世界の都市人口ランキングBEST100(行政単位別)

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61位 スーラト (インド) 459万人

スーラト

インド北西部にある港湾都市。ムガル帝国時代より主要な商業・貿易都市であった。 1608年、イギリス東インド会社の商船隊が寄港し、 1612年に商館が設けられると、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルの商船でにぎわった。17世紀前半まではインド最大の貿易港であったが、17世紀後半にマラーター王国による攻撃を受けて衰退。そのためイギリスはムンバイに商業拠点を移した。インドでも清潔な都市として知られ、現在でもインドの重要な貿易港である。


62位 烏魯木斉(ウルムチ) (中国) 457万人

ウルムチ

中国北西部・新疆ウイグル自治区に位置する地級市、自治区首府。「ウルムチ」と読み、モンゴル語で「美しい牧場」を意味する。標高915mのジュンガル盆地中心に位置し、四方どの海からも2300km以上離れているため「世界でもっとも海から遠い都市」とも言われる。住民には漢民族のほかウイグル、カザフ系が多く、文化的にはイスラム圏に属する。漢代には車師後国の中心であり古来天山北路の要地でもあったが、その後遊牧民族の支配を受ける。烏魯木斉の都市としての歴史は比較的新しく、18世紀、清がジュンガル王国征服のための城塞・烏魯木斉都統を築いたことに始まる。その後、反抗者を教え導くという意味の「迪化(てきか)」と改められ、西方の交易の中心として発展した。19世紀、新疆省として再編成されるとその省都となり、共産中国成立後の1955年、自治区主都として「烏魯木斉」に改名。皮革、羊毛などの集散地として発展した。1990年代の東側諸国の崩壊後、中央アジアの国々の独立に刺激され、新疆ウイグル自治区の独立運動が激化した。


63位 昆明 (中国) 456万人

昆明

中国南部の雲南省・雲貴高原の海抜1950メートルに位置する都市。古くは「西南夷」とよばれチベット、タイ族、ミャオ族などが居住した。8世紀にチベット・ビルマ系の南詔に征服されると「拓東城」の名で歴史に現れる。13世紀、元に支配されると「昆明県」が置かれ、明代には雲南省の省都となった。近代以降はミャンマー、ラオス、ベトナムなど海外への交通の起点となっている。テン池周辺地域などに名勝が多く、国家歴史文化名城に指定されている。また一年を通じて寒暖の差が少なく、「常春の都」とも言われる。


64位 長春 (中国) 453万人

中国北東部、吉林省に位置する副省級市。古代はツングース系の居住地であり、南北朝時代以降は高句麗の北辺となった。18世紀に本格的に農業が始まると人口が増加し、長春庁が設置された。19世紀、日清戦争後の(仏独露)三国干渉による清からの見返りとして、ロシアが東清鉄道の支線を敷設。その後日露戦争で勝利した日本が、長春以南の鉄道支線権をロシアから譲り受けて南満州鉄道株式会社を設立した。長春駅を新設し、南満鉄は周辺の商業地・住宅地を開発して近代風建築が並ぶ新市街を作った。1931年、日本の支配に入り満州国が建国されると「新京」と改称され、同国の首都となる。満州国崩壊後の国共内戦時は、共産党による長春包囲戦によって市民の三分の二にあたる数十万人が餓死する惨事が起きた。しかしこの結果中国は、戦後のどさくさに紛れて占領していたソ連から長春を奪還。共産中国が成立すると正式に中国に組み込まれた。現在は中国における自動車工業と映画産業の拠点である。


65位 カブール (アフガニスタン) 443万人

標高1800mに位置する、3000年以上の歴史をもつアフガニスタンの最大の都市であり首都。歴史的建造物や美しい庭園も多い。アレクサンドロス大王の東方遠征以来、中央アジア・ペルシア勢力がインドへ侵入する際の通り道となった。7世紀にアラブ人、13世紀には元に征服される。18世紀に新統一国家、アフガニスタンの首都となる。19世紀、インド防衛を巡るイギリスとロシアのアフガン戦争では、中間点のカブールが英軍に占領され、虐殺事件も起こった。1921年にアフガンは英露から独立したが、1979年に内乱に乗じたソ連のアフガン侵攻が始まるとカブールは占領され、多大な被害を受けた。1996年からは軍事政権・タリバンによる支配が始まり、実質の首都機能は南部のカンダハルに移転。タリバンによる支配は2001年の米軍のアフガン侵攻まで続いた。2001年11月に米軍がカブールに無血入城の後、アフガニスタン・イスラム共和国が成立したが、2021年の米軍撤退の後政権に復帰したタリバンは、「アフガニスタン・イスラム首長国」の成立を主張している。


