イランの都市・人口ランキングTOP10

イランの都市の人口ランキングです。


イラン・イスラム共和国 人口 : 8318万人 (2019年)


1位 テヘラン 869万人

イラン中北部、標高約1200mの高地に位置する同国の首都。テヘランを中心とした1300万人ほどの巨大都市圏を有する。紀元前6000年の住居跡が見つかっているが、9世紀ごろまで近郊のレイがこの地域の中心であり、テヘランは小村であった。13世紀、モンゴル帝国がレイを襲撃し破壊したため、人々がテヘランに避難してきたことにより都市の歴史が始まる。1786年、ガージャール朝のアーガー・モハンマド・シャーがテヘランに首都を移すと人口が増加。19世紀後半にはパリを参考に街が整備された。イランではそれまで王朝の交代とともに遷都が行われるのが常であったが、1925年に皇帝となったパフラヴィー朝レザー・シャーは首都を移さず、1934年からテヘランの近代化を推進。現在に続く都市の骨格が完成した。第二次大戦中、イランは親ナチス路線を取っていたため英ソ連両軍の侵略を受ける。戦後急速に発展するが、イラン革命後のイラン・イラク戦争ではスカッドミサイルの標的となるなど、度重なる空襲で街は甚大な被害を受けた。2013年の対米穏健派のロウハニ大統領就任後は街の欧米化が進んでいる。世界遺産に登録されているガージャール朝時代のゴレスタン宮殿や中東最大のバザールなど、多くの歴史遺産が残っている。


2位 マシュハド 300万人

イラン北東部、標高980mに位置する都市。日本では「マシャド」「メシェド」などとも呼ばれる。9世紀まで少村だっが、818年、シーア派第8代イマーム・レザーがこの地で毒殺され、その廟が作られるとシーア派の聖地として発展。都市名も「(イマーム)殉教の地」を意味する「マシュハド」と定められた。神学校も多くあり、コムと並ぶイスラム神学の中心地でもある。1736年から1747年にかけて、アフシャール朝初代皇帝ナーディル・シャーの下で一時イランの首都となった。国内でも保守派の多い土地であり、イラン革命に先立つ1978年、親米のパフラヴィー国王に反対する大規模なデモが発生した。


3位 イスファハーン 196万人

イラン中部、標高約1600メートルの高地に位置する都市。紀元前6世紀に始まるアケメネス朝ペルシア時代にはすでに町が存在していたとされ、3世紀に始まるササン朝ペルシア時代には主要都市となる。イラン最大の河川、ザーヤンデ・ルード川が市内を流れ、オアシス農業の中心地であった。7世紀にイスラムの支配下に入り、大モスクが建立される。10世紀、ブワイフ朝時代に首都となり、町は大きく発展。11世紀、セルジューク朝に支配された際も王都となったが、セルジューク朝分裂後は首都の座を失い荒廃。13世紀にモンゴル帝国の支配に下った時期に学術都市として一時繁栄を取り戻すも、モンゴル撤退後は再び混乱状態に陥った。16世紀に始まるサファビー朝時代に首都に定められるとイスファハーンは再び文化、経済、宗教の中心地となり、壮麗なマスジット・イ・シャー(シャー・モスク)が建立されるなど「イスファハーンは世界の半分」とも謳われる黄金時代が訪れた。しかし18世紀にアフシャール朝が都をマシュハドに移すと町は再び荒廃。20世紀に入りパフラヴィー朝レザー・シャーが町を再建してから再び人口は増加に転じた。近年は工業化が著しく、2015年には地下鉄も開通。旧市街のイマーム広場を中心にサファビー朝時代の建築が残り、イマーム広場は世界遺産に登録されている。


4位 カラジュ 159万人

イラン北部に位置する都市。首都テヘランの西30kmほどに位置し、テヘラン都市圏に属している。紀元前30世紀ごろから人々の集住が確認されている。16世紀のサファビー朝時代に町は発展し、19世紀初頭に王族の夏の別荘としてソレイマニエ宮殿が建てられると避暑地として知られるようになった。1961年に灌漑や発電、上水道機能を持つカラジュ・ダムが完成したことにより、工業都市およびテヘランの衛星都市として発展した。


