カンボジアの都市・人口ランキングTOP10

カンボジアの都市の人口ランキングです。


カンボジア王国 人口 : 1671万人 (2020年)


1位 プノンペン 218万人

カンボジア中南部に位置する同国の首都。都市名は町の起源となったペン婦人の寓話に因み、クメール語で「ペン婦人の丘」を意味する。メコン川やその支流のトンレサップ川ほか多くの河川が集まる、古くからの水上交通の要衝である。14世紀にクメール人によって町が作られ、15世紀、シャム(タイ族)との戦争によりクメール王朝の首都アンコールが陥落したため、半世紀ほど王朝の首都がプノンペンに移された。その後シャムやベトナムといった両隣の国が地域の主導権を握るなか、クメール王朝は没落。しかしその間もプノンペンは海外との交易で栄えた。19世紀半ばからフランスによる支配が始まると、1866年に植民地首府がプノンペンに移され、その後仏領インドシナ時代を通じカンボジアの中心地となり、「東洋のパリ」とも称された。1953年のカンボジア独立後も首都。1965年、隣国でベトナム戦争が勃発しカンボジア国内も不安定化する。ベトナム戦線がカンボジア国内にまで拡大すると、その混乱に乗じて中国の支援を受けた共産主義者ポル・ポトによるクメール・ルージュが実権を握り、1975年にプノンペンが支配された。ポル・ポトの原始共産主義の思想により、プノンペンでも知識人はじめ市民の大量虐殺や農村への追放が行われ、1979年、ベトナムに亡命していたカンボジア人らによる「カンプチア救国民族統一戦線」の侵攻によりポル・ポト政権が崩壊した際には、かつて200万人いたプノンペンの人口は5000人にまで減少していたと言われる。その後、統一戦線を支援するベトナム軍勢力と、統一戦線とつながる共産ベトナムと対立しているがため、アメリカら西側に支持されていたポル・ポト派らとの間で内戦が続いていたが、1989年にベトナム軍が撤退し内戦が終結。1993年のカンボジア王国成立以降は、フランスや日本など外国企業の旺盛な投資などもあり急速な発展を遂げ、1998年に86万人だった人口は現在200万人を超えている。


2位 シェムリアップ 22万人

カンボジア北部、トンレサップ湖北のほとりに位置する都市。市内は、産業革命以前の世界最大都市とも言われる、9世紀から15世紀までのクメール王国の王都アンコールの一部にあたる。15世紀にシャム人に敗れてからはシャムの地となったが、16世紀にアン・チャン1世がシャムからアンコールを奪還。それを記念して当地は「シャムの敗北」意味する「シェムリアップ」と名付けられたという説がある。しかしカンボジアの衰退とともにアンコールは急速に衰退。19世紀末にカンボジアを支配したフランスに発見された時にはアンコールは森に覆われ、シェムリアップも小村に過ぎなかった。20世紀前半にかけフランスはアンコールの木々を取り除き、観光地として整備。高級ホテルも開業した。1941年、フランスとタイのカンボジア領有をめぐる紛争を日本が仲介した「東京条約」によって一時、日本の友好国のタイ領となる。戦後フランスに返還されたが、カンボジア独立後のポル・ポト政権時代に再びシェムリアップは世界から閉ざされ、クメール・ルージュ政権が終わった後も1990年代初頭までまで森林に逃げ延びたポル・ポト派によるゲリラ攻撃が続いた。しかし1992年にアンコール遺跡群が世界遺産に登録され、カンボジアが政治的安定を取り戻すと、観光地として復活。多くの外国人観光客が訪れるようになり、多くのホテルやレストランが再開・新規開業した。観光業の発展とともに1987年に1万3000人ほどだったシェムリアップの人口は、現在は20万人を超えている。


3位 バッタンバン 15万人

カンボジア西部、トンレサップ湖の西に位置する都市。プノンペンとタイの首都バンコクとの中間点に位置し、バンコクへの鉄道の玄関口でもある。11世紀、クメール王朝時代に町が形成される。1795年にシャム領に組み入れられるが、1907年に仏領インドシナのカンボジアに編入。しかしその後タイとフランスとの間で係争地となったため、日本の仲介により1941年に「東京条約」が成立し、タイ領となる。終戦により1945年にフランスに返還され、カンボジア独立後は同国領。カンボジア有数の穀倉地帯で、フランス時代のコロニアル建築が多く残っている。