66位 汕頭 (中国) 442万人

汕頭

中国南部、広東省東部に位置する地級市。中国5大経済特区の一つ。宋代に村落が形成され、元代には「廈嶺」と呼ばれた。清代に「沙汕頭砲台」が築かれ、略して「汕頭」と呼ばれるようになる。19世紀の第二次アヘン戦争後、それまで使用していた隣の潮州港の治安が悪化したため、汕頭は代替港として開港。これ以降、広東省東部の玄関口として発展した。1981年には近くの深圳や珠海と並んで経済特区が設置されている。


67位 ナイロビ (ケニア) 439万人

アフリカ中部東、ケニアの首都。赤道に近いが海抜1798メートルの高原に位置するため、気候は年間を通じて涼しい。都市名はマサイ語で「冷たい水の場所」を意味する。19世紀末、イギリスによって鉄道工事の基地として建設され、1907年に英領東アフリカの首都となる。交通の要衝であり、冷涼な気候と水に恵まれ肥沃な農地を有するため、移住者が急増した。英本国からも移住者が増加したが、彼らは気候のいい高原部である市西部に集中して入植し「ホワイト・ハイランド」を形成。市東部はインド人と黒人居住区に指定され、劣悪な環境におかれた。1963年のケニア独立後、ナイロビへの人口流入はいっそう急激となり、街東部に広大なスラム街が生まれ治安の悪化を招いた。コーヒー、紅茶、サイザル麻などの集散地。都心部には高層ビルが建ち並び、東アフリカの中心的都市として多くの国際機関がある。また町近郊にナイロビ国立公園があり、多くの観光客を集めている。


68位 アビジャン (コートジボワール) 439万人

アビジャン

コートジボワール南部に位置する同国の旧首都であり最大の都市。長らく小さな村であったが、1893年にフランス領コートジボワールが成立した後、フランスは大西洋に面する同地から先住民を追放してアビジャン市を建設。1934年には植民地主都に定められた。1960年にコートジボワールが独立すると、開放政策によりアビジャンはさらに開発が進み、西アフリカ諸国から多くの移民も受け入れた。1983年に同国の首都は内陸部のヤムスクロに遷都したが、現在もアビジャンは同国の政治、経済の中心となっている。


69位 合肥 (中国) 439万人

中国・上海の西に位置する地級市。長江と淮河の中間にある水陸交通の要衝。秦代に合肥県として始まり、南宋時代は異族の金に対する防衛の最前線となった。周辺は農耕地帯で、合肥は小麦や米を集散する中心地として発達した。戦後、旧城壁が取り払われて環状道路が建設され、城のお堀は環城公園となった。また旧市街の南には広大な新市街地が広がっている。


70位 ダルエスサラーム (タンザニア) 436万人

アフリカ中部、太平洋に面するタンザニア最大の都市で、かつての首都。19世紀、対岸にあたるインド洋ザンジバル島のザンジバル・スルタン国によって建設される。1887年にドイツが進出し、1895年「独領東アフリカ」の主都となった。第一次世界大戦でドイツが敗北するとイギリスの支配下に入り、「英委任統治領タンガニーカ」の中心都市となる。これにより同じ英領のインドから多くの移住者を受け入れた。第二次世界大戦後の1961年にタンガニーカが独立すると、1965年にタンガニーカはザンジバルと合邦して「タンザニア連合共和国」が成立。ダルエスサラームがその首都となった。1973年、首都は内陸部のドドマに移されたが、国会を除く官公庁や中央銀行をはじめとする主要な機関のほとんどが現在もダルエスサラームに残っている。


71位 ギザ (エジプト) 432万人

ギザ

エジプト第三の都市。ナイル川中流の西岸に位置する、古代エジプト以来の都市である。クフ王のピラミッドをはじめとする「三大ピラミッド」と大スフィンクスがある遺跡の町として有名である。7世紀にエジプトを征服したアラブ人が現在のカイロの地にエジプトの首都を置いて以来、ギザは首都近郊の都市として発展した。19世紀以降現在に至るまで、ギザのピラミッドとスフィンクスは、外国人が必ず訪れる観光名所となっている。