5位 シーラーズ 156万人

イラン南西部、標高約1400mに位置する古都。前6世紀ごろのアケメネス朝ペルシア時代から町は存在し、前4世紀のセレウコス朝期には主要都市となっていた。7世紀、イスラムのウマイヤ朝の支配に下り、10世紀、ブワイフ朝の王都となる。13世紀、モンゴルの支配に下るも、ペルシアを代表する詩人のサーディーやハーフィズらを輩出するイスラム文化の中心地となる。14世紀、モンゴル国家・チャガタイ・ハン国の指導者ティムールが町を占領するも破壊は免れ、18世紀、サンド朝では首都となり再び繁栄した。しかし18世紀末、ガージャール朝成立とともに首都はテヘランに移された。19世紀には二度の大地震を経験。第二次大戦後は、「イランのパリ」を目指し都市の近代化が図られた。


6位 タブリーズ 155万人

イラン北西部、標高約1300メートルに位置する都市。3世紀のササン朝期に町が成立したと考えられるが、13世紀、モンゴル帝国に攻め入られ、その地方王朝であるイルハン国の首都となったことで本格的に発展した。その後、黒羊朝、白羊朝、サファヴィー朝でも首都。16世紀から19世紀にかけ、オスマンやロシアに度々支配される。1828年にロシアから町を奪還し、ガージャール朝の皇太子の宮殿が作られた。20世紀初頭のイラン立憲革命期は反政府蜂起の中心地となる。第二次大戦終戦直後、一時ソ連が傀儡政府である「アゼルバイジャン国民政府」を樹立。タブリーズはその首都となった。地震の多い地域で度々大規模な震災に見舞われているが、ブルー・モスクはじめ歴史的建築物が多く残り、「タブリーズの歴史的バザール施設」は中東最古のバザールとして世界遺産に登録されている。ペルシャ絨毯の集散地としても有名。


7位 コム 120万人

イラン中央北部、標高約900メートルに位置する宗教都市。古代はゾロアスター教の聖地だった。8世紀初頭、シーア派第8代イマーム・レザーを訪ねた妹ファーティマがこの地で客死し、その廟が建てられたことで、コムはマシュハドと並ぶイランにおけるイスラム教シーア派の聖地となった。市内外に400人の聖者と10人の王が埋葬されており、市内にあるイマーム・ホメイニ国際神学校では、世界70ヶ国・3000人にのぼる留学生に対し、イランが生活費を支給し、無償でイスラム法やイスラム革命の精神を教えている。


8位 アフワーズ 118万人

イラン南西部に位置する都市。アケメネス朝時代(前6世紀-前4世紀)の古代都市タリアナのあった地。3世紀のササン朝時代、タリアナのあった場所に現在に続く都市が作られた。灌漑施設やダムが整備され大いに繁栄したという。しかしその後ダムの崩壊などで町は衰退。20世紀に入ってから油田地帯として再建され、イランを南北に縦断する鉄道も整備された。


9位 ケルマーンシャー 94万人

イラン西部に位置する都市。ササン朝期の4世紀に作られた町で、古くからハマダーン(イラン)とバグダッド(イラク)を結ぶ交通の要地、イスラム教シーア派の巡礼路だった。イラン系山岳民族のクルド人が多く住む地で、16世紀以降イランとオスマン帝国の係争地ともなった。町の北郊にササン朝時代の遺跡・タークイブスターンがある。


10位 ウルミエ 73万人

イラン北西部の標高約1300m、ウルミエ湖の西に位置する都市。古代ゾロアスター教の聖地として知られる。11世紀ごろイランの治下に入ったが、その後幾度もオスマン帝国の侵略を受ける。20世紀初頭まではキリスト教徒の多い都市だった。近郊のオアシスで取れる農作物の集散地である。


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