フィリピンの都市・人口ランキングTOP10

フィリピンの都市の人口ランキングです。


フィリピン共和国 人口 : 1億98万人 (2015年)

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1位 ケソン 293万人

ルソン島中部、マニラの北東に位置する都市。1939年に建設が始まった計画都市であり、1948年にマニラに替わってフィリピンの首都となった。市名は米自治国フィリピン・コモンウェルス時代の初代大統領、マヌエル・ケソンにちなむ。しかし首都移転は進まず、1975年には同年成立した「マニラ都市圏」の一部となり、1976年に首都はマニラに戻された。マニラ都市圏の面積の4分の1を占める「首都の衛星都市」として人口が急増しており、2000年に200万人を超えた後もわずか20年で300万人に届こうとしている。





2位 マニラ 178万人

ルソン島中央部、マニラ湾に臨むフィリピンの首都。市名はタガログ語で「ニラノキのあるところ」の意。市域は狭く40k㎡弱である。マニラ中心を流れるパシグ川河口に古くからマレー人が集住し、中国などと交易していた。16世紀、マニラの地理的な優位性に注目したスペインが、川のほとりに「イントラムロス(壁の内側)」と呼ばれる城壁を築く。マニラはスペインのアジア経営の拠点となったが、19世紀終わりの米西戦争でアメリカに負けると、フィリピンもアメリカに引き継がれた。マニラは引き続き米領フィリピンの首都となり、米国のアジア戦略の中心地となる。第二次大戦中の1942年から1945年まで日本が占領。「東洋の真珠」とよばれるほどの美しい都市だったが、戦争によってイントラムロス内の歴史的建築物はほとんど破壊されてしまった。1946年のフィリピン独立後も首都だったが、1948年に隣の計画都市・ケソン市に首都が移される。しかしケソンの開発は不調に終わり、1975年、ケソンなど周辺都市と合同して「マニラ都市圏」が成立すると首都もマニラに戻された。イントラムロスはしばらく廃墟のままだったが、1979年ごろから再建が進んでいる。また、戦後復興の過程で人々が流入したことにより、市内の人口密度は41,515人/km²と世界有数の高さを記録し、海に近いトンド地区には東洋最大のスラム街が形成されるなど、都市問題が山積している。


3位 ダバオ 163万人

フィリピン南部ミンダナオ島の南東部に位置する港湾都市。19世紀にスペインが植民都市として建設したが、20世紀初頭に日本人が移住してアバカ(マニラ麻)の栽培を始めてから大きく発展した。1918年には日本人が経営する会社は60社を数え、第二次大戦前には2万人近くの日本人が住んでいた。宗主国アメリカや現地フィリピン人社会と日本人の関係は悪く、戦後は反日感情も高まり日本人社会は縮小した。1980年ごろから農産物価格の低下により貧困化が進み、治安が悪化。1988年にダバオの検察官だった現フィリピン大統領のR.ドゥテルテが市長に就任すると、人権侵害の誹りを受けながらも強権的な手法で「フィリピンの殺人都市」と呼ばれていたダバオの治安を劇的に改善させた。治安改善に伴い経済も活況を見せるなどその実績が買われ、ドゥテルテは2016年に大統領に上り詰めた。


4位 カローカン 158万人 

首都マニラの北西に位置する市。一部飛び地がある。1815年にマニラの一地区であったトンドから分離され、自治体として成立。スペイン占領時代は、独立を目指した過激派の秘密組織・カティプナンの活動拠点であり、アメリカ占領時代の1899年にはアメリカに抵抗した「カローカンの戦い」で激戦地となった。戦後、1962年にリサール州の都市として成立。1975年にマニラ都市圏が成立すると編入された。住宅や工場の建設が進み、1980年代から人口は3倍に急増している。


5位 セブ 92万人

セブ島東海岸にある市。ビーチリゾートとして有名だが、国内第2の貿易港でもある。1521年にスペイン人を率いたポルトガルの航海者マゼランがこの地に上陸。マゼランはすぐにセブで討ち死にするが、1565年に再びスペインが上陸し、1571年にマニラを占領するまでセブは植民地の首都となった。その後アメリカや日本占領を経て、戦後は比較的治安が安定していることを背景に、海外から工場や観光の投資が集まり発展。セブアノ語文化圏の中心地でもある。





6位 サンボアンガ 86万人

フィリピン南西部、ミンダナオ島西部にある市。スバネン族の居住地として12世紀後半から13世紀初頭に町が作られ、中国などと交易していた。17世紀にスペイン人がピラール要塞を築き、イスラムの海賊や外国勢力の侵攻からフィリピンを守る前線基地となった。その後フィリピン南西部の中心都市に成長し、1936年には市として正式に成立。スペイン時代の建築物が多く残り、現在では風光明媚なビーチリゾートとして有名である。2013年に分離独立を目指すモロ(イスラム)民族解放戦線がサンボアンガの海岸から市内に侵攻。フィリピン軍と1ヶ月近く内戦状態に陥った。


7位 タギッグ 80万人

マニラの南東、マニラ都市圏に属する都市。16世紀にスペイン人が最初に支配した地域の一つで、スペイン人が来る前は中国人の集落があったと言われる。市名はタガログ語で「脱穀機」に由来。1975年にリサール州を離脱し、同年成立のマニラ都市圏に加入した。かつてはバエ湖に臨む漁村に過ぎなかったが、この地にあったフィリピン軍ポニフォシオ基地が1990年代に民間に売却されると、跡地が計画都市として大きく発展。特に「ポニフォシオ・グローバルシティ」は外資系企業や高級ホテル、コンドミニアムが集まる、マニラ都市圏でも最も成長著しい地域となった。同じく新都心として作られた隣のマカティ市と、ポニフォシオ・グローバルシティの管轄権を巡って争いがある。


8位 アンティポロ 77万人 

ケソン市の東に位置する市。16世紀、フランシスコ会宣教師によって集落が作られた。その後イエズス会の伝道所となり、17世紀にはメキシコからアンティポロの教会に聖母マリア像が授けられると、次第にアンティポロはフィリピンのキリスト教にとって重要な地となっていった。第二次大戦中は日本に占領され米軍から空爆を受けるも、マリア像は持ち出され被害を免れている。現在も巡礼地として多くの巡礼者が徒歩でマニラから訪れる。市の多くは山地で、そこからマニラ都市圏が一望できる。


9位 パシッグ 75万人

ルソン島中部、バイ湖とマニラの間にある市。市名は古代サンスクリット語で、「ある水域から別の水域に流れる水路」を意味している。スペイン人が到来する前はマレー人と中国人が住んでいた。水運で栄え、また多くの水上生活者がいたが、戦後は水質汚染の問題が深刻化する。リサール州の州都だったが、1975年成立のマニラ都市圏に組み込まれ、州都は隣のアンティポロに移された。ケソン市などにまたがるビジネス地区である「オルティガス・センター」の再開発が進み、人口は1980年の3倍ほどになるなど、近年都市は急速に拡大している。


10位 カガヤン・デ・オロ 67万人

ミンダナオ島北部、マカハラル湾に臨む都市。古くから集落があったとされ、近年フルガ洞窟から2000年前の人々の生活の跡が発掘されている。13世紀ごろにイスラム教が伝わり、17世紀にスペインが要塞を築いた。長らく農村だったが、20世紀の米領時代に発展を始める。太平洋戦争では日本軍に占領され、町の多くが焼き払われた。戦後、1950年に都市の地位が与えられ、今日では北ミンダナオの経済の中心である。





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