オーストラリアの都市・人口ランキングTOP10

オーストラリアの都市の人口ランキングです。


オーストラリア連邦 人口 : 2424