72位 シドニー (オーストラリア) 432万人

*オセアニア最大

タスマン海に面する、オーストラリア最大の都市。4万年前からアボリジニが定住。1770年にジェームズ・クックにより発見されると1788年にイギリス人が入植し、オーストラリア最初の植民都市となった。都市名はクックの後援者・シドニー卿トマス・タウンゼントにちなんだもの。当初は流刑植民地であり大部分は囚人であったが、1847年には囚人が全人口にしめる割合はわずか3.2%にまで低下。囚人の人口が減少するにつれ商業が活発化し、1850年にはオーストラリア初の大学・シドニー大学が創設された。シドニーは19世紀前半まで、オーストラリアの6つの英植民地最大の都市だった。1851年に近隣でゴールドラッシュが起こると、シドニーの人口は急激に増加。しかし、メルボルンのほうが航路上本国イギリスに近いことから繁栄し、19世紀後半にはシドニーはオーストラリア第2位の都市に後退した。この頃からシドニーとメルボルンとの敵対感情が強くなる。1901年にオーストラリア連邦が成立すると首都は一時的に最大都市メルボルンに置かれたものの、その後両都市の敵対関係を考慮して中間地点にあるキャンベラに遷都された。20世紀初頭にシドニーはメルボルンを人口で追い越し、それ以来現在に至るまでシドニーは国内最大の都市である。


73位 寧波 (中国) 428万人

中国・上海の南に位置する、国家歴史文化名城にも指定されている浙江省の副省級市。7000年前の稲作文化を伝える河姆渡遺跡の地であり、春秋時代は越、戦国時代中期に楚に支配され、紀元前3世紀に秦に統一される。地名は唐代「明州」、南宋で「慶元府」、元代は「慶元路」、明代に「明州」の呼称に戻り、清代に「寧波府」と呼ばれた。長江下流の海の窓口として発展。遣唐使が入港し、宋、元の時代にも日本の仏僧が遊学した。海禁政策をとった明代には寧波が日本船の指定港となるなど日本との繋がりは深い。アヘン戦争後の1842年の南京条約で対外開港したが、長江デルタの経済的中心地は同時に開港した近隣の上海に移ってしまった。しかし現在も寧波港は年間貨物取扱量世界一を誇る貿易の中心地である。


74位 石家庄 (中国) 421万人

石家庄

中国・北京の南西に位置する地級市。清代末期の20世紀初頭まで小村に過ぎなかったが1902年、北京と広州を結ぶ鉄道・京広線が敷設され駅が設置されると発展。現在では京広鉄道のほか石家荘と太原を結ぶ石太鉄道、同じく石家庄と徳州を結ぶ石徳鉄道の3つの鉄道が交差する鉄道交通の結節点となり、河北省の中心地として大きく発展している。


75位 メルボルン (オーストラリア) 418万人

オーストラリア大陸南東部、ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港町。先住民族クリンの地であったが、ヨーロッパの移民により持ち込まれた病気により、クリン族は滅びた。1837年、英国首相メルバーン卿にちなんで「メルボルン」と名付けられる。石やレンガでビルが建てられ、ニューサウスウェールズ植民地の中心地となった。1850年代に近隣でで金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、シドニーよりも英国に近い地理特性を活かし急速に発展した。1880年代はシドニーを抜き大英帝国内でも2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」として知られた。今日でも市内にはヴィクトリア時代の建築物が多く残る。1901年にオーストラリア連邦が成立してから、1927年にキャンベラに移転されるまで臨時首都。1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会が開催された。エコノミスト誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で度々首位を獲得し、ロンドン、ニューヨーク、パリに次いで世界の学生が学んでいる。


76位 カノ (ナイジェリア)  410万人

カノ

アフリカ西部、ナイジェリア北部に位置する内陸の街。サハラ隊商路の要地で、西スーダン地方の主要な市場町、金・塩・奴隷・象牙などを扱う交易拠点として発展した。 11世紀末から12世紀中頃までハウサ王国カノの首都。12世紀頃より、ムスリム商人の活動にともなってイスラム化した。 1820年代前半にイギリスの探検家が来訪し、1903年にイギリスの支配下に入る。1960年、ナイジェリアがイギリスから独立。 現在ではピーナッツの生産、集散地として知られる。アド・バイェロ大学があり、ナイジェリア北部における教育の中心地でもある。旧市街は周囲17kmの城壁に囲まれ、その外側にイギリスが建設した新市街がある。1991年には約60万人だった人口が、現在は410万人にまで急増している。


