イギリスの都市・人口ランキングTOP10
イギリスの都市の人口ランキングです。
イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国) 人口 : 6702万人 (2021年)
1位 ロンドン (イングランド) 877万人
英:London。イングランド南東部、テムズ川河畔に位置するイギリスの首都。ニューヨークと並ぶ一大金融センターであり、芸術、ファッション、メディア、教育など幅広い分野に強い影響力を及ぼす世界都市である。2000年前、現在の「シティ・オブ・ロンドン(シティ)」にあたる場所にローマ帝国が作った「ロンディニウム」が都市の起源であり、わずか約1.6km四方の小さなその範域は中世以来ほぼ変わっていない。シティとそれを取り囲む「インナー・ロンドン」12区に加え、1963年の法改正で付け加えられた「アウター・ロンドン」20区をあわせた計33区の「大ロンドン」が一般的に「ロンドン」と呼ばれ、緑地帯(グリーンベルト)が都市をとり囲む。大ロンドンの市長の他に、名誉職としてシティの市長も存在する。7世紀にエセックス王国の首都、11世紀にイングランド王国の首都となる。17世紀の大火で市域のほとんどが消失するも、10年をかけて再建。19世紀には世界最大の人口を擁する都市に成長した。しかし1970年代以降、不況による公共サービスの停止や北アイルランド共和軍(IRA)によるテロの頻発などにより、市民は郊外へ流出。1939年に861万人だった人口は、1980年代に680万人にまで減少した。その後閉鎖された港(ドックランズ)の再開発を中心として、貧困層の多かった東ロンドンの開発が進み、25年間で移民を中心に人口は200万人ほど急増。2015年には戦前の人口を超えた。2012年、同一都市として最多となる3度目のオリンピックが開催されている。
2位 バーミンガム (イングランド) 112万人
英:Birmingham。14世紀ごろまで小さな町だったが、産業革命期、ロンドンとリヴァプールが鉄道で結ばれたことで、両都市の中間点に位置するバーミンガムは地の利を生かして発展した。ミッドランズ炭田地帯に位置し、その動力で工業が発展。産業革命の原動力となった、ジェームズ・ワットによって改良された「蒸気機関」が初めて製造された地である。しかし工業化が進んだことでバーミンガムを含む周辺の重工業地域は、工場排煙が常に街を覆い尽くす「ブラック・カントリー」となり、また都市への労働者の流入によりスラムも拡大するなど、都市環境は劣悪を極めた。第二次大戦ではドイツ軍の爆撃を受け街は大きな被害を受けるが、再建の過程を利用してスラムを一掃。しかし製造業の衰えとともに、戦後は一貫して人口流出が続いた。近年、人口は増加傾向にあるものの、2023年、(過去に遡る)男女同一賃金の支払いを要求する裁判所の判決によって財政が立ち行かなくなり、市は破綻を宣言。市議会は解散し、現在、国が管理する委員会が市の運営を担っている。
3位 グラスゴー (スコットランド) 63万人
英:Glasgow。スコットランド南西部に位置する同国最大の都市。都市名はケルト語で「緑の峡谷」を意味する。紀元前からクライド川沿いに集落が形成され、遠征してきたローマ帝国は、この地に「アントニヌス長城」を建設した。6世紀に都市が設立され、その後スコットランド王国の中心として発展。12世紀にはグラスゴー大聖堂が建設された。1451年にはグラスゴー大学も創設され、J.ワットや経済学の始祖A.スミスを輩出するなど、イギリス近代化の過程において重要な都市の一つとなった。1707年にイングランドとスコットランドが合併。タバコ輸出を始めとしたアメリカとの貿易で栄え、さらに18世紀末に炭鉱地帯であるラナークシャーまで運河が通じて動力源を得やすくなると、造船業など工業も発展。アイルランド等からの移住者も増え、19世紀末にはロンドンに次ぐイギリス第二の都市となった。しかし第二次大戦後、イギリス経済が悪化するとグラスゴーも凋落。1960年代には人口100万人以上を擁する欧州第四の都市だったが、その後行政区域の編成などもあり人口は減り続けた。1970年代よりウォーターフロントの再開発など都市再生の試みが続けられ、現在ではイギリス随一の観光都市として名高い。
4位 リーズ (イングランド) 53万人
英:Leeds。イングランドの北部に位置する都市。11世紀頃から周辺農地からの産物を集める市場町として発展。14世紀ごろから羊毛工業が盛んになり、産業革命期はヨークシャー炭田に近接することから工業都市として栄えた。1970年代、中世の羊毛産業から発展した衣料品産業が、海外との過当競争に晒され不振に陥ると、市議会は「脱工業都市」を標榜し、産業構造の多様化を推し進めた。現在では金融やIT等のサービス産業を中心に成長を遂げ、「北の首都」とも呼ばれる経済都市へ発展している。
5位 リバプール (イングランド) 50万人
英:Liverpool。イングランド北西部に位置する都市。1207年にジョン王が建設。しばらくは小さな港町だったが、17世紀末に近郊のチェスター港が泥の堆積によって使用できなくなると、替わってリバプールがイングランド北西部を代表する港湾都市に成長した。植民地との貿易が盛んになった18世紀には、北アメリカ・西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たす。1816年に「リーズ・リヴァプール運河」が、1830年にはリヴァプールとマンチェスターを結ぶ鉄道も開通し、交通の要衝となる。綿織物工業の中心地・マンチェスターから運ばれた商品はリバプール港から世界に輸出され、19世紀末にはロンドンに次ぐ「大英帝国第二の都市」とまで呼ばれまでに発展した。最盛期は80万人近い人口を抱えていたが第二次大戦後、綿貿易と繊維産業は凋落し、イギリス全体が長期の不況に陥るとリバプールも急速に衰退した。リバプール港はその歴史的重要性などから世界遺産に登録されている。ザ・ビートルズの出身地であり、ビートルズ関連の観光も盛ん。
