世界の都市・20世紀以降の首都移転

20世紀以降に遷都した都市の一覧です(植民地政府の首府の移転は含みません)。


関連 : 中国の遷都


中華民国(台湾)

広州武漢(1926年) → 南京(1927年) → 重慶(1937年) → 南京(1945年) → 広州(1949年) → 成都(1949年) → 重慶(1949年) → 台湾国民政府首都・南京(1949年) / 臨時首都・台北(1949年- )

南京

南京

清国滅亡後、革命家・孫文が広州に国民党政府を樹立。国民党軍が武漢の共産党軍を掃討し、当地に遷都した。一時共産党の巻き返しにあい、国民党政府は1926年に南京へ遷都する。翌年、国民党が中国を掌握。その後日中戦争が始まり、南京が日本軍の侵攻によって陥落したため、中国政府は重慶に遷都した。第二次大戦終結後、首都は再び南京に戻る。その後、国民党と共産党との内戦が激しくなり、劣勢に立たされた国民党は広州、成都、重慶と戦線を後退。共産党が勝利し、1949年に北京を首都として中華人民共和国が建国された。同年、台湾島に逃れた国民党は台北に臨時首都を立てるも、戦後以来、中華民国の公式の首都は南京のままである。


オーストラリア

暫定首都・メルボルンキャンベラ(1927年- )

キャンベラ

キャンベラ

オーストラリアの二大都市、シドニーとメルボルンの首都を巡る争いを裁定するため、中間地点にあったキャンベラが首都となった。田園都市思想に基づいた人工都市である。


イタリア王国

ローマブリンディジ(1943年) → サレルノ(1944年) → ローマ(1944年-1946年)

サレルノ

サレルノ

第二次大戦の戦況が激しくなった1943年、休戦を望むローマの王党派が、戦争継続を望むファシスト政権から逃れて南部のブリンディジに遷都。さらに翌年、同じく南部のサレルノの遷都した。1944年、イタリアが連合軍に降伏したため王族はローマに戻った。戦後の1946年に共和制に移行し、首都はローマが引き継いだ。


ドイツ連邦共和国

ベルリン → 暫定首都・ボン(1949年) → ベルリン(1990年- )

ボン

ボン

戦後、冷戦の影響を受けドイツが東西に分割。西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首都であったベルリンも東ドイツ内の飛び地として東西に分割され、西ベルリンには直通専用道路や空路などでしかアクセスができなくなってしまった。「(来るべき)ドイツ統一時は再びベルリンを首都とすべき」という西ドイツ内の意見に基づき、フランクフルトなどの大都市が肥大化して事実上の首都となるのを避けるため、西ドイツ中央にあった小さな町のボンが、西ドイツの暫定首都となった。東西ドイツ統一後、首都はベルリンに戻ったが、2001年の首都機能移転完了後も、ボンには引き続き首都機能の一部が割り振られている。


ブラジル

リオデジャネイロブラジリア(1960年- )

ブラジリア

ブラジリア

リオデジャネイロやサンパウロなどがある大西洋沿岸部と内陸部の経済格差を解消するため、1960年、内陸部の高原に「ブラジリア」として遷都。フランス出身の建築家ルシオ・コスタの設計に基づく人工都市はわずか41ヶ月で完成したが、その建設費が国家財政に重くのしかかかった。またモダニズム思想に基づく自動車中心の都市構造は暮らしにくく、周囲にはスラム街が形成されるなど都市問題も多いが、建築家オスカー・ニーマイヤーらの手による近代建築群含む都市全域が、世界遺産に登録されている。


ベリーズ

ベリーズシティベルモパン(1970年- )

ベルモパン

1961年、首都のベリーズシティがハリケーンで大きな被害を受けたのをきっかけに、被害のなかったベルモパンに遷都が計画された。1966年に遷都が始まり、1970年に完了。政府機関が集まるが、人口はわずか1万人ほどの小都市である。


マラウイ

ゾンバリロングウェ(1975- )

リロングウェ

南部の首都ゾンバから、国内の南北格差の解消の意図もあり、同国のほぼ中央に位置するリロングウェに遷都。遷都は南アフリカからの借款によって進められた。1994年にようやく国会の移転が完了した。


