ウクライナの都市・人口ランキングTOP10

ウクライナの都市の人口ランキングです。


ウクライナ 人口 : 4116万人 (2022年)


1位 キーウ 296万人

ウクライナ北部に位置する同国の首都。地名は、キーウを創建したと言われる伝説の公爵キーイの名にちなむ。”Киïв(キーウ)”はウクライナ語名で、日本では長らくロシア語名の”Киев(キエフ)”が使用されてきた。町の中央をドニエプル川が流れ、川西側の100mほどの小高い丘に旧市街、東側の低地に新市街が形成されている。6世紀ごろから発展を始めた古都で、「ロシアの都市の母」の異名を持つ。8世紀、ビザンティン帝国との交易で栄え、東スラブ系ルーシ人の中心地となった。9世紀に成立したキエフ大公国ではその首都となり、ギリシャ正教を受け入れキリスト教化していく。世界遺産の聖ソフィア大聖堂、ペチェルスカヤ大修道院は当時建てられたもので、ロシア地域最古の宗教建築の一つである。しかし12世紀、モンゴルの侵攻により衰退。14世紀にリトアニア大公国、16世紀にリトアニア・ポーランド共和国の配下に入ったが、17世紀半ばよりウクライナ・コサック(軍事共同体)による反ポーランド感情が高まり、キーウは18世紀にかけロシアの保護下に入っていった。1917年のロシア革命を契機に独立を試みたウクライナは、キーウを首都として現在のウクライナの源流となる「ウクライナ人民共和国」を打ち立てるが、1918年、ボリシェビキ政府(ソビエト)がキーウに侵攻。ドイツやポーランドの援軍を得て抵抗するも、1920年にボリシェヴィキがキーウを占領した。これによりキーウは「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」配下となったが、政府は未だキーウに残っていた独立・抵抗の機運を嫌い、1934年まで同国の首都はハルキウに置かれた。第二次大戦ではナチス・ドイツが占領。ソ連時代はモスクワ、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)に次ぐソ連第3の都市だった。1991年、ソ連崩壊に伴い独立したウクライナの首都となる。2022年に始まるロシアによる軍事侵攻では戦災に遭っている。


2位 ハルキウ 143万人

ウクライナ北東部に位置する都市。” Харків(ハルキウ)”はウクライナ語名で、ロシア語名は”Харьков(ハリコフ)”。ハルキウ川、ロパン川の合流地点に中心市街地がある。1656年、ロシアの国境を守るため、ウクライナ・コサックにより作られた砦が町の始まり。18世紀から入植が盛んになり、19世紀に世界最大級のドネツ炭田(通称「ドンバス」)が開発され鉄道が通じると、工業都市として発展。ユダヤ人労働者も多く都市に流入した。ロシア帝国が崩壊しボリシェビキがウクライナを掌握した後も、キーウではその支配に抵抗し民族主義運動が高まっていたため、1934年までハルキウがウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都とされていた。第二次大戦中はナチス・ドイツに占領され、何万人もの住民が虐殺される。1975年に地下鉄が開通し、ソ連時代は同国第六の都市として重要な地位を占めた。現在もウクライナ有数の工業都市である。


3位 オデッサ 101万人

ウクライナ南部に位置し、黒海に臨む港湾都市。14世紀、タタール人により「カチベイ」と呼ばれる集落が築かれたが廃れ、15世紀、オスマン帝国がその跡地に「ハジベイ」と呼ばれる要塞を築いた。ロシアとトルコの戦争の結果1791年にロシア領となり、古代ギリシア都市オデッソスがこの地にあったとの誤解(実際には400kmほど離れたブルガリア・バルナにあった)により、1795年、地名が「オデッサ」と改められる(「オデッサ」は英名風の読みであり、ウクライナ語名では”Одеса(オデサ、オデーサ)”、ロシア語名では”Одесса(アジェーサ)”。米国テキサス州にもロシア人労働者が当地に因んで名付けた「オデッサ」と呼ばれる町がある)。オデッサは、サンクトペテルブルクに次ぐロシア帝国第二の港湾都市に成長した。日露戦争中の1905年、ロシア海軍の水兵による反乱として知られる「戦艦ポチョムキン号の反乱」が起こった。ソ連成立後は亡命者や餓死者が大量に発生し、1914年当時約60万いた都市人口は、1924年には半減していたとされる。第二次大戦中はドイツ軍に占領され、ユダヤ人を中心に多くの人々が虐殺された。ウクライナ独立後の2000年に自由貿易港に指定され、現在も同国最大の貿易港である。丘陵部には保養地も多く、リゾート都市としても知られる。