77位 新北 (台湾) 403万人

新北

台湾北部、台北市と基隆市をぐるっと取り囲むように形作られた、ドーナツ状の都市。首都・台北市のベッドタウンであるが、台北よりも多い台湾最大の人口を有する。元々は台湾省・台北県であったが2010年に直轄市に昇格し、「新しい台北」を意味する「新北市」となった。近年観光地として有名になった九份(きゅうふん)も新北にある。


78位 南寧 (中国) 399万人

中国南部、ベトナムにほど近い広西チワン族自治区の首府。紀元前3世紀、秦に征服され桂林郡に属す。その後、南越王国に属し、紀元前2世紀に漢の支配下に入った。明代以降は「南寧府」となり、20世紀初めには桂林に代わって当時の広西省の省都となった。1992年に対外開放都市に指定されている。


79位 太原 (中国) 398万人

太原

中国華北内陸・北京の南西、平均海抜800メートルの高地に位置する都市。紀元前5000年ごろの黄河文明の遺跡が多く残る文明揺籃の地。太原盆地の北端に位置し、洛陽周辺と北京周辺を結ぶ街道が盆地を通るため、古くから交通の要衝でもあった。北方の遊牧民族にとって太原は中国の中心・中原攻略の拠点であり、漢民族にとって北方の守りの要所であった。古くは「晋陽」、漢代は「并州」と呼ばれた。隋代には長安、洛陽に次ぐ黄河流域第三の都市となる。第二次大戦後、豊富な地下資源を活かし重工業や石炭業が栄えたが、改革開放後、発展していった沿岸部の都市に対して相対的な地位が低下した。また大気汚染などの公害や、郊外の黄土高原の砂漠化とそれによる砂嵐が問題となっている。


80位 ロサンゼルス (アメリカ) 389万人

ロサンゼルス

アメリカ西海岸の南に位置する都市。1781年にスペインによって都市が作られ「天使の女王の町」と名づけられた。その一部の「天使」が現在の地名となっている。1821年にメキシコがスペインから独立したことでメキシコ領となり、1846年の米墨戦争前後に「カリフォルニア共和国」として僅かな期間独立した後、1848年にメキシコに勝利したアメリカに組み込まれた。19世紀末に油田が発見されると工業が発展し街は拡大。温暖で天気がよく、地形も変化に富んでいたことから映画制作にうってつけで、20世紀初頭から北部のハリウッドで映画産業が栄えた。また第二次大戦中には航空機産業も急伸。1920年代以降、周辺のハリウッド、ビバリーヒルズ、サンタモニカなどを編入したこともあり、1900年に10万人だった人口は1960年には248万人にまで膨れあがった。世界に類を見ないほどの自動車偏重の都市であり、渋滞と大気汚染が問題となっている。地震の被害にもたびたび遭遇し、犯罪やドラッグ汚染も深刻である。また人種のるつぼのような都市であり、1992年には人種問題から発展したアメリカ史上最大規模のロス暴動が起きている。一方で同国最大の工業地帯として通信機、コンピュータ、自動車、航空宇宙産業など高度産業が発達し、世界のポップカルチャーの中心地でもある。2028年には1932年、1984年以来三度目の夏季オリンピック開催が予定されている。


81位 厦門 (中国) 380万人

アモイ

中国南東部・福建省沿海の地級市・副省級市。中国5大経済特区の1つ。中国語の発音は「Xiàmén (シァメン)」だが、閩南語読みのアモイ (Amoy)も有名。廈門島を中心に市街が広がり、隣の鼓浪嶼(コロンス島)は世界遺産である。台湾が大陸での実行支配を守った金門県金門島は厦門の目と鼻の先にあり、現在では行き来が可能である。普代から歴史が始まり、清代まで泉州に属す。明代に「廈門」という名が初めて使用される。17世紀、対外貿易を開始し東南アジア貿易の拠点として繁栄。また台湾の開発が進むにつれて台湾との交流も増大した。19世紀、アヘン戦争でイギリスに占領され開港。茶葉の積出港として欧州で知られるようになり、またコロンス島には共同租界が設置され、海外商社の商館が多く進出した。日中戦争では日本に占領される。戦後の1981年に経済特区が設置され、主に対岸の台湾資本を集めて経済成長を遂げている。世界に散らばる多くの華僑の出身地であり、タイ、シンガポール、フィリピンが領事館を置いている。


