台湾の都市・人口ランキングTOP10

台湾の都市の人口ランキングです。


中華民国 人口 : 2357万人


1位 新北 399万人

英:New Taipei City/繁:新北。台湾北部に位置する、台北市と基隆市をぐるっと取り囲むように形作られたドーナツ状の都市。首都・台北市のベッドタウンであるが、台北よりも多い台湾最大の人口を有する。元々は台湾省・台北県であったが2010年に直轄市に昇格し、「新しい台北」を意味する「新北市」となった。近年観光地として有名になった九份(きゅうふん)も新北にある。


2位 台中 280万人

英:Taichung/繁:臺中。台中(タイチョン)市は台湾西部、台中盆地中央部に位置する都市。台湾が清によって統治されていた18世紀初め、水資源に恵まれていたことから漢族による開拓が進んだ。台湾の行政中心地となり、1885年には台南から台湾府が移され、同年成立の清国・福建台湾省の省都となる(1894年に省都は台北に移る)。当時は「大墩(だいとん)」と呼ばれ、日本領時代の1896年に「台中」と改称。碁盤の目状に街区が整備されており、現在も台湾中部の経済文化の中心地である。2010年に台中県と合併して直轄市となった。


3位 高雄 277万人

英:Kaohsiung/繁:高雄。台湾の南西岸に位置する台湾最大の貿易都市であり、台湾最大の面積を有する自治体である。寿山というテーブル状の大きな台地のふもとに市街が形成されている。もともとはマカタウ族の小村で、彼らの言語で「竹林」を意味する「打狗(ターカウ)」と呼ばれた。17世紀、オランダに支配され「タンコイア」と称されるようになる。その後、オランダを破った鄭成功や清朝が支配し、19世紀、清が欧米に開国をせまられた天津条約での開港地の一つとなった。1895年、日清戦争に勝利した日本に支配されると、「犬を叩く(「打狗」)」という字面が悪いことから同音の日本語である「高雄」に改名し、日本海軍の南方基地として整備された。日本撤退後も名前は変えなかったが、読みを北京語の「カオシュン」に改めた。2010年に高雄県と統合。現在もアジア有数の貿易港として栄える。


4位 台北 266万人

英:Taipei/繁:臺北。台北(タイペイ)市は台湾北部に位置する直轄市であり、台湾の事実上の首都。2010年に成立した新北市に四方を囲まれている。もともと原住民・ケタガラン族の住む土地であったが、大航海時代、台湾島の中でオランダの統治が及んでいなかった当地に、スペインが「サン・ドミンゴ要塞」を築き拠点とした。その後、オランダや鄭成功の支配を経て、清に併合された。清併合当初は、中国本土人の入境が制限され開発が進まなかったが、18世紀ごろから対岸の福建、広東から南人、客家人の移民が急増した。1871年、近隣の琉球(沖縄)での日本の主権が確立し、日本のさらなる南下による台湾進出に危機感を抱いた清朝政府は、1875年、中国防衛の最前線として当地に「台北府」を設置した。1884年に台北城が完成し、1894年には台中から福建台湾省の省都を移し、台湾政治の中心地となった。日清戦争に勝利し統治した日本も、日本から距離の近い台北に台湾総督府を置き、台湾総督・後藤新平が、城壁を撤去して、街路と上下水道が整備された近代的な都市を建設した。第二次大戦期は日本軍の南進政策の基地となり、米軍の空爆も受けている。戦後、共産党に破れて中国大陸から逃れてきた国民党政権にとって、全中国を代表する中華民国の「国都」はあくまで南京であるが、1949年の台湾島の実行支配以降、台北は中華民国の事実上の首都となっている。台北郊外にある、殷代からの中国の美術品・文献62万点を収める故宮博物院は世界四大博物館の一つ。日本統治時代は「たいほく」と呼ばれており、現在でもNHKの放送ではそのように呼ばれる。


5位 桃園 222万人

英:Taoyuan/繁:桃園。桃園(タオユエン)直轄市は、台湾北部・首都台北の南西約40kmに位置する、台北の衛星都市。現在の桃園市は2014年に「桃園県」が直轄市に昇格したもの(以前の桃園市は現・桃園市内の区の一つとなっている)。1733年に台北と連絡する亀崙山道(現・省道1号線)が整備されたことで中国大陸の客家人が多数入植。彼らは住居の周囲に桃の木を植えたことで当地は「桃仔園」と呼ばれるようになった。日本統治時代に寺社仏閣が多く作られ、鄭成功が祀られている桃園忠烈祠は日本時代、「桃園神社」として建立されたものである。1972年、台北市内の松山空港から国際線を引き継きついだ、台湾最大の桃園国際空港(当時の名は「中正国際空港」)が開港。台湾有数のハイテク企業の工業が集積する都市で、近年ではハイテク企業のさらなる集積を目指した、政府肝いりの「アジア・シリコンバレー計画」も推進されている。古くより台湾最大の茶の産地としても知られている。


