インドの都市・人口ランキングTOP15

インドの都市の人口ランキングです。


インド共和国 人口 : 13億5264万人 (2018年)


1位 ムンバイ 1839万人

インドの西海岸に面する都市。天然の良港であり、国全体の海上貨物の半数以上を担う港湾都市である。都市の歴史は古く紀元前までさかのぼり、1534年にグジャラート・スルターン朝からこの地域を譲り受けたポルトガルが城塞を築き、ポルトガル語で「良港」を意味する「ボンベイ」と呼んだ。1661年にイギリスに委譲。東インド会社の中心港として発展を遂げ、海軍の拠点ともなった。二度の世界大戦後はコルカタを抜き、インド最大の都市となる。1995年、英語での公式名称がボンベイから現地語(マラーティー語)での名称にもとづく「ムンバイ」へと変更された。


2位 デリー 1634万人

デリー連邦直轄地は、インドの首都特別地域であり、同国の商業・工業・政治の中心地。12世紀、チャウハーン朝のプリトヴィーラージ3世によってこの地に最初に都市が作られ、以降断続的に各王朝の首都が置かれる。ムガル帝国滅亡後、英領インドの首都はコルカタに移されるも、イスラム、ヒンドゥーの分離を命じるベンガル分割令によってコルカタが不安定化したことにより、1911年、英国はデリーに再び遷都。この際、デリー南部にニューデリーが建設され、連邦の首都機能が集約された。これにより旧来のデリーはオールドデリーと呼ばれるようになった。


3位 コルカタ 1405万人

インド東部に位置する西ベンガルの州都。1690年にイギリス東インド会社がこの地に商館を開設したことにはじまる。英国の帝国主義政策における主要な拠点となり、英領インド時代の前半は植民地政府の首都機能を有していた。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の分離を命じるベンガル分割令によりコルカタが不安定化したことによって、首都はデリーに移った。さらにインド独立後、宗教対立は先鋭化し、大きな後背地であったイスラム教地域の東パキスタン(現バングラデシュ)が分離独立したことにより経済的に打撃を受ける。都市圏人口でもボンベイやデリーに抜かれるなど、インド国内での地位は低下しつつある。かつて英語圏では英語化された音で「カルカッタ」と呼ばれていた。


4位 チェンナイ 865万人

南インドの東側、ベンガル湾に面する都市。古く1世紀頃から都市として存在していたが、1522年にポルトガルがこの地の近くに要塞を建設。イエスの使徒の一人聖トマスに因んで、サン・トメ要塞と名付けたが、現地住民の間ではヴィジャヤナガル王国の英雄にちなんで「チェンナイ」と呼ばれていた。17世紀、イギリス東インド会社が土地を取得し、セント・ジョージ要塞を建設。チェンナイから「マドラス」と改名した。そしてこの要塞を中心に徐々に市街地が広がった。1996年8月、都市名マドラスは植民地支配に由来する名前であるとして、かつての「チェンナイ」に改められた。自動車産業、情報技術産業、ビジネス・プロセス・アウトソーシング業が盛んであり、「南インドの玄関口」、「南アジアのデトロイト」、「インドの健康首都」、「インド銀行業の首都」などの異名を持つ。


5位 ベンガルール 852万人

デカン高原の南、標高920mのマイソール高原に位置する都市。都市としての記録が見られるのは1537年、ヴィジャヤナガル王国の配下の領主、ケンペ・ガウダ1世が泥で市城を築いてからである。後にマイソール王国の一部となり、首都として繁栄した。イギリスによるインド帝国建国後、ベンガルールは南インドの植民地支配の中心地となった。高原にあるためインドの他都市と比較すると冷涼であり緑も多く、「インドの庭園都市」とも呼ばれる。インド独立後は国営の重工業、航空産業、宇宙産業、防衛産業の工場が置かれた。現在ではハイテク産業が発達し、インドのIT産業を成長させる原動力になるなど「インドのシリコンバレー」と呼ばれる。高い教育水準を誇る大学や研究所群の所在地だが、大気汚染、交通渋滞、犯罪、スラムなどの問題も存在する。それまで都市は英名で「バンガロール(Bangalore)」と呼ばれていたが、2005年に現地カンナダ語読みの「ベンガルール(ಬೆಂಗಳೂರು/Bengaluru)」に変更された。


6位 ハイデラバード 767万人

インド中南部の都市。ムスリム系住民が多い。近くには古くからの都であったゴールコンダがあり、1518年のゴールコンダ王国成立後の首都であったが、5代目の王、ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーが、ハイダラーバードの南を流れるムーシー川周辺が豊かな緑に覆われた土地であることに目をつけ、王都に定めた。彼はこの新しい王都の名を、彼の愛した踊り子であるハイダル・マハルの名から「ハイダルの町」を意味する「ハイデラーバード」に改めた。その後ニザーム王国成立後も王都となり、大いに近代化される。1947年のインド・パキスタン分離独立後、ムスリムであるニザーム藩王国はヒンドゥー教のインドに併合される事には否定的だったため、現状維持とする暫定協定を結ぶ。しかし、ムスリムのパキスタンへ飛び地独立することを警戒したインドは1948年、経済封鎖によりニザーム家を追いつめ、最後の藩王国はハイダラーバード州としてインドに強制併合された。同州はのち、インド政府初の言語圏基準による州境線を持つアーンドラ・プラデーシュ州として、州政府の権限を与えられている。近年、ITビジネスが牽引する経済発展が著しい。由来は異なるがパキスタンにも同名の都市がある。