82位 横浜 (日本) 377万人

横浜

首都東京から南に約30kmに位置する、日本第二の都市。東京のベッドタウンでもある。12世紀、南の鎌倉に鎌倉幕府が置かれたころから開発が始まり、幕府の海の玄関口となった。江戸時代には神奈川湊として栄える。当時は、後の市名の由来ともなった、湾内に横に長く伸びた砂州上(現在の山下公園周辺)に人が住んでいるだけだった。1858年締結の日米修好通商条約により開港すると外資が多数流入し、急速に国際都市として発展。東京の外港として、西の神戸とともに海洋貿易の中心地となる。その過程で洋館が多く建てられ、国内有数の中華街も形成された。1889年に市制移行。当時市域は横浜港周辺の5.4 km² にすぎなかったが、周辺自治体との合併や埋め立てにより現在は437.38 km²と、神奈川県最大面積を持つ自治体となった。関東大震災では壊滅的な被害に遭うも、政府の積極的な振興策により京浜工業地帯の中心地となる。第二次大戦後は1952年までアメリカ軍に横浜港が接収されたが、日本の復興とともに横浜港の取扱量は増え、現在は外貿コンテナ取扱個数日本2位、クルーズ船寄港数日本1位を誇る。


83位 福州 (中国) 377万人

中国南東、閩江の下流域に位置する福建省の省都。福建省の「福」は当市に由来する。ガジュマルの木が多いことから「榕城」とも称され、国家歴史文化名城に指定される古い都市である。唐代に「福州」と呼ばれるようになる。五代十国のひとつである閩国の首都となり、海外貿易などで栄えた。明代には朝貢国である琉球王国の指定入港地となり、琉球館が置かれた。17世紀には明の亡命政権・南明の都が置かれたこともある。アヘン戦争後対外開港し、イギリスによって埠頭や造船が作られ、倉山地区には多くの外国領事館が置かれた。茶の輸出などで発展。1984年に指定された14の沿海対外開放都市の一つとなり、現在では経済開発区に指定されている。また近年中国政府が推し進める「21世紀海上シルクロード」の中核都市の一つでもある。海外で活躍する多くの華僑の出身地の一つで、地理的に近い台湾と交流が深い。


84位 常州 (中国) 376万人

中国・上海の西160km、南京との中間に位置する地級市。北は長江に接し、南は太湖に近く、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が市内を貫流している。隋代以来、大運河に沿って市街が形成され、大運河の一部である「常州運河」が世界遺産に登録されている。周辺の穀倉地帯で収穫される農産品の集散地として発展。二千五百年の歴史を誇る風光明媚な街で、名所・旧跡が多く残る。織物、櫛、竹細工などの工芸品の産地としても有名である。


85位 温州 (中国) 374万人

温州

中国・上海の南、浙江省の東南沿海に位置する地級市。市域のほとんどは丘陵と山地で構成される。紀元前2世紀ごろより東甌国の首都となり、唐代に入り「温州」と呼ばれるようになる。歴史的に手工業が発達したが、南宋時代には対外通商港となり貿易で繁栄した。学問が盛んであり、南宋時代に永嘉学派と呼ばれる儒教の学派が形成され、官界で温州出身者が多く登用された。近代以降は温紅茶の輸出港として有名である。


86位 南昌 (中国) 372万人

中国華東地方江西省の省都であり、国家歴史文化名城。中国最大の淡水湖である鄱陽湖を北東に臨む。漢代の紀元前3世紀、当地に土城が築かれる。五代十国の時代には南唐の都となり、元代以後は江西省の省都となった。1927年8月1日に起きた、共産党による国民党打倒の武装闘争「八一南昌蜂起」の地。このことを記念し、市内には「八一」を冠した地名、建築が多い。市内には百花洲や滕王閣跡など名勝も多い。


