エストニアの都市・人口ランキングTOP10
エストニアの都市の人口ランキングです。
エストニア共和国 人口 : 137万人 (2024年)
1位 タリン 43万人
by Hiiumaamudeliklubi
フィンランド湾に面するエストニアの首都。都市名はエストニア語で「デンマーク人の城」の意。12世紀、「トームペア」と呼ばれたエストニア人の要塞を、十字軍を率いたデンマーク王バルデマー2世が奪取し、城を築く。13世紀にはハンザ同盟都市として繁栄し、14世紀はドイツ騎士修道会、16世紀からはスウェーデンに支配された。18世紀に北方戦争で勝利したロシアの支配されると、タリンはピョートル大帝によって軍港として整備された。1918年から一時、ロシア崩壊を受け独立したエストニアの首都となったが、1940年から1991年まではソ連領に編入される。独立後、西側資本が流入し都市は発展。IT企業「スカイプ」(現在はマイクロソフトが買収)もタリンが創業の地である。1997年には旧市街が『タリン歴史地区』として世界遺産に登録された。タリンはロシア人やウクライナ人が多く、2009年の統計では全体の22%がEU以外の国籍を持つ住民である。
2位 タルトゥ 9万人
by Boreaallane
エストニア中南部に位置する町。11世紀にキーウ大公ヤロスラフ1世が城を築き、13世紀にリボニア騎士団の支配下に置かれる。その後、ハンザ同盟都市として発展し、17世紀のスウェーデン時代にはエストニア最古の大学が設立された。18世紀の大火で町の大半が焼失したが、バロック建築や新古典主義の建築が再建された。戦後、郊外にソ連軍の空軍基地が作られたため、「外国人立入禁止都市」となったが、1991年の独立回復以降、旧市街地の再建が進んでいる。タルトゥは学問・文化の中心地であり、首都タリンとリガを結ぶ鉄道の中心地でもある。
3位 ナルヴァ 5万人
エストニア北東部に位置し、ナルバ川を挟んでロシアのイワンゴロドと接する町。13世紀に建設され、その後リボニア騎士団、ロシア、スウェーデンの支配を経て、北方戦争によりロシアに編入された。18世紀から19世紀にかけ、バルト海の貨物取引港として繁栄し、現在も14世紀建設の大聖堂や17世紀建設の市庁舎など古い建物が残る。
4位 パルヌ 4万人
by Sillerkiil
エストニア西部に位置する町。13世紀にリボニア騎士団の拠点として設立される。14世紀にはハンザ同盟に加わり、交易の要衝として発展した。北方戦争後ロシア領となり、19世紀には保養地として開発された。現在もフィンランドなどからの観光客が訪れる国際的な観光地である。
5位 コフトラ=ヤルヴェ 3万人
エストニア北東部、フィンランド湾の南岸に位置する町。首都タリンとロシアのサンクトペテルブルグを結ぶ鉄道の中間に位置する。1924年、当地で産出されるオイルシェールの抽出工場が設立されたことが町のはじまり。現在もオイルシェールの採掘・加工が主要産業であるが、1990年代以降その量は減少している。
6位 ヴィリャンディ 1万人
by Ilme Parik
エストニア中部に位置する町。13世紀に起源をもち、中世にはハンザ同盟に入る交易都市だった。13世紀にヴィリャンディ城が築かれたが、16世紀のリヴォニア戦争と17世紀初期のロシア・ポーランド戦争により破壊された。17世紀にはスウェーデンの支配下に入ると、エカチェリーナ2世の治世時に地方の首府となり成長。現在もエストニア南部の文化の中心都市である。
7位 マールドゥ 1万人
by Maxim Bilovitskiy
首都から約15キロメートル東に位置する町。1939年、リン鉱石鉱床の開発により町が形成され、1949年の化学工場設立と1970年代後半の発電所建設で発展した。1980年から首都タリンの一部だったが、1991年に独立した自治体となった。国内最大の貨物港であるムガ港の一部もマールドゥに位置する。
8位 ラクヴェレ 1万人
by Daviidos
エストニア北部に位置する町。13世紀、デンマークがにエストニア北部を征服し、ラクヴェレ城を築いた。14世紀、リヴォニア騎士団に征服され、その後ロシアやスウェーデンなどに占領される。17世紀、ポーランド・リトアニア共和国に移管され、スウェーデン、ロシアの支配を経、18世紀、大北方戦争に勝利したロシアの支配に下った。ソ連時代の1940年に作られたラクヴェレ劇場は、専属の劇団がレパートリーとする演目を日替わりで上演する、いわゆる「レパートリー劇場」であり、ラクヴェレはレパートリー劇場を持つヨーロッパ最小の町であるとされる。元力士、把瑠都の出身地。
9位 クレサーレ 1万人
by Hiiumaamudeliklubi
エストニア西部、バルト海に浮かぶサーレマー島南岸の町。13世紀にサーレラーネ司教領として発展し、16世紀にデンマーク、17世紀にスウェーデン、18世紀にロシアに支配された。18世紀ごろよりリゾート地として人気を博し、旧ソ連時代には「キンギセップ」と呼ばれた。現在も国内有数の夏のリゾート地である。
10位 シッラマエ 1万人
by Vaido Otsar
エストニア北部のフィンランド湾沿い、ロシア国境近くに位置する町。16世紀にはリヴォニア騎士団が襲来したと言われる。19世紀ごろからロシア・サンクトペテルブルクの知識人たちの保養地として知られ、第二次大戦中のナチス占領下では強制収容所が設置された。第二次世界大戦中にソ連の支配下に入り、冷戦期には原子力産業や核兵器生産が行われる閉鎖都市となったが、工場からの廃棄物によるバルト海の汚染が深刻化した。1991年のエストニア独立後、原子力産業は衰退したが、シッラマエ港はバルト諸国有数の港として成長している。
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