6位 エディンバラ (スコットランド) 50万人
英:Edinburgh。スコットランドの東岸に位置するスコットランドの首都。グラスゴーにつぐスコットランド第2の都市である。11世紀、スコットランド王マルコム3世がここに城を築く。イングランドから幾度もの侵入を退けたが、1437年、それまでスコットランドの首都だったパースでジェームズ1世が暗殺されたのを機に、1492年にエディンバラに首都が移され、スコットランド議会も創設された。18〜19世紀には学問文化の中心地として栄え、ダーウィンら多くの科学者や思想家が活躍した。現在ではその美しい景観から観光都市として栄える。
7位 シェフィールド (イングランド) 50万人
英:Sheffield。イングランド中部の工業都市。市域の半分近くが森林で占められている。川にかこまれ水車動力が得られたことや、鉄鉱石と石炭が近郊で産出したことにより、14世紀ごろより鉄鋼業などが発展。特に刃物は現在に至るまでシェフィールドの名産として知られる。産業革命期も工業都市としてイギリスの近代化に貢献し、19世紀を通じて人口は40万人ほど増加した。1950年代以降、主力産業が衰退し長く低迷状態にあったが、現在は英国有数の学術都市・科学技術集積地として息を吹き返している。
8位 マンチェスター (イングランド) 47万人
英:Manchester。イングランド北西部に位置する内陸都市。紀元1世紀、古代ローマ帝国によって「マンクニウム」とよばれる前哨地が一帯に築かれ、その砦がマンチェスターの起源となった。12世紀ごろから羊毛工業が始まり、18世紀ごろ綿工業へと発展。蒸気機関を用いた紡績工場によって大量の綿製品が生産され、運河や1830年に敷設された世界初の蒸気機関鉄道を通じて、リバプール港から綿製品が世界中に輸出された。労働者が流入して人口も急増したが、公害や貧困など都市問題も多く発生した。産業革命の中心都市となったマンチェスターでは、資本家が「マンチェスター派」を形成して自由貿易を推進。1931年にはピークとなる人口76万人を記録するなど、20世紀初頭までマンチェスター都市圏は世界第9位の人口を擁していたとされる。しかし第二次世界大戦後、綿工業の世界的広がりによる競争力の低下により都市は衰退を始め、21世紀初頭には人口は39万人まで減少した。一方1980年代には「マッドチェスター」と呼ばれるポップ・ミュージックの中心地となり、またこのころより行われた中心市街の大々的な再開発が奏効し、2000年代以降は人口が急増している。
9位 ブリストル (イングランド) 42万人
英:Bristol。イギリス南西部の港湾都市。紀元40年ごろ、古代ローマ人が築いた「アボナ」という港がブリストルの礎。5世紀以降のアングロ・サクソン時代にブリストルは都市として形成され、「橋のある場所」を意味する「ブリグストウ」と呼ばれていた。10世紀ごろには商業港として栄え、17世紀から奴隷貿易で発展。18世紀ごろまでロンドンに次ぐイギリス第二の規模を誇る都市だった。第二次大戦ではドイツ軍の砲撃を受け、街は甚大な被害を被る。1970年代に入り急激な人口減少を記録するが、高速道路網の再編や、1978年のブリストル港の改修(ロイヤル・ポートベリー・ドッグの開設)などにより、徐々に都市が再生。21世紀に入り、都市人口は急回復している。
10位 レスター (イングランド) 40万人
英:Leicester。イングランド中央部に位置するイギリスで最も古い都市の一つ。ローマ時代は「ラタエ・コリタノルム」と呼ばれた。7世紀、アングロ・サクソンによる七王国の一つ、「マーシア王国」の時代に司教座が置かれ、カトリック都市となる。18世紀、「グランド・ユニオン運河」がバーミンガムからレスターを通りロンドンまで通じたことで交通の要衝となり、軽工業が発展。しかし19世紀の終わり頃から衰退を始めたことで、レスターは工業依存からの脱却を図り、産業の多様化を推し進めた。そのため、1929年の世界恐慌でもその影響を最小限に止め経済力を維持することができ、それがヨーロッパ中の難民の避難地としての地位を確立することに繋がった。第二次大戦後もあらゆる人種を受け入れ、現在でもインド系住民が3割を占めるなど、様々な人種が暮らす街である。
関連 : 世界の都市人口ランキングBEST100 / 世界都市圏別・人口密度ランキングTOP200 / 日本の都市・人口ランキングTOP150 / アメリカの都市・人口ランキングTOP25 / 中国の都市・人口ランキングTOP50 / フランスの都市・人口ランキングTOP10 / ドイツの都市・人口ランキングTOP10 / イタリアの都市・人口ランキングTOP10 / スペインの都市・人口ランキングTOP10 / 韓国の都市・人口ランキングTOP10 / インドの都市・人口ランキングTOP15 / ロシアの都市・人口ランキングTOP10 / カナダの都市・人口ランキングTOP10 / オーストラリアの都市・人口ランキングTOP10 / アフリカ大陸の都市・人口ランキングTOP30 / 南アフリカの都市・人口ランキングTOP10