ナイジェリア

ラゴスアブジャ(1976年- )

アブジャ

首都ラゴスが南西の位置に偏りすぎており、人口も飽和状態だったことから、国土のほぼ中央に位置し、気候が良く人口も少ないアブジャに遷都された。都市の中心部は丹下健三が設計。1991年に行政機関の移転が完了した。


コートジボワール

アビジャンヤムスクロ(1983年- )

ヤムスクロ

1983年、コートジボワール独立の指導者であった初代大統領、フェリックス・ウフェ=ボワニの生まれ故郷であるとの理由から、旧来の首都・アビジャンから北に250kmの当地に遷都されたと言われる。しかし首都機能は依然としてアビジャンにあり、ヤムスクロの人口は30万人ほどである。経済の中心も500万人近い人口を誇るアビジャンである。


スリランカ

コロンボスリジャヤワルダナプラコッテ(1985年- )

スリジャヤワルダナプラコッテ

シンハラ王国や植民地時代、独立後も長らくスリランカの首都はコロンボだったが、1985年、南に10kmの衛星都市であるスリジャヤワルダナプラコッテに国会議事堂が完成したことで首都が移された。ただし、国会議事堂と大きな貯水池があるのみで首都機能の移転は進んでおらず、主要機関の大半は今も旧都にある。都市名の由来は「スリ(聖なる)・ジャヤワルダナ(移転時の大統領名)・プラ(街)・コッテ(元々の街の名前)」。「ジャヤワルダナ」は「勝利をもたらす」の意味もある。


タンザニア

ダル・エス・サラームドドマ(1996年- )

ドドマ

ドドマはタンザニアのほぼ中央に位置するため、沿岸部のダルエスサラームから1973年に移転が決定。新都市が建設される予定だったが、1996年に立法府が移転したのみで都市の規模は小さく、国の中心は今も人口430万ほどのダルエスサラームである。


カザフスタン

アルマトイアスタナ(1997年- )

アスタナ

カザフスタン南部の旧首都アルマトイは直下に活断層があり地震が多いことなどから、1997年に北部のアクモラに遷都。アクモラが「白い墓」の意であったことから、市名を「首都」を意味する「アスタナ」に改名。2019年にはカザフスタン初代大統領の名に因み「ヌルスルタン」へ改称したが、政情の変化により2022年に「アスタナ」に戻る。都市の基本設計は建築家・黒川紀章によるもの。


パラオ

暫定首都・コロールマルキョク(2006年- )

マルキョク

2006年、「建国10年以内に遷都する」という憲法の規定に基づき暫定首都だったコロールからマルキョクに遷都。コロールの人口過密解消も遷都の目的の一つだった。人口400人ほどの小都市。国会議事堂などはパラオと国交のある台湾の援助で建てられた。


ミャンマー

ヤンゴンネピドー(2006年- )

ネピドー

ネピドー

1948年のビルマ独立以後、長らくヤンゴンが首都だったが、ミャンマー軍事政権が2005年に突如、ヤンゴンの北・ピンマナの近郊に新都市・ネピドー(「首都」の意)を作り遷都を開始。2006年に遷都が完了した。ネピドーは非常時には滑走路にもなる20車線の幹線道路を有し、大型ショッピングモールや高級ホテルが並ぶ。2010年には東京ドーム70個ほどの巨大な国会議事堂が完成したが、商業の中心はあくまでヤンゴンである。移転の理由は明らかになっていないが、防衛上の理由、治安対策、占星術によるものといった様々な理由が憶測されている。


エジプト

カイロ → 新首都(2019年?)

引用:カイロ市HP

過密状態の首都・カイロの渋滞問題などを解決するため、また2013年の軍事クーデター後の国権を強化するため、首都を移す計画が実行されている。カイロから東70kmほどの地ですでに新首都の建設は進められている。中国が推し進める「一帯一路」上に位置するため、新首都の建設には中国の支援があるとも言われる。新首都とカイロ市との間の新都市「ニュー・カイロ・シティ」の建設も進み、すでに多くのカイロ市民が移り住んでいる。新首都はシンガポールやドバイをモデルにしていると言われ、2019年中に新首都への行政機関の移転が始まる予定である。


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世界の首都移転―遷都で読み解く国家戦略

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