トルコの都市・人口ランキングTOP10

トルコの都市の人口ランキングです。


トルコ共和国 人口 : 7562万人


1位 イスタンブール 1511万人

トルコ北西部に位置するトルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地。ボスポラス海峡を挟んで2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西に位置する都市でもある。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1がアジア側に居住している。紀元前660年、ギリシアがサライブルヌの岬に植民都市「ビュザンティオン」として創建。330年に「コンスタンティノープル」として再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国(330-395)、ビザンティン(395-1204、1261-1453)、ラテン帝国(1204-1261)、オスマン帝国(1453-1922)と4つの帝国の首都であった。ローマやビザンティン時代はキリスト教発展の要であったが、オスマン帝国成立後はイスラム教の中心地へと変わる。第一次大戦後の欧米の占領から独立したトルコ共和国成立後、オスマンの歴史を拭い去るためトルコの首都はアンカラに移された。この頃まで「コンスタンティノープル」の名が残っていたが、トルコ成立後より徐々に、ギリシャ語で「街」を意味する「イスタンブール」の名が国際的に定着するようになった。


2位 アンカラ 503万人

トルコ中央部に位置する同国の首都。フリュギア時代の「アンキュラ」が現在のアンカラ旧市街の始まりである。アンキュラは紀元前189年、ローマ帝国に占領されて「アンゴラ」となり、大劇場、大浴場、神殿、などが整備された。1073年にムスリムのセルジューク朝によって支配された後、1356年にオスマン帝国の配下に入る。20世紀に入り衰退化したオスマン帝国が崩壊し、1923年にイスラム初の世俗国家として「トルコ共和国」が成立。それまで帝国の首都だったイスタンブールを宗教的中心地として守るため、共和国の新首都は地方の小都市にすぎなかったアンカラに移された。遷都により人口が急増したため、アナトリア半島中央部に位置する旧市街のウルス地区が手狭となったため都市整備計画が定められ、国際コンペで優勝したドイツ人都市計画家ヘルマン・ヤンセンの計画により1932年から新市街イェニシェヒル地区の建設が開始された。現在アンカラは経済的にも成長を遂げ、イスタンブールに次ぐトルコ第2の都市に発展している。


3位 イズミル 295万人

エーゲ海に面するトルコ西部の港町。古代ギリシア時代は「スミルナ」とよばれた。地中海世界ではアテネと並ぶ古代都市。紀元前3000年に建設され、紀元前1000年頃にギリシアの植民都市となる。マケドニアやローマ、東ローマの時代はエーゲ海の中心都市として繁栄。15世紀にオスマン帝国領となり、1919年に一時ギリシアに占領されるも、すぐにトルコが奪還し現在に至る。その地理的利点からNATO (北大西洋条約機構) の軍司令部がおかれている。度重なる地震や外敵の侵入のため、その歴史の長さに比べ遺跡には恵まれないが、市内にはヘレニズム時代の城塞カディフェカレと古代ローマ時代のアゴラが残っている。また付近にはエフェソス、ベルガマなどの古代遺跡もあり、多くの観光客を集めている。


4位 ブルサ 196万人

トルコ北西部の都市。この地には古代の都市・キオスがあった。前3世紀にビティニア王プルシアス1世によって建設され、王の名に因んで「プルサ」と名付けられた。シルクロード西端の都市として繁栄。ビザンチン、セルジューク朝などの支配を経て、オスマン帝国に入り、14世紀に一時、オスマンの首都となった。1413年に首都はエディルネに移されたが、ブルサはオスマン帝国の主要都市として繁栄し続けた。トルコ有数の古都として歴史遺産も多く、市街は「オスマン帝国発祥の地」として世界遺産に登録されている。市内は自然が多く、「緑のブルサ」ともいわれる。


