中国の都市・人口ランキングTOP50
中国の都市の人口ランキングです。
中華人民共和国 人口 : 14億1178万人 (2020年)
1位 上海 (直轄市) 2791万人
英:Shanghai/簡:上海。中国の直轄市であり、世界最大の人口を誇る都市。元代に市舶提挙司が置かれると港町として発展し始め、アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により条約港として開港。1920年代から1930年代にかけて、中国最大の都市として発展し、「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれた。中国の共産化後、外国資本は香港に逃げたが、1978年の改革開放政策により再び外国資本が流入し、目覚ましい発展を遂げている。面積は6,340km²で群馬県と同じくらいの大きさである。一人あたりのGDPは2万2560ドル(2020)。
2位 北京 (直轄市) 2096万人
英:Beijing/簡:北京。中国の首都であり直轄市。華北中央に位置する。春秋戦国時代には「薊(けい)」と称し燕の首都となるが、歴史的には常に北方の匈奴などの遊牧民族の侵入による被害を受ける辺境であった。秦漢時代に「北平」、その後「南京」、「中都」などと称され、モンゴル帝国時代に「大都」として中心地となった。明代には南京に首都が移され、再び北平と呼ばれたが、15世紀、北平を拠点とする永楽帝が政権を握ると遷都され、「北京」と称された。第二次大戦後一時北平の名に戻るも、共産中国成立後、再び北京に改称され現在に至る。台湾政府は現在も北京の公式名称として北平の名を使う。市の面積は16,810 km²で岩手県と同じくらいの大きさである。一人あたりのGDPは2万3908ドル(2020年)。
3位 重慶 (直轄市) 1646万人
英:Chongqing/簡:重庆。北京、上海、天津とならび中国に4つある直轄都市の一つ。他の直轄市とは異なり、下部の4県級市、18県、4自治県を持つ。重慶市内の人口は1646万人、下部自治体を含めた重慶直轄市(日本でいうところの都道府県レベル)全体の常住人口は3205万人に上る。長江上流の四川盆地東部に位置し、中国の直轄市の中で最大の面積(82,300 km²、北海道とほぼ同じ)を誇る。古代の巴国の地であり、南北朝時代には宋により「渝州」と命名され、12世紀、南宋の光宗により「重慶」と命名された。1891年に長江沿岸の港湾として対外開放され、1929年に重慶市政府が成立。日中戦争で南京陥落後、重慶に逃げた蒋介石の中国国民党を日本軍が無差別爆撃を行ったという歴史もある(重慶爆撃)。1895年の日清講和条約により対外開放され、外資、民族資本が投入され近代工業が興った。戦後内陸部工業化の重点都市となったが、改革開放後、内陸部からの資本の撤退により衰退し、目覚ましい発展を遂げた沿岸部の都市から取り残されてしまった。そのため1997年に内陸部振興のため直轄市に指定されている。現在では発展を遂げ、歴史遺産や独特な都市景観、食などにより多くの国内旅行者を集めている。一人あたりのGDPは1万1309ドル(2020年)。
4位 天津 (直轄市) 1382万人
英:Tianjin/簡:天津。華北海河の五大支流の合流する所に位置する、中国の4つの直轄市の一つであり、華北最大の貿易港である。隋代に京杭大運河が開削されると物流、軍事の一大拠点となった。1858年、アロー戦争で英仏連合軍に敗北すると天津は開港され、以後首都・北京の外港として急速な発展を遂げた。中華民国時代の1927年に天津市に昇格、日本軍撤退後は1947年まで米軍基地があった。1949年に直轄市に指定され、中国の工業及び貿易の拠点として現在に至っている。面積は11,760 km²で秋田県と同じくらいの大きさである。一人あたりのGDPは1万4726ドル(2020年)。
5位 広州 (広東省・副省級市) 1368万人