4位 ドニプロ 98万人

ウクライナ東部に位置し、街の中央をドニエプル川が流れる同国有数の工業都市。1世紀ごろからスラブ人が住み、9世紀、キリスト教が伝わり修道院がつくられるも、12世紀にタタール人によって破壊された。16世紀頃にはポーランド、オスマン帝国、モスクワ大公国がせめぎ合う地となり、このころ要塞が作られたとされる。最終的にはロシア領となり、1775年に都市が建設される。当初、都市名はロシア皇帝エカチェリーナ2世にちなみ「エカチェリノスラーフ」とされ、1926年には共産党指導者のグリゴリー・ペトロフスキーにちなんで「ドニエプロペトロフスク」に改名された。独立後もこのロシア名が使用されていたが、2016年、共産主義時代のシンボルを消し去る目的から都市名を「ドニプロ」に変更することが決定した。


5位 ドネツィク 90万人

ウクライナ東部、ドンバス重工業地帯に位置する都市。”Донецьк(ドネツィク)”はウクライナ語名で、ロシア語名は “Донецк(ドネツク)”。草原地帯(ステップ)だったこの地に1860年、イギリス人実業家のジョン・ヒューズが鉄道路生産のための溶鉱炉を建設。世界最大級のドネツ炭田(ドンバス)の鉱石を利用し、町はドンバス屈指の工業都市へと発展した。ヒューズの功績が認められ、都市名も彼の名のロシア語風の読みに因んで「ユゾフカ」とされた。1924年にはスターリンに因み「スターリノ」に改名。ソ連の第1次5ヵ年計画(1928年-1932年)により大製鋼所が建設された。フルシチョフ時代の1961年、スターリン批判の波により都市名も「ドネツク」に改名される。2014年のウクライナにおける反ロシアの「マイダン革命」と、ロシアによるクリミア併合に伴う国内の不安定化を契機として、ドンバス地方のロシア編入を求める親露勢力が市を制圧。「ドネツク人民共和国」の成立を宣言し、ドネツィクをその「首都」とした。露宇間ですぐに停戦協定が結ばれたが散発的に戦闘が続き、2022年にはロシアが「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を国家承認してウクライナに軍事侵攻した。


6位 ザポリージャ 72万人

ウクライナ南東部に位置し、ドニエプル川が流れる都市。”Запоріжжя(ザポリージャ)”はウクライナ語名で、ロシア語では”Запорожье(ザポロージエ)”という。都市名は、この町より上流のドニエプル川が急流だったことに由来する「早瀬の向こう」の意である。16世紀、ウクライナ・コサックが川の中洲に砦を築く。1770年にロシアが進出し、アレクサンドロフスク要塞を築いた。19世紀はじめ、「アレクサンドロフスク市」となり、ソ連成立後、「ザポロージエ」に改名。1932年に水力発電所が作られ、ソ連の工業都市として発展した。第二次大戦時は侵攻してきたドイツにより水力発電ダムが破壊され、洪水により多数の死者が発生。ナチス・南方軍集団の拠点となり、ヒトラーも度々指揮に訪れた。1981年にはヨーロッパ最大の原子力発電所が作られ、現在もウクライナの2割ほどの電力を供給している。