4位 タクマウ 9万人

カンボジア中南部、首都プノンペンから11km南に位置する都市。住民の約6割がプノンペンに通勤する、プノンペンの衛星都市である。17世紀ごろまで荒れ地だったが、その後クメール人のみならず、多くの中国人の入植によって町が形成されたため、市内には多くの中国風寺院が残っている。


5位 ポイペト 7万人

カンボジア北西部に位置し、タイとの国境に接する。カンボジアの内戦時代はタイへ避難する難民が押し寄せた。現在はタイ人観光客を相手としたカジノが作られ、ポイペトの重要な外貨獲得手段の一つとなっている。太平洋戦争時代、日本軍がプノンペンからポイペトを通過しバンコクに至る鉄道を敷設していたが、戦後長らく内戦やタイとの関係悪化などにより放置されていた。しかし2018年にアジア開発銀行の支援の下、プノンペンからポイペト区間の鉄道を再整備。2019年にはポイペトからタイ国境をまたぐ区間も整備され、久方ぶりにプノンペンからバンコクへ鉄道が通じることとなった。近年は日本やタイの資本が入った経済特区も形成され、経済成長が続いている。


6位 シソポン 7万人

カンボジア北西部、シェムリアップの西約100キロメートルに位置する都市。町の北の外れにクメール王朝時代のバンテアイチュマール遺跡があり、全盛期には最大20万人ほどの人口がいたという。19世紀にフランスに支配されるまで、15世紀からシャムの配下にあった。プノンペンからバンコクへの東西の道とバッタンバンから北への道が交差する、交通の要衝である。


7位 シアヌークビル 7万人

カンボジア南部、タイランド湾に望む港湾都市。それまで外洋からプノンペンの河港に至るには、南ベトナムを流れるメコン川を経由しなくてはならなかったが、南ベトナムとの関係が悪化したため、1959年にフランスの支援により「コンポン・ソム」と呼ばれたこの地に国際港が整備された。都市名も国王にちなみ「シアヌークビル」に改称される。1963年にはアメリカの支援によりプノンペンに通じる道が整備され、1964年に同国の副首都に指定。翌年には国内最大の貿易港へと成長した。1970年のロン・ノル将軍によるクーデターにより都市名も「コンポン・ソム」に戻されたが、1993年のカンボジア王国成立後、現市名に復帰した。2010年代ごろより中国資本によって海岸カジノリゾートの開発が進み「カンボジアのマカオ」化が進んだ。シアヌークビルのホテルや飲食店などの9割ほどを中国資本が占める状態に至ったが、2019年、フン・セン政権がオンラインカジノ禁止に乗り出したため中国資本の開発が一時停止するなど、目下混乱が生じている。


8位 プティサト 6万人

カンボジア西部、トンレサップ湖の西約20kmに位置する町。地名は、ゴータマ・ブッダがその上に座り悟りを開いたとされる菩提樹が流れ着いた寓話に由来し、市名は中国語では「菩薩」と表記される。19世紀、タイとベトナムがカンボジアを巡って争った泰越戦争の結果、一時ベトナムのグエン朝に支配されていた。周辺は農村地帯だが、近年急速に成長している。


9位 コンポンチャム 5万人

カンボジア南部、トンレサップ湖とプノンペンの中間、メコン川流域に位置する町。町の名前は、(ベトナム中部で2世紀末から19世紀まで続いた「チャンパ王国」を建国した)チャム族の港、という意。現在もチャム族が多く居住する。2001年、コンポンチャムにおいてカンボジアで初めてメコン川を渡る橋が日本政府の支援によって架けられ、名前も日本の援助に因み「きずな橋(Kizuna Bridge)」と名付けられた。


10位 コンポンチナン 5万人

カンボジア中部、トンレサップ湖すぐ東、トンレサップ湖とメコン川を結ぶトンレサップ川沿いに位置する町。モンスーン期の川の水位上昇に対策するため、多くの人が高床式の住居に住んでいる。米の生産がさかん。


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