7位 アフマダーバード 635万人

インド西部に位置する都市。インドにおいては比較的イスラム教徒やジャイナ教徒が多い地域である。15世紀、デリー・スルタン朝から独立したグジャラート・スルタン朝ニ代目の王・アフマド・シャー1世が、森林地帯だったこの地に王都として町を作り、王の名にちなみ都市名を「アフマダーバード」とした。16世紀にムガル帝国に支配されてからは、繊維製品をヨーロッパに輸出する貿易港として栄える。19世紀、イギリス東インド会社が支配。1930年にイギリス支配に抵抗したガンディーの「塩の行進」もこの街が出発点となるなど、ガンディーゆかりの地であり、彼の博物館も建てられている。2017年、市街地が「歴史的都市アフマダーバード」として世界遺産に登録された。


8位 プネー 505万人

ムンバイの南、デカン高原に位置する都市。高原にあるため、富裕層の避暑地として発達した。街の40%が緑に覆われるなどインドでもっとも緑化された街の一つであり、また同国で最も安全な都市とも言われている。教育・研究の中心地であり、またバンガロールと並び同国最大のIT産業の集積地でもある。


9位 スーラト 459万人

スーラト

インド北西部にある港湾都市。ムガル帝国時代より主要な商業・貿易都市であった。 1608年、イギリス東インド会社の商船隊が寄港し、 1612年に商館が設けられると、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルの商船でにぎわった。17世紀前半まではインド最大の貿易港であったが、17世紀後半にマラーター王国による攻撃を受けて衰退。そのためイギリスはムンバイに商業拠点を移した。インドでも清潔な都市として知られ、現在でもインドの重要な貿易港である。


10位 ジャイプル 304万人

ジャイプル

インド北西部に位置する都市。都市名は意味は「勝利の町」。1727年にラージプート王ジャイ・シン2世によって建設され、1947年までジャイプル藩王国の首都。現在の旧市街にあたる当時の市街は城塞化し、高さ6m、総延長10kmに及ぶ城壁で囲まれている。インドがイギリスに支配された後も自治権を保証されたため、インド的な雰囲気を強く残している観光都市である。1876年にヴィクトリア女王の息子、アルバート王子がこの地を訪れた際、歓待の印として市街の建物をピンク色に塗ったのをきっかけとして計画的に都市がピンク色に染められていったことから「ピンクシティー」とも呼ばれる。野外の天文観測所ジャンタル・マンタルは世界遺産。工業、手織物、宝石細工などの手工芸が盛ん。現在では城壁の外側に新市街が形成され、駅なども新市街にある。王族一家は1947年のインド独立後も旧市街の中心にある「シティ・パレス」に居住している。


11位 カーンプル 292万人

インド北部の商工業都市。イギリス領となった当時は「カウンポール」と呼ばれ小さな村落にすぎなかったが、イギリス東インド会社がここに前進基地を構えてから人口が急増した。1857年の「インド大反乱(セポイの反乱)」の激戦地で、在住イギリス人の大半が虐殺された。現在も陸軍の兵営や空軍基地がある軍事上の要地。近年新市街が西側に拡大されてきたが、カーンプル駅から中心市街地にかけて商店や住宅が過度に密集。世界的に極めて人口密度が高い地域であり、また大気汚染のレベルも世界有数である。


12位 ラクナウ 290万人

ラクナウ

インド北東、グムティ川右岸に位置する学術都市。町の起源は13世紀にさかのぼり、16世紀にはシェール・シャー藩王国の中心都市として栄えた。18世紀以降はムガル帝国下アウド藩王国の主都。イスラム時代のモスクや宮殿、庭園などが多く残り、特にトルコ門のルーミー・ダルワーザーとシーア派のモスクであるイマーム・バーラーは壮麗。その周辺もアースフィー・モスクなど歴史的建造物が多い。


13位 ナーグプル 249万人

インドのほぼ中央に位置する商工業都市。ナーグ川沿岸に位置するが、都市名も「ナーガの都市(プル)」という意味である。 18世紀、ゴンド朝によって建設され、その後ナーグプル王国の主都。1853年イギリス支配下に入り、インド中部のイギリス支配の拠点となった。高品質なオレンジの名産地として有名である。


14位 ガーズィヤーバード 237万人

インド北部、ニューデリーのすぐ北東に位置する工業都市。紀元前2500年にすでに文明が存在していたことが示されているが、歴史に現れるのは1740年、ムガル帝国の大臣・ガーズィー・ウッディーンによって設立されてから。当初は彼の名にちなみ「ガーズィーディナガル」という名前だったが、1864年に鉄道が開通したことを機に「ガーズィヤーバード」に改名した。ムガル王室の保養地として知られる。1940年ごろから近代産業が興り、第二次大戦後、工業が急発展。ニューデリーの衛星都市として人口が増えた。


15位 インドール 217万人

インドール

インド中部西に位置する商業都市。1715年に建設。1815年からインドール藩王国の首都となり、マディヤバーラト藩王州連合では夏季の首都。イギリス植民地時代には英軍の駐屯地となった。周辺では綿花栽培が盛んであり、紡績産業が発達。コロニアル様式の建物が多く、近年はビジネスの拠点として人口が急増している。


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