5位 アダナ 173万人

トルコ南部、シリアにほど近い地中海地方の都市。長らく小アジアとアラブとの通商路の中間地として栄えてきた。もともとは前1400年に「アタニヤ」と呼ばれたヒッタイト人の植民都市。前4世紀、アレクサンドロス大王に征服され、前1世紀、ローマによって都市が整備され軍事基地も置かれたが、その後衰退。7世紀にアッバース朝アラブの下に入り再興された。12、13世紀はアルメニア国家に入り、17世紀、オスマン帝国に組込まれた。市内には2世紀につくられた石造橋をはじめ史跡が多い。


6位 ガズィアンテプ 166万人

トルコ南部、シリアにほど近い南東アナトリア地方の都市。紀元前4千年紀ころの定住の痕跡がある。ヒッタイト人の都市として始まり、シリアとアナトリアの交易の中継地として栄えた。ペルシア、ローマ、東ローマ、アルメニアなどの支配に入り、17世紀にオスマン帝国に支配される。第一次世界大戦後のオスマン帝国の解体時は、一時フランスに支配された。近年ではシリアに近いためシリア難民が流入し、イスラム国によるテロも起きるなど、治安が悪化している。


7位 コンヤ 130万人

トルコ西部、中央アナトリア高原の標高1000mの高地に位置する都市。かつてはギリシア語で「イコニオン」と呼ばれた。前12世紀のフリギア王国の地であり、その後、ペルシア、マケドニアの支配を受ける。ローマ、東ローマの支配の下、キリスト教都市として発展するが、11世紀にイスラム系セルジューク朝に征服され、12世紀、セルジューク朝から分裂したトルコ系ルーム・セルジューク朝の首都となった。13世紀頃にルーム・セルジューク朝は全盛期を迎え、当時作られたイスラム神秘主義(スーフィズム)のメウレウィー教団の霊廟など、数々の壮麗な建築物が今に残る。15世紀、オスマン帝国に併合された後は衰退。19世紀にイスタンブールまで鉄道が開通すると盛り返し、アンカラと共に中央アナトリア地方の重要都市となった。


8位 アンタルヤ 124万人

トルコ南部、地中海に面する港湾都市。前2世紀にアッタロス朝によって建設され、古くから港町として発展した。ギリシア、ローマの支配を経て、十字軍時代はパレスチナへ出征する根拠地となった。13世紀、セルジューク朝時代に最盛期を迎えた後分裂を繰り返し、15世紀後半にオスマン帝国に組み込まれる。古代ギリシャ・ローマ時代の遺跡が多く、また温暖な気候から国内有数の海岸保養地として栄えている。


9位 ディヤルバクル 103万人

トルコ南東部、ティグリス川に上流に位置する都市。住民の大半がクルド人であり、トルコ内のクルド人にとって中心的な都市である。3世紀、ローマの植民地となり「アミダ」と呼ばれる。7世紀、アラブ人に征服された後は「アーミド」と呼ばれ、15世紀のオスマン帝国時代に「バクル族の国」を意味する「ディヤルバクル」の名が定着した。ペルシア国境に近いため古くから軍事的に重要な地であり、旧市街に残る全長5kmに及ぶ城壁は世界遺産に登録されている。今日でもトルコ空軍が基地を構える。1980年代はクルド人による抗争が激しく、市内でわずかに暮らすキリスト教系住民が敵視されたが、現在は治安状況は落ち着きを見せている。隣国シリアのアレッポやイラクのモースルと高速道が通じる。


10位 メルスィン 99万人

トルコ南部、地中海に面する都市。主要都市・アダナに近く、アダナの外港としての役割を持つ。ローマ、アラブ、エジプト、トルコ、モンゴル、十字軍、アルメニア、アラブなどの支配を経て15世紀からオスマン帝国領となった。オスマン帝国解体時は一時的に英仏の支配も受ける。中東から送られてくる石油の精製施設があり、近隣のキプロスとはフェリー航路によって繋がれている。


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