英:Guangzhou/簡:广州。北京、上海と並ぶ中国三大都市の一つであり、華南の中心都市。秦代にこの地に南海郡番禺県が設置されたのが始まりである。唐代には市舶司が置かれるなど、古代から中国の南海貿易の中心地である国際都市として発展し、南漢の首都ともなった。海禁政策を取った明代も広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、清代半ばの1757年からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と広東貿易が行われた。阿片戦争中の1841年には一時イギリス軍に占領される。中華人民共和国成立後も香港に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、1979年、鄧小平が対外経済開放政策を採用すると、深圳・珠海の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。面積は7,434 km²で宮城県と同じくらいの大きさである。一人あたりのGDPは1万9422ドル(2020年)。
6位 深圳 (広東省・副省級市) 1262万人
英:Shenzhen/簡:深圳。香港と接する経済特区であり、一大金融センター。1970年代まで宝安県という一集落に過ぎなかったが、イギリスの植民地であった香港と隣接する地理的重要性から1979年、省轄市として「深圳市」に昇格され、1980年には改革開放路線を採用した鄧小平の指示により深圳経済特区に指定されると急速に発展。わずか30年で人口は1000万人増加し、域内GDPでは隣の香港を抜いた。都市拡大の過程で外部より大量の労働者が流入して都市が形成されたため、広東省でありながら広東語が使われる比率が極めて低い地域である。現在深圳市にはスタートアップ企業が数多く存在し、「中国のシリコンバレー」とも呼ばれている。一人あたりのGDPは2万2846ドル(2020年)に上る中国有数の豊かな都市。面積は2,050 km²であり、人口も含め東京都と同じくらいのスケールである。
7位 成都 (四川省・副省級市) 933万人
英:Chengdu/簡:成都。四川省の省都であり、副省級市。豊かな成都平原の中にあり、古くから「天府の国」と呼ばれた。三国時代に蜀漢の都となったほか、4世紀初頭には、巴氐の李特が建てた成漢の主府、五代十国時代には前蜀・後蜀の都となる。 唐代には水運が開け、成都では隋末の戦乱もなかったため発展した。宋代に商業が発展し、以後西南中国の中心地となる。明代には四川布政使が駐在し、農民反乱軍の首領で大西皇帝を称した張献忠の拠点となったが、張献忠による人口の9割を超えるほどの殺戮と、清初期の抵抗運動や軍の反乱などにより、清前半までは荒廃が続いた。以後100年をかけ湖北省・湖南省・広東省から移民を入れ復興を果たす。成都は歴史的遺産が豊富で、1982年には国家歴史文化名城に指定されている。また2000年に始まった西部大開発の拠点都市として経済も活性化し、現在中国でもっとも住みやすい都市であるとの調査結果もある。面積は12,130 km²、一人あたりのGDPは1万2268ドル(2020年)。
8位 南京 (江蘇省・副省級市) 919万人
英:Nanjing/簡:南京。古くから長江流域・華南の中心地で、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(六朝)、十国の南唐や明、南京国民政府の首都であった。洛陽、西安、北京と並ぶ中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。南京の歴史は春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。14世紀、明の太祖・朱元璋がこの地を征服し、以後ここを根拠地として全土を統一するに至った。のち、「応天府」と改められ首都となる。15世紀には皇位を簒奪した永楽帝により首都が北京へ移され、当地は「南京」と改められる。辛亥革命により中華民国が成立すると一時的に臨時政府が置かれ、1927年には国民政府の首都となった。日中戦争中の1937年には日本軍によって占領され南京大虐殺が起こる。第二次大戦後の国共内戦の結果、中華民国政府は撤退したが、現在も台湾政府は南京を「公式な首都」としている。面積は6,596km²、一人あたりのGDPは2万3064ドル(2020年)。
9位 武漢 (湖北省・副省級市) 848万人