7位 リヴィウ 72万人

ウクライナ西部に位置する都市。 “Львів(リヴィウ)”はウクライナ語名で、ロシア語名”Львов(リヴォフ)”、ポーランド語名”Lwów(ルブフ)”、ドイツ語名”Lemberg(レンベルク)”。9世紀からスラブ人による大モラヴィア国の地で、9世紀にキエフ大公国の支配下に入る。10世紀、ポーランド王国領となり、王国配下のハールィチ・ヴォルィーニ大公国ダヌィーロ・ロマーノヴィチ公が都市を建設。ロマーノヴィチ公の息子レヴの名が都市名の由来となった。ポーランド時代に交易都市として発展。17世紀にはウクライナ・コサックやスウェーデン、オスマンなどもせめぎ合う地となり、18世紀、ポーランド分割によりオーストリア領となった。1918年のオーストリア=ハンガリー帝国消滅後、リヴィウは独立した西ウクライナ人民共和国の首都となるも、すぐにポーランドに攻め込まれポーランド領に。その後、ポーランドとソ連の講和により、ソ連領として譲渡された。19世紀以来、ウクライナ東方カトリック教会の総本山(2005年にキーウに移転)であり、ウクライナ文化の中心地。17-18世紀の建物が残る旧市街は「リヴィウ歴史地区」として世界遺産に登録されている。


8位 クルィヴィーイ・リーフ 61万人

ウクライナ中南部に位置する都市。”Криви́йРіг(クルィヴィーイ・リーフ)”はウクライナ語名で、ロシア語名は”KривойPог(クリボイログ)”。1775年、ザポリージャ・コサックによって軍事基地として作られ、世界有数の豊富さを誇る鉄鉱石の産出や、英仏の投資などによって町が発展した。1934年、スターリンの工業化政策の下、ウクライナ最大の製鉄所が作られ、戦後も工業都市として発展した。ゼレンスキー現ウクライナ大統領の出身地。


9位 ミコライウ 47万人

ウクライナ南部、黒海北岸に位置する都市。”Миколаїв(ミコライウ)”はウクライナ語名で、ロシア語名は”Николаев(ニコラエフ)”。1789年、南ブーク川とイングール川の合流地点に、戦艦製造のための軍港として建設される。当時、都市名はなく「イングールの造船所」と呼ばれていた。1862年には商業港ともなった。現在も造船業が盛んで、鉄鉱石や穀物の積出港でもある。


10位 セヴァストポリ 46万人

ウクライナ南東、クリミア半島南西部に位置する都市。前5世紀、古代ギリシアの植民都市ケルソネソスがあった地で、現在の地名もギリシア語で「神聖な都市」の意に由来する。13世紀、モンゴル帝国に支配され都市は衰えたが、その後この地を支配したロシアが1783年に要塞を建設。1804年にはロシア帝国黒海艦隊の基地となった。クリミア戦争中(1854年-1855年)、ロシアはセヴァストポリに於いて、侵攻する英仏連合軍に対し349日の籠城戦を展開したが、当時士官候補生として従軍していたトルストイが後にそれを『セヴァストポリ物語』として著している。ソ連時代、それまでの住民であるクリミア・タタール人に加え、ロシア人が多く流入。第二次大戦中、スターリンから「ナチスとの協力」の嫌疑がかけられたクリミア・タタール人はシベリアなどに強制追放された。追放の過程でクリミア・タタール人の約半数が死亡したとされる。そのような経緯もあり現在、セヴァストポリ住民の約7割がロシア系である。ソ連崩壊後、セヴァストポリはキエフとともにウクライナの特別市の地位にあったが、同市にある黒海艦隊の領有をめぐりロシアと対立。1996年の「ソチ協定」により港をロシアに貸し出し、艦隊を二国で領有することとなった。しかし2014年、ウクライナで親欧米政権が成立したことに危機感を募らせたロシアは、親露派が多いクリミア半島を併合。「クリミア自治共和国」の成立を宣言し、現在セヴァストポリもその治下に置かれている。


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