87位 ベルリン (ドイツ) 366万人

ベルリン

ドイツ北東部に位置する同国の首都。ベルリンが最初に文書に現れたのは13世紀。プロイセン王国(1701-1918)やドイツ帝国(1871-1918)、ヴァイマル共和政(1919-1933)、ナチス・ドイツ(1933-1945)の首都であった。1920年に「大ベルリン」が成立し、市域は現在とほぼ同じ領域に拡大。当時、世界で3番目に大きな都市であった。第二次世界大戦後、ベルリンは東ドイツの首都である「東ベルリン」と、東ドイツ内にある西ドイツの飛び地として、周辺をベルリンの壁(1961年完成)で囲まれた西ドイツ領「西ベルリン」に分断された。西ドイツは首都をボンに置いた。西ドイツ本土と西ベルリンは空路または直通専用道路で往来が可能だった。1989年、ベルリンの壁が崩壊。1990年のドイツ再統一により1991年、ベルリンは再び統一ドイツの首都となった。以降、東西に分断されていた交通網を東西で直結する工事が行われ、インフラ整備や再開発が旧東ベルリン地区を中心に進行。東ベルリンの経済は大きく変動した。また再度首都と定められて以降、ボンから首都機能の移転も漸次進められ、作業は2001年に完了した。地方分権の歴史が長いドイツでは、司法の中心地はカールスルーエ、金融と交通の中心地はフランクフルトなどに分かれており、EU最大の都市でありながら、都市域の経済規模はロンドンやパリの6分の1程度と大きくない。しかし多様な建築、現代芸術、世界で最も居住に適した都市の一つであるなど、文化面で欧州をリードしている。


88位 イバダン (ナイジェリア) 364万人

イバダン

アフリカ大陸中部西、首都ラゴスの北に位置するナイジェリア南西部の商業都市。国内ではラゴス、カノに次ぐ第三の人口を有する。19世紀初頭、オヨ帝国から独立したイバダン王国の首都が置かれ、都市国家として栄えた。1893年にイギリス支配下に入り、1901年にはラゴスから鉄道が、1920年には自動車道が開通。ココア、タバコ、ヤシ油の集散地として栄えた。1951年にナイジェリア西部州の州都になった際には人口が40万を超え、アフリカ人が建設した最大の都市と言われた。


89位 ハノイ (ベトナム) 360万人

ハノイ

ベトナム北部の内陸に位置する同国の首都。ホーチミンに次ぐ人口を有する。商業の中心地のホーチミンに対し、ハノイは政治の中心である。3世紀末、中国・晋が大羅城を築き、7世紀に隋が当地を交州(ベトナム北部、中国南西部地域)の中心都市としたのがハノイの起源である。11世紀、ベトナム李朝が首都に定め、「昇竜(タンロン)」と改称。その後「東京(トンキン)」、「東都(ドンドー)」などと名前を変えながら歴代王朝の首都として繁栄した。19世紀の阮朝時代に中部のフエへ遷都され、「二つの川の間の町」を意味するハノイ(「河内」)に改称した。20世紀初頭よりフランスに支配されると仏領インドシナの総督府が置かれた。1954年以後の南北ベトナム分断時代は北ベトナムの首都となり、1976年の南北統一後は共産ベトナムの首都となった。もともとは中国風の都市であったが、フランス占領時代にホアンキエム湖周辺に作られたフランス風の町並みを始め、コロニアル様式の建築物が市内に多く残る。


90位 唐山 (中国) 358万人

唐山

中国河北省、渤海湾に面し、天津市の東に位置する地級市。4万年前のものと思われる遺跡があり、殷周代は孤竹国の首府。隋・唐代には高句麗への前哨基地となり、明代には石炭鉱工業、陶磁器生産の中心地となった。清代末は唐山鎮と呼ばれる田舎町だったが、19世紀末、清朝が開平炭鉱を開設したことで大きく発展。その後炭鉱は英国資本の支配下に置かれたが、中国近代工業発祥の地として知られている。1976年には唐山地震に襲われ、24万人を超す死者を出す大災害となった。現在は合併拡大した開灤炭鉱の中心地であり、鉄鋼・機械などの重工業が発達している。


