エジプトの都市・人口ランキングTOP10
エジプトの都市の人口ランキングです。
エジプト・アラブ共和国 人口 : 1億7万人 (2020年)
1位 カイロ 929万人
エジプトの首都であり、アラブ世界で最も人口の多い都市。古代以来エジプトはナイル河谷地方の「上エジプト」と地中海に面したナイルデルタ地方の「下エジプト」とに2分されているが、その両者の接点にカイロは位置する。それまでは未開の地であったが、イスラム帝国が7世紀にエジプトを征服し、ナイル川下流河畔の交通の要衝として首府カイロを建設して以来、現在に至るまでイスラム世界の学術・文化・経済の中心都市である。一時、オスマンやナポレオンの侵攻を受け政治の中心から退くも、半独立を果たしたムハンマド・アリー朝のもとで再び政治の中心となり、都市の近代化が進められた。これらの近代化政策は財政を破綻させ、エジプトはイギリスの保護領となるが、1922年に独立を果たした際にカイロは再び首都に返り咲いた。イギリスの実効支配を脱したエジプト革命後、都市は急拡大を続け、都市圏人口は1907年に95万人だったものが1988年には1200万人にまで達した。人口爆発に伴い、現在カイロ近郊で新首都(ニューカイロ)や衛星都市の建設が進められており、2020年中にも首都機能の移転が始まると見られる。イスラム地区とカイロ発祥のオールド・カイロ地区は、カイロ歴史地区として世界遺産に登録されている。
2位 アレキサンドリア 510万人
エジプト北部、地中海に面する港湾都市。紀元前332年に作られた、マケドニア国王アレクサンドロス3世がオリエント各地に自らの名を冠して建設したギリシア風都市の第一号であった。ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄える。多くの哲学者、数学者、神学者が活躍したが、641年にはイスラムの武将アムル・イブン・アル=アースにより陥落され、イスラム世界に組み込まれる。アラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため経済的に沈滞したが、学芸の都としての性格は残り、古代ギリシア・ローマ文明にイスラム文明がミックスしたアラビア科学揺籃の地のひとつとなった。やがてインドの香辛料を求めてヴェネツィア商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。16世紀に(アフリカ南端を回る)インド洋航路が開拓されると再び衰え始めるが、19世紀、ムハンマド・アリーの近代化改革の一環で、綿花が輸出商品としてナイルデルタで大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市として三たび繁栄を始める。現在では化学産業なども進出し、エジプト屈指の経済・工業都市として発展を続けている。
3位 ギザ 421万人
ナイル川中流の西岸に位置する、古代エジプト以来の都市。クフ王のピラミッドをはじめとするギザの三大ピラミッドと大スフィンクスがある遺跡の町として有名である。7世紀にエジプトを征服したアラブ人が現在のカイロの地にエジプトの首都を置いて以来、ギザは首都近郊の都市として発展した。19世紀以降現在に至るまで、ギザのピラミッドとスフィンクスは、外国人が必ず訪れる観光名所となっている。
4位 ショブラ・エル・ケイマ 118万人
エジプト北部に位置するカイロ首都圏の都市。1940年代から周辺の工場労働者が主な住民だったが、近年は近隣の農村地域からの移住者が流入し、人口が増えている。オスマン帝国の支配を終わらせた現代エジプトの初代君主ムハンマド・アリー・パシャの宮殿が所在する。
5位 ポートサイド 76万人
エジプト北東部、スエズ運河北端にある港湾都市。アラビア語では「ブールサイード」と呼ばれる。 1859年、スエズ運河建設のための基地として人工島に作られた町で、市名は当時のエジプト総督サイード・パシャにちなむ。運河完成後はスエズ運河会社の所在地となり、運河を通る石炭・石油の補給港として発展した。しかし、1956年にはエジプトがスエズ運河の国有化を宣言したことで英仏の怒りを買って攻撃を受けたり、また第三次中東戦争中の1967年にもイスラエルの攻撃を受けたことで、運河は長く閉鎖していた期間があった。1974年のイスラエル軍撤退後、町は再建を初めた。現在では避暑地や非関税地域として発展を続けている。
6位 スエズ 74万人
エジプト北東部、スエズ運河の南端に位置する港湾都市。古代から紅海に面する重要な港湾都市だったが、15世紀、アフリカ南端の喜望峰ルートが発見されてからは廃れていた。オスマン帝国の重要な港湾軍事拠点であったが、栄え初めたのは、イギリスがインド貿易の拠点としてカイロとの間に鉄道を敷いてからからである。1869年にはスエズ運河も完成し、港湾都市として発展した。1960年代、中東戦争などにより運河は度々閉鎖され、町も破壊された。1973年に運河が再開されると町は復興した。メッカ巡礼の出発地としても有名である。
7位 マンスーラ 57万人
エジプト北部、ナイル・デルタに位置する都市。13世紀初頭、第5回十字軍に占領されていた近隣のディムヤートを奪還するため、アイユーブ朝スルタン・アル=カーミルが軍駐屯地として建設した。13世紀半ば、この地でマムルーク朝のスルタン、バイバルスが、仏ルイ9世率いる第7回十字軍を打ち破った。この際、地名も勝利を記念してアラビア語で「勝利」を意味する「マンスーラ」とされた。16世紀には、マンスーラを支配したオスマン帝国のナイル・デルタ地方の中心都市として発展した。中東戦争中の1973年10月14日にはイスラエル軍との間でマンスーラ空中戦が展開され、エジプト軍が勝利した。この勝利を記念し「空軍の日」が10月14日に定められた。現在は周辺で採れた農作物の集散地として栄えている。
8位 エル=マハッラ・エル=コブラ 54万人
エジプト北部に位置する内陸市。市名はアラビア語で「大野営地」を意味する。マムルーク朝時代は、ナイルデルタ中部の中心都市だった。現在はエジプト有数の農工業都市として有名で、エジプト最大の国有紡績企業・ミスル紡績の本社がある。
9位 タンタ 52万人
エジプト北部、ナイルデルタ中央部に位置する都市。イスラム神秘主義者のアフマド・アルバダビーがここを本拠として活躍し、彼の墓があるモスクで開かれるエジプト最大の聖誕祭(マウリド)は、毎年各地から多くの巡礼者を集める。カイロとアレクサンドリアを結ぶ鉄道の中間にあり、交通の要地、綿花の集散地として栄えている。
10位 ファイユーム 48万人
エジプトの北東部、首都カイロの南南西約90kmに位置する都市。ナイル川とカールーン湖との中間にあり、砂漠のオアシスとして古代エジプト時代より人々が住んでいた。エジプト中王国時代に町が作られ、当時は「シェデト」と呼ばれていた。当時作られた多数のピラミッドが今も残る。また市街北西部のカールーン湖近くの遺跡から、紀元前5000年頃のものとされる世界最古の亜麻布の断片が見つかっている。現在は周辺の農地で収穫された綿花や小麦の集散地として栄えている。
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