6位 台南 188万人

英:Tainan/繁:臺南。台湾南西部に位置する台湾最古の都市。台湾島で最も早くから開けた地域である。もともとは当地のことを「台湾」と称し、その呼称が後に台湾全体を指すようになった。すでに16世紀の明代には中国本土から漢族が移住していたが、17世紀にオランダ人が渡来して、ゼーランティア城、プロビンシア城を築いた。その後、鄭成功によって征服されると「承天府」と改称し、鄭氏政権の首府となった。清に併合された後も1885年に台中に移るまで台湾府が置かれ、政治経済の中心として栄える。旧跡が多く観光地としても有名で、「台湾の京都」とも呼ばれる。台湾土着の「台湾語」が日常的に使用されている数少ない地域でもある。2010年に台南県を合併して台湾6大直轄市の一つとなり、現在の人口に増加した。


7位 新竹 44万人

英:Hsinchu/繁:新竹。新竹(シンチュー)市は、台湾北西部に位置する都市。日本では主に「しんちく」と呼称される。台湾最古の都市の一つで、1875年に現名に改称されるまでは「竹塹(ちくざん)」と呼ばれた。冬に強い偏西風が吹くことから「風城」ともよばれる。郊外では、1980年代より先端技術産業が集まる「新竹サイエンスパーク」の開発が進められ、世界最大の半導体受託製造企業である台湾積体電路製造(TSMC)などが本社を構える。


8位 基隆 37万人

英:Keelung/繁:基隆。台湾北端にある省轄市で、世界有数の雨の多い地域にあたる。17世紀にスペイン人が支配してサンサルバドル城を築き、極東貿易の根拠地とした。その後オランダ人や鄭成功が支配し、1861年、清朝が欧米列強と結んだアロー戦争後の天津条約によって開港した。もともと「鶏籠(ケーラン)」と呼ばれていたが、1875年、清朝は「基地昇隆」の意味を込めて「基隆(キールン)」に改名した。1884年にはベトナムの領有を巡って争った清仏戦争の舞台となり、フランス軍の攻撃を受ける。日本領時代は日本本土に最も近い貿易港として栄え、港の整備が進んだが、太平洋戦争中は米軍の攻撃を受けた。現在、基隆港は台北の外港として、高雄港に次ぐ台湾で2番目の貨物取扱量を誇っている。中国本土からやってきた外省人が多く住み、国民党支持者が多い。


9位 嘉義 26万人

英:Chiayi/繁:嘉義。台湾中西部に位置する内陸都市。もともとは台湾語で「諸羅山(ツウロウサン)」と呼ばれた地域であり、17世紀から中国大陸からの移民の拠点として発達した。その後オランダによって開発され、18世紀の清朝統治時代、清への抵抗運動(林爽文事件)での、住民の清朝への忠義を乾隆帝が称え、地名が「嘉義(ジャーイー)」へと改称された。日本統治時代の1906年に嘉義大地震が発生し、清朝時代の城をはじめ街は壊滅されたが、すぐに再建され1930年に自治都市に昇格した。1947年の反国民党暴動である二・二八事件では、多くの犠牲者が発生した地域の一つだった。北回帰線が市内南部を通過している。


10位 彰化 23万人

英:Changhua/繁:彰化。台湾西海岸中部、台中の南に位置する、台湾最古の都市の一つ。台湾原住民バブザ族の集落「ポアソア社」があった地域で、台湾語音でそれを「半線(ポアソア)」と充てた。中国大陸に近く、また近隣の鹿港が貿易の中心だったことから、早くから中国大陸からの移民の中心地となった。清朝時代に「顕彰皇化」(皇帝への忠誠を賞する)という意味を込めた「彰化(チャンホワ)」に改称した。日本統治時代に「台中県」の県庁所在地に昇格。日本時代は「ショウカ」と呼ばれた。現在も県として台湾最大の人口を擁する彰化県の県庁所在地である。


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