91位 カサブランカ (モロッコ) 356万人

カサブランカ

モロッコ中部に位置し、大西洋に面する同国最大の都市。前10世紀ごろからベルベル人が定住したと言われ、この地は「アンファ」と呼ばれていた。7世紀には独立国家化していたが12世紀ごろからイスラムに侵略され、14世紀、マリーン朝によって完全にイスラム化した。15世紀に再び独立したが、アンファを拠点とした海賊船がポルトガルを襲ったため、怒ったポルトガルによって攻撃され、その支配下に置かれた。16世紀、ポルトガルによって町は整備され、都市名も「白い家」を意味する「カサブランカ」に改称される。しかし18世紀、大地震により壊滅的被害を受けるとポルトガルは撤退。現在まで続くアラウィ朝によってカサブランカは再建され、街は要塞化した。1907年から1956年まで占領したフランスが要塞の外側に新市街を広げ、官庁街や百貨店、ホテルなどが作られた。モロッコ最大の港湾都市であり、絨毯の産地としても有名。同国有数の観光都市でもある。


92位 ジッダ (サウジアラビア) 343万人

サウジアラビア西部、紅海に面する同国第2の都市。人類最初の女性といわれるイブの墓があることから、都市名はアラビア語で「おばあさん」を意味する。2500年前から漁村があり、7世紀に70Km東にあるイスラム教の聖地・メッカへの巡礼の拠点として港が整備されたことで発展。以後メッカの外港となった。1916年から1925年まで、イギリスに支援されたヒジャーズ王国の一部。その後イブン・サウード家に支配されサウジアラビアに統合された。長くサウジアラビア外交の中心地であり、外務省や各国の大使館が置かれていたが、それらは1983年に首都リヤドに移転した。今日もメッカ巡礼の拠点であり、歴史地区は世界遺産にも登録されている。


93位 貴陽 (中国) 334万人

中国南西部に位置する貴州省の省都。市内に森林が多いことから「林城」の別名がある。古来より少数民族が割拠。唐代に羈縻(きび)州を設置し、宋代に貴州と改称。雲南への交通の要地として発展した。名勝の多い風光明媚な貴州省の文化的中心地。一年を通じて寒暖差が少ない、中国有数の避暑地である。


94位 プサン (韓国) 334万人

釜山

韓国南部に位置し、日本の下関市や福岡市まで200kmほどの距離にある。15自治区1自治郡で構成され、韓国最大の港を有する。古代・加羅の地であり、いくつもの日本固有の前方後円墳が発見されていることから、ヤマト朝廷とも深い関係があったと思われる。15世紀の李氏朝鮮時代、富山浦として開港。当時は閑散とした漁村だったが、近郊に日本人居留地である倭館が設置され、江戸幕府と交易が始まると蝦夷地、琉球とともに海外で日本人が居住できる数少ない地域となった。1877年の日朝修好条規によって対外開港して以後、貿易港として発展。1949年に釜山府から釜山市に改称。1950年勃発の朝鮮戦争で北朝鮮軍によりソウルが陥落したため、(1953年まで)釜山が臨時首都となると、戦乱を逃れた難民がなだれ込み人口が急増した。1963年に釜山直轄市に昇格し、1995年に釜山広域市に改称。2000年、公式の英語表記が”Pusan”から”Busan”に変更された。


95位 ドバイ (UAE) 333万人

ペルシア湾に臨む、アラブ首長国連邦を構成するドバイ首長国唯一の都市。漁業や真珠の輸出を主産業とする小さな漁村だったが、1833年の内紛時にアブダビからマクトゥーム家が現在のドバイ・クリークに移住しドバイを建国。その支配は現在に続く。1853年にイギリスの保護国となると、英領インドなどアジアの英植民地とイギリスを結ぶ中継港となった。1959年にクエートから借りた資金と、1966年にドバイ沖で発見された油田によって得られた資金によって社会資本の整備が進んだ。1971年、イギリスが撤退し、周辺の首長国とともにアラブ首長国連邦を結成。石油依存経済からの脱却を目指し産業の多角化をすすめ、1985年には自由経済区「ジュベル・アリ・フリーゾーン」を開設。同年にエミレーツ航空も就航させるなど、海外から資本や労働者を多数受け入れた。石油依存度は下がり、今や経済に占める割合は2%程である。2006年に人工島・パームアイランド、2008年に世界最大のショッピングモールである「ドバイモール」、2010年には高さ838mの世界一の高層ビル、ブルジュ・ハリファが完成するなど、21世紀に入ってからの発展はすざまじく2005年には年率16%のGDP成長率を見せた。ここ10年で100万人近く人口を増やしているが、人口増加の主力はインドなどを中心とした外国人労働者で、現在外国人は全人口の8割を占めている。観光客も多く、2018年度は世界の都市では4位となる1579万人もの外国人観光客が訪れた。中東の金融センターとしての地位も確立している。


