杭大運河の通過地となり、江南の主要都市として栄えた。春秋時代に呉の都が置かれ、五代十国時代には呉越国の都となった。近郊の上海が発展して以降その地位は低下したが、今も南京と並び江蘇省の主要都市である。運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて「東洋のヴェニス」と呼ばれる。


17位 青島 399万人

青島

中華人民共和国山東省、山東半島の南の付け根に位置する港湾都市。国家歴史文化名城。歴史的に山東半島の港は半島北部に集中し、南に位置する青島は辺鄙な漁村に過ぎなかった。街の発展は国防上の観点からこの地に海軍の軍事施設が建設された清代末期から。1898年、日清戦争のどさくさに紛れてドイツが99年間の期限で港を租借。ドイツはこの地を極東における本拠地とした。青島はドイツのモデル植民地として整備され、今なお西洋風の町並みや青島ビールなどにドイツの文化の名残が見て取れる。第一次大戦で日本がドイツからこの地を奪取するも1922年に中国に返還。しかし1937年の日中戦争により再び日本の支配に下る。第二次大戦後、一時米軍司令部の所在地となった。1984年に対外開放され近代的な港湾都市として発展した。現在も中国の海洋産業の中心都市であり、リゾート地としても有名である。


18位 大連 390万人

大連

中国の東海岸、遼東半島の最南端南部に位置する地級市、副省級市。魏晋の時代より「三山」、「三山浦」、「三山海口」、「青泥窪口」などと呼ばれてきた。ようやく19世紀末、清が大連湾に砲台を築き都市が形成される。日清戦争後の1898年、仏独露の三国干渉の結果ロシアが清から旅順・大連などを租借。大連は鉄道の終着駅となり、ロシア語で「遠い」を意味する「ダルニー」と呼ばれた。その後ロシアはパリをモデルにした都市づくりを進めるが、本格的に発展するのは日本占領後である。1905年、日露戦争により当地を獲得した日本は「大連湾」からとった「大連」を都市名とする。インフラ整備を進め、大連駅を始め現在に続く旧市街の街並みがほぼ完成した。1930年代には満州国の主要貿易港に。第二次大戦末期、ソ連の対日参戦によりソ連が大連を支配し、1951年になって中国に返還。そのため、大連は戦後の国共内戦を逃れている。一時旅順と合併し旅大と改称するも、1981年に現在の名前に戻る。1990年代の改革開放経済のもと目覚ましい発展を遂げる。大連経済技術開発区には日本企業が多く進出する。





19位 鄭州 367万人

中国中部、華北平原の西端に位置する。3500年の歴史を有し、殷代は首都ともなった国家歴史文化名城であり、中国八大古都の一つ。隋代より鄭州と呼ばれる。歴史上たびたび黄河の水害を受け、経済はあまり発展しなかった。日中戦争時の1938年には、侵攻する日本軍から撤退を図る国民党軍が黄河の堤防を破壊したため大氾濫が起き、鄭州は被災者1250万人、死者89万人の大被害を被る。20世紀始めに東西を貫く鉄道の隴海線、南北を貫く京広線が建設され、鄭州はその交差点となったため経済がようやく発展し始めた。2001年からは旧市街の東部に人口150万人規模の新都市・鄭東地区を建設している。


20位 汕頭 364万人

汕頭

中国南部、広東省東部に位置する地級市。中国5大経済特区の一つ。宋代に村落が形成され、元代には「廈嶺」と呼ばれた。清代に沙汕頭砲台が築かれ、略して「汕頭」と呼ばれるようになった。19世紀の第二次アヘン戦争後、それまで使用していた隣の潮州港の治安が悪化したため、汕頭は代替港として開港した。これ以降、広東省東部の玄関口として発展。1981年には近くの深圳や珠海と並んで経済特区が設置された。


21位 済南 352万人

済南

北京の南、山東省の西部に位置する副省級市。市中を黄河が流れ、豊かな自然と歴史資源を持つ国家歴史文化名城。いわゆる黄河文明の中心であったと言われ、現在の市街の下には殷の時代のものと思われる古代の都市跡が埋まっている。周代から繁栄し、西晋時代に仏教が広まると仏教の中心地の一つとなった。北宋時代には詩や書画などの文化の都として知られる。商業都市でもあり、近代以降は日本人をはじめ多くの外国商人が居住した。改革開放後も商工業都市として成長している。


22位 長春 341万人

長春

中国北東部吉林省に位置する副省級市。古代はツングース系の居住地であり、南北朝時代以降は高句麗の北辺となった。18世紀に本格的に農業が始まると人口が増加し、長春庁が設置された。19世紀、三国干渉の見返りとしてロシアが東清鉄道の支線を敷設。その後日露戦争で勝利した日本が、長春以南の鉄道支線権をロシアから譲り受けて南満州鉄道株式会社を設立した。長春駅を新設し、南満鉄は周辺の商業地・住宅地を開発。近代風建築が並んだ新市街が作られた。1931年、日本の支配に下り満州国が建国されると「新京」と改称され同国の首都となった。戦後の満州国崩壊後の国共内戦時は、共産党による長春包囲戦によって市民の三分の二にあたる数十万人が餓死する大惨事が起きた。しかしこの結果、戦後のどさくさに紛れて占領していたソ連から長春を奪還。共産中国が成立すると正式に中国に組み込まれた。現在は中国における自動車工業と映画産業の拠点である。





23位 昆明 327万人

昆明

南部雲南省・雲貴高原の海抜1950メートルに位置する。テン池周辺地域などに名勝が多く、国家歴史文化名城に指定されている。古くは「西南夷」とよばれチベット、タイ族、ミャオ族などが居住した。8世紀にチベット・ビルマ系の南詔に征服されることによって歴史に名を現す。13世紀、元に支配され「昆明県」が置かれた。古くよりミャンマー、ラオス、ベトナムへの交通の起点である。一年を通じて寒暖の差が少なく、「春の都」とも言われる。


24位 長沙 319万人

長沙

中国内陸部華中地域、洞庭湖の南に位置する。長江中流では最も古い歴史をもつ国家歴史文化名城。古代から水陸交通の要衝であり、現在は北京と広州を結ぶ京広鉄道沿線に都市がある。春秋戦国時代に楚国の地として歴史に現れる。秦代には「臨湘」と呼ばれ、北方とは異なる華中華南文化の中心として栄えた。日清戦争後の下関条約で開港させられたが、あまり発展はしなかった。古代から商業都市であり、現在は製造業の中心地。1972年に馬王堆漢墓が発掘され、古代史を伝える遺跡として注目が集まった。





25位 太原 315万人

Taiyuan

華北内陸・北京の南西、平均海抜800メートルの高地に位置する都市。黄河文明の遺跡が多い。太原盆地の北端に位置し、洛陽周辺と北京周辺を結ぶ街道が盆地を通るため、古くから交通の要衝でもあった。北方の遊牧民族にとって太原は中国の中心・中原攻略の拠点であり、漢民族にとって北方の守りの要所であった。古くは「晋陽」と呼ばれ、漢代は「并州」と呼ばれた。隋代には長安、洛陽に次ぐ黄河流域第三の都市となる。第二次大戦後、豊富な地下資源を活かし重工業や石炭業が栄えたが、改革開放後、発展していった沿岸部の都市に対して相対的な地位が低下した。また大気汚染などの公害や、郊外の黄土高原の砂漠化とそれによる砂嵐が問題となっている。





 

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中國紀行CKRM Vol.09 (主婦の友ヒットシリーズ)

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