英:Wuhan/簡:武汉。華中地域ないし長江中流流域全域の中心都市。「百湖の市」とも呼ばれるほど市内に数多くの湖があり、水域面積は全市面積の約4分の1を占める。3800年の歴史をもつ国家歴史文化名城であり、上海、重慶とならぶ「長江流域3大コア都市」の1つ。長江と漢江の合流点に位置する古くからの水上交通の要衝であり、商都として発展した。1858年の天津条約により開港されると、各国の租界が作られる。日中戦争時は一時、国民党政権の臨時首都となった。共産中国成立後の1949年、政治の中心・武昌(東部)、工業の中心・漢陽(西部)、商業の中心・漢口(北部)の3市(「武漢三鎮」)が統合されて武漢市が成立。1992年に対外開放都市に指定され、翌年に武漢経済技術開発区が正式に発足すると多額の外国資本が導入された。現在も高速鉄道の(北京-香港を結ぶ南北の)京港線と、(上海-成都を結ぶ東西の)滬漢蓉線が交わる地点に位置する、中国内陸部最大の交通中枢都市。面積は8,494km²で広島県とほぼ同じである。一人あたりのGDPは1万8367ドル(2020年)。
10位 西安 (陝西省・副省級市) 831万人
英:Xi’an/簡:西安。古くは中国古代の都・長安。西周、秦、漢、隋、唐など多くの国の王都となった。呼称も豊邑、鎬京、咸陽、長安、常安、大興、西京、大安、京兆、陝西、永興、安西、奉元と変遷する。隋唐代には人口100万を超える大都市となり、長安城は日本の平城京、平安京の築城にあたり強い影響を与えた。シルクロードの起点であり西域に近く、国際都市・政治の中心として長く栄えたが、宋代以降首都となることはなかった。清代に「西安」となり、現在に続く。面積は10,100km²、一人あたりのGDPは1万1216ドル(2020年)。
11位 杭州 (浙江省・副省級市) 787万人
英:Hangzhou/簡:杭州。上海市の西、銭塘江の河口にある副省級市。隋代以降、北京と結ぶ京杭大運河の南の終点として経済発展した。南宋時代は首都となり、当時人口124万人を擁する世界最大の都市となった。世界遺産の西湖を有する中国八大古都の一つ。「上に天有れば、下に蘇州・杭州あり」と称えられ、マルコポーロが「世界で最も華やかな街」と記すなど風光明媚な都市として今も中国中から多くの観光客を集める。現在はハイテク都市としても有名で、中国の大手IT企業アリババの本社なども所在する。面積は16,850km²、一人あたりのGDPは1万9563ドル(2020年)。
12位 東莞 (広東省・地級市) 745万人
英:Dongguan/簡:东莞。広東省、珠江デルタの北東部に位置する地級市。古くより「莞草」(イグサ)の産地で地名もそれにちなむ。水運の要地である虎門鎮を中心に街が形成され、アヘン戦争時には役人・林則徐が、英商人のアヘンを焼却処分した地として知られる。長らく現在の市域の多くは貧しい農村だったが、1980年代末に改革開放政策が取られてからは広州と深圳・香港の中間に位置する地理的な重要性から、香港、台湾、中国企業の工場が多く立地するようになった。特にパソコン部品は世界の供給拠点として重要な地位を占める。産業の発達により出稼ぎ労働者が急増し、それに伴い2010年代にかけ性風俗産業が発展。一説にはその規模は同市のGDPの10%に相当する500億元(約8500億円)にも達していたとも言われ、「性都」の異名を取るほどだったが、2014年に関連施設の一斉摘発が行われ性風俗産業は壊滅した。面積は2,465km²、一人あたりのGDPは1万3367ドル(2020年)。
13位 香港 (特別行政区) 742万人
英:Hong Kong/繁:香港。中国香港特別行政区、通称香港。唐代より近隣の広州が貿易港として栄えたため、当地には屯門が置かれていた。アヘン戦争後イギリスの植民地となり、香港島、九龍半島が永久割譲、新界が99年の期限で租借された。第二次大戦期、一時日本に占領されるも、戦後再びイギリス統治に戻る。その後も中国大陸の内乱に乗じて難民が続々となだれ込み、軽工業が発展。1997年、新界の中国への返還に伴い、香港島と九龍半島も返還。一国二制度の下、英米法による香港基本法に基づき中国大陸とは異なる政治制度を有する。自由経済を特徴とする、ロンドン、ニューヨークと並ぶ金融センターであり、多くの欧米企業がアジア本社を構える。富裕人口が多い一方深刻な所得格差も存在する。山岳部や島嶼部に豊かな自然が残る反面土地が不足し、超高層建築の集積率は世界で最も高い。世界有数の人口密集率は地価の過剰な高騰と、高度な公共交通機関網の発達をもたらした。現在ではGDPの8割をサービス産業が占め、外食産業や映画産業、観光業が発展。外国人旅行者数が世界一多い都市であるとする調査もある。公用語は「中文」と「英文」だが、実際は広東語が広く話されている。中国返還時は中国の国内総生産に占める香港の割合は30%に近かったが、中国経済の発展により現在では3%ほどとなるなど、国内における香港の存在感は急速に薄れている。しかし、一人あたりのGDPは北京や上海の二倍ほどの4万8929ドル(2020年)と、まだ中国国内では飛び抜けて高い。面積は1,106 km²と東京23区の二倍弱である。
