徳島県の都市・人口ランキングTOP10

徳島県の都市の人口ランキングです。


徳島県 人口 73万人 (2021年)


1位 徳島市 25万人

徳島県北東部に位置し、紀伊水道に臨む同県の県庁所在地。吉野川を中心に市内には138もの川が流れる、三角州の多い町である。「徳島」の名も江戸時代以降、島に「徳」の美称が付けられて呼ばれていたもので、明治に入り自治体の正式名称となった。室町時代、細川頼之が現在の徳島駅前の小高い山に城を築き、中国黄河の支流・渭水(いすい)の風光に例えて、当地を「渭津(いのつ)」、山を「渭山(いのやま)」と呼んだ。1585年、蜂須賀(はちすか)氏が阿波国に入国し、江戸時代は徳島藩蜂須賀氏25万7千石の城下町として栄えた。明治以降、綿織物や箪笥の生産などの産業が興る。第二次大戦末期には米軍の空襲により市の6割を焼失。高度経済成長期、臨海部で工業化が進んだ。毎年8月には江戸時代より続く「阿波おどり」が開催され、国内外から多くの観光客を集める。


2位 阿南市 7万人

徳島県東部に位置し、紀伊水道を望む市。2006年、羽ノ浦町と那賀川町を編入したことにより、自治体人口は県内3位から2位へと上昇した。南北朝時代、牛岐城(うしきじょう、別名・富岡城)が築城される。1585年、蜂須賀氏が阿波国に入ると牛岐城は「阿波九城」の一つとなり、徳島藩家老・賀島政慶が治める1万石の城下町として賑わった。沿岸部は「阿波松島」とも呼ばれる風光明媚な地域だったが、高度成長期に火力発電所が設置されると以後工業化が進み、工業団地からの税収などにより現在では地方交付税不交付団体となるほど財政状態は良い。市内に四国八十八ヵ所の第21番札所太竜寺、第22番札所平等寺が所在する。


3位 鳴門市 5万人

徳島県北東端および四国の東端に位置し、鳴門海峡の西側に位置する市。大毛島、島田島、高島も市域に含む。1585年、阿波国に入った蜂須賀氏により、撫養(むや)城(別名・岡崎城。築年不明)が阿波九城となった。古くより製塩業が盛んで、明治に入り製薬業も興った。中心市街にある鳴門駅はJR鳴門線の終点駅。1985年に鳴門大橋が完成したことで淡路島と陸路が繋がり、1998年の明石海峡大橋の完成により、淡路島を通じて本州に至る陸路が完成した。市内に八十八ヵ所第1番札所霊山寺、2番札所極楽寺がある。


4位 吉野川市 4万人

徳島県中北部、吉野川下流の南岸に位置する市。吉野川流域以外は四国山地はじめとする山々に囲まれた市。2004年、3町1村が合併して吉野川市が成立。戦国時代に川島氏が築いた川島城は蜂須賀氏入国後、阿波九城の一つとなった。江戸時代は吉野川水運の河港として栄え、川沿いでは藍作も盛んになった。四国八十八ヵ所第11番札所の藤井寺が市内にある。


5位 小松島市 3万人

徳島県東部に位置し、紀伊水道を望む市。「小松島(こまつしま)」の名は、もともと京都の小松郷にあった仁和寺の荘園であったことに由来する。港町として賑わい、江戸時代は大阪や江戸との藍の貿易で栄えた。1923年に紡績工場ができると町はさらに発展。戦後も沿岸部での工業都市化が進んだ。四国八十八ヵ所の第18番札所恩山寺や第19番札所立江寺が市内に所在する。


6位 阿波市 3万人

徳島県北部、吉野川下流の北岸に位置し、北で香川県に接する市。市北部は讃岐山脈の麓にあたる。2005年、4町が合併して吉野市が成立。四国八十八ヵ所第7番札所十楽寺、第8番札所熊谷寺、第9番札所法輪寺、第 10番札所切幡寺が市内にある。市西部には「世界三代土柱の一つ」ともされる、国指定天然記念物の奇観「阿波の土柱」がある。


7位 板野郡藍住(あいずみ)町 3万人

徳島県北東部、吉野川の北岸に位置する市。室町時代、細川氏が勝瑞(しょうずい)城を築き、阿波国の文化・経済の中心地となった。古くから吉野川のほとりでの藍作が行われていた。現在では藍作は廃れたが、替わってニンジンやダイコンなどの栽培が盛んである。


8位 美馬市 2万人

徳島県中北部に位置し、北で香川県に接する市。2005年、脇町、美馬町、穴吹町、木屋平村の3町1村が合体し美馬市が成立した。1585年の蜂須賀氏入国の後、戦国時代築城の脇城が阿波九城の一つとなる。江戸時代は地域の商業的中心地として賑わった。今も残る「うだつのある脇の町並み」は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。


9位 名西(みょうざい)郡石井町 2万人

徳島県北東部、吉野川の南岸に位置する町。古代、阿波国の国分尼寺が置かれた地で、行政の中心地だった。江戸時代は藍の栽培が盛んになる。1960年代以降、徳島市のベッドタウンとなり、人口が増加した。


10位 三好市 2万人

徳島県西部に位置し、北で香川県、西で愛媛県、南で高知県に接する市。四国山地中に市域が広がり、市の中央を吉野川が流れる。北東に飛び地がある。2006年、4町2村が合併して三好市が成立。鎌倉時代、承久の乱で戦功のあった小笠原長清が阿波国に入り、大西城を築く。1549年から1568年にかけ、小笠原氏から名前を変えた三好氏が、一時室町幕府を支配した。市南部の祖谷(いや)は、「日本三大秘境」の一つと言われる。終戦時点で7万人ほどの人口があったが、戦後より一貫して人口減少が進んでいる。


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