96位 マドリード (スペイン) 333万人

マドリード

スペインの中央、655mの高原に位置する同国の首都。もともとはイスラム系ムーア人の要塞だったが、9世紀、後ウマイヤ朝のムハンマド1世が現在の王宮の位置に宮殿を建設。近くを流れるマンサナーレス川がアラビア語で「水の源」を意味する「アル・マジュリート」と呼ばれ、それが市名「マドリード」の語源となった。キリスト教によるレコンキスタ(国土回復運動)がおこり、11世紀にレオン王国アルフォンソ6世がマドリードを奪取。モスクは教会に建て替えられ、イスラム教徒は15世紀に追放された。16世紀のスペイン王国成立後、フェリペ1世が宮殿をマドリードに移し首都となった。ちょうど遷都した時期はスペインの黄金時代であり、新大陸からの富によってマドリードは栄えた。セルバンテスやベラスケスらが活躍し、文化の中心地ともなる。しかし19世紀にフランスの侵略を追い払った後は経済的にしばらく低迷し、20世紀に入るとスペイン内戦の舞台ともなった。聖イシドロ大聖堂、カサデシスネロス、プラド美術館など史跡、文化施設が多い観光都市である。


97位 無錫 (中国) 332万人

中国・上海の北西、長江の南、太湖の北のいわゆる「長江デルタ」中心に位置する都市。一部飛び地がある。無錫周辺は、小さな河川が無数に流れる典型的な江南の水郷地帯であり、太湖からの水産物も豊富で「魚米の郷」と呼ばれた。7000年前からの居住や農耕の跡が発見されており、長江文明の地である。もともとはスズ(錫)が多く産出される「有錫」という名の鉱工業都市だったというが、取り尽くしてしまい「無錫(むしゃく)」となった。唐代以来、中国東沿岸を南北に貫く京杭大運河の通過地であり、江南の農作物を集め華北に送る地として栄え、太湖に面して城壁都市が形成された。経済発展に伴い多くの文人が無錫から生まれ、寄暢園、蠡園、梅園など多くの優れた庭園が今に残っている。20世紀はじめには「小上海」と呼ばれるほど繁栄したが、日中戦争で市街は壊滅した。改革開放後は中国有数の経済都市として目覚しい発展を遂げ、一人あたりのGDPは2万4035ドル(2020年)になるなど、国内では上位にある。


98位 アジスアベバ (エチオピア) 327万人

アフリカ大陸北東部、エチオピア中央に位置する同国の首都であり、政治、経済、文化の中心地。市名はアムハラ語で「新しい花」の意。アディスアベバはもともと避暑地であり、気候がよかったことから1889年、エチオピア帝国メネリク2世が当地に遷都した。1936年にイタリアに占領され、イタリア領東アフリカの首都となる。第二次大戦中はイギリスの支配下に入るもすぐにエチオピア帝国に戻る。戦後近代化が急速に進んだ。国連アフリカ経済委員会、アフリカ連合などの本部があり、アフリカの政治的な首都とも言われる。


99位 ファイサラバード (パキスタン) 321万人

パキスタン北東部に位置する、同国第三の都市。1977年までは、英国統治時代の知事に因み「ライアルプール」と呼ばれた。現都市名は、パキスタンに経済援助を行ったサウジアラビアのファイサル王に因む。もともと付近は森林地帯であったが、灌漑農業をおこなう入植地の中心として1892年に建設。英国旗・ユニオンジャックを模して、中心の時計塔から8本の道路が延びる街区を持つ。


100位 蘭州 (中国) 316万人

中国西北部、西安の北西に位置する。蘭州の名は隋代から続く。海抜1600mに市域があり、市内を東西に流れる黄河の南に市街が広がる。漢族の他に回族が多く、他にもドンシャン族、ユグル族、サラール族などイスラム系の住民が多い。西安(長安)から西に向かうシルクロードの要地であり、古来より河西地方の中心地だった。長安防衛の要地でもあり、歴代の王朝は蘭州に軍を常駐させた。現在は工業都市として発展を遂げている。


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