14位 仏山 (広東省・地級市) 741万人
英:Foshan/簡:佛山。広東省のほぼ中央に位置し、省都の広州市に隣接する地級市。古代は百越諸族の居住地であったが、前漢武帝による南越国滅亡により中原に支配される。唐代に3体の銅の仏像が発掘され、近くに塔坡寺が建てられたことから「仏山」と改められた。また付近の仏教の中心地ということで「禅城」とも称される。明代は窯業が隆盛であり、江西省景徳鎮、湖北省漢口鎮(武漢市)、河南省朱仙鎮とともに中国四大名鎮に数えられていた。改革開放政策が実施されると香港やマカオに近接した立地条件もあり、仏山は珠江デルタ地帯の中心的な工業都市として発展。1978年から2004年までに経済規模は50倍に発展した。改革開放の初期に外資を導入した地域であり、現在は中国における重要な輸出貿易工業の拠点、広州市を中心とする広仏経済圏の中心地である。面積は3,814 km²であり、人口、面積とも埼玉県のスケールに近い。一人あたりのGDPは1万6509ドル(2020年)。
15位 瀋陽 (遼寧省・副省級市) 739万人
英:Shenyang/簡:沈阳。遼寧省の省都。瀋陽の歴史は大変古く、7200年前の定住集落が発見されている。しばらくは地域の重要な地方都市的な位置にあったが、17世紀初、満洲族のヌルハチが後金を建国し、瀋陽を都城と定めた。1634年には「盛京(満州語:ムクデン・ホトン)」と改称された。その後、「清」と国号を改めた後金は、明朝滅亡後の中国を支配し北京に遷都するが、盛京はその副都に据えられた。日清戦争で遼東半島の領有権を得た日本の進出を阻止したこと(三国干渉)の見返りとして、清から鉄道の敷設権を得たロシアが1903年に東清鉄道南満州支線を完成。地域はロシアの勢力下に入り、日露戦争中の1905年には奉天会戦の舞台ともなった。清朝滅亡後、瀋陽県と改称される。その後は中華民国臨時政府を巡る混乱の中、1923年に奉天市、1929年に瀋陽市と改称されている。日本占領の満州国時代は奉天市と再度改称。戦後瀋陽市に戻る。2004年に瀋陽故宮ならびに東陵、北陵などが世界遺産に登録された。面積は12,940km²、一人あたりのGDPは1万554ドル(2020年)。
16位 蘇州 (江蘇省・地級市) 707万人
英:Suzhou/簡:苏州。上海の北西、長江の南側にあり、太湖の東岸に位置する。古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、9つの古典庭園が世界遺産に登録されている。古来より北京と蘇州南を結ぶ京杭大運河の通過地となり、江南の主要都市として栄えた。春秋時代に呉の都が置かれ、五代十国時代には呉越国の都となった。近郊の上海が発展して以降その地位は低下したが、今も南京と並び江蘇省の主要都市である。運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて「東洋のヴェニス」と呼ばれる。面積は8,488km²で兵庫県と同じくらいの大きさである。一人あたりのGDPは2万2939ドル(2020年)と国内では上位にある。
17位 哈爾浜(ハルビン) (黒竜江省・副省級市) 654万人
英:Harbin/簡:哈尔滨。中華人民共和国東北部に位置する副省級市。漢代より様々な民族に管轄されるも森林地帯であった。本格的な開発が着手されたのは清になってからである。1898年、ロシア帝国により満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、交通の要衝としてロシア人を中心に人口が急増。1907年、清朝はハルビンを対外交易拠点とすることを決定し「浜江庁」を設置した。ロシアも同年、同市の7,000k㎡の地域を市区と定め清朝に対抗したが、清が中華民国となりその支配が既成事実化するとロシアは撤退していった。満洲事変が勃発し、日本により満洲国が建国されるとハルビン特別市が成立。満洲からロシア・ヨーロッパ方面への鉄道輸送の要衝として発展し、1940年には人口が60万人に達した。満洲国崩壊後の国共内戦の結果、共産党が1946年にハルビンの支配権を獲得するとハルビン特別市政府を設立。1954年、省の合併により黒龍江省に移管され、省人民政府が設置され現在に至っている。面積は53,523 km²とかなり大きい。一人あたりのGDPは1万1671ドル(2013年)。
18位 大連 (遼寧省・副省級市) 580万人
英:Dalian/簡:大连。中国の東海岸、遼東半島の最南端に位置する副省級市。魏晋の時代より「三山」、「三山浦」、「三山海口」、「青泥窪口」などと呼ばれてきた。「大連」と呼ばれるのは19世紀末、清が大連湾に砲台を築き町が形成されてからである。日清戦争後の1898年、仏独露による日本に対する三国干渉の結果、ロシアは日本が放棄した大連や旅順を含む遼東半島南東部を租借。大連はロシア語で「遠い」を意味する「ダルニー」と改称された。ダルニーはロシアにとって貴重な不凍港であったため、(シベリア鉄道と繋がる)東清鉄道の終着駅を設置した。その後パリをモデルにした都市づくりが進められるが、本格的に発展するのは日本占領後である。1905年、日露戦争により当地を獲得した日本は都市名を「大連」に戻しインフラ整備を進め、大連駅を始め現在に続く旧市街の街並みをほぼ完成させた。1930年代には満州国の主要貿易港となり、人口も60万人を超える。太平洋大戦末期、ソ連の対日参戦によりソ連が大連を支配したが、ようやく1951年になって中国に返還。そのため大連は戦後の国共内戦を逃れている。一時旅順と合併し「旅大」と改称するも、1981年に現在の名前に戻る。1990年代の改革開放経済のもと目覚ましい発展を遂げ、特に1984年に設置された「大連経済技術開発区」には日本企業が多く進出するなど、現在も日本との繋がりが深い。面積は13,240km²で長野県と同じくらいである。一人あたりのGDPは1万3680ドル(2020年)。
19位 青島 (山東省・副省級市) 576万人
英:Qingdao/簡:青岛。山東省、山東半島の南の付け根に位置する港湾都市。国家歴史文化名城。歴史的に山東半島の港は半島北部に集中し、南に位置する青島は辺鄙な漁村に過ぎなかった。街の発展は、国防上の観点からこの地に海軍の軍事施設が建設された清代末期からである。1898年、日清戦争後の仏独露の三国干渉のどさくさに紛れて、ドイツが清から99年間の期限で港を租借。ドイツはこの地を極東における本拠地とした。青島はドイツのモデル植民地として整備され、今なお西洋風の町並みや青島ビールなどにドイツ文化の名残が見て取れる。第一次大戦で日本がドイツからこの地を奪取するも1922年に中国に返還。しかし1937年の日中戦争により再び日本の支配に下る。第二次大戦後、一時米軍司令部の所在地となった。1984年に対外開放され、近代的な港湾都市として発展した。現在も中国の海洋産業の中心都市であり、リゾート地としても有名である。面積は11,282 km²、一人あたりのGDPは1万7851ドル(2020年)。
20位 鄭州 (河南省・地級市) 553万人
英:Zhengzhou/簡:郑州。華北平原の西端に位置する都市。殷代は首都ともなった、3500年の歴史を有する国家歴史文化名城であり、中国八大古都の一つである。隋代より「鄭州」と呼ばれる。歴史上たびたび黄河の水害を受け、経済はあまり発展しなかった。日中戦争時の1938年には、侵攻する日本軍から撤退を図る国民党軍が日本軍を撒くために黄河の堤防を破壊したため大氾濫が起き、鄭州は被災者1250万人、死者89万人の大被害を被った。20世紀始めに東西を貫く鉄道の隴海線、南北を貫く京広線が建設され、鄭州はその交差点となったため経済がようやく発展を始めた。2001年からは旧市街の東部に人口150万人規模の新都市・鄭東地区を建設している。面積は7,507km²、一人あたりのGDPは1万3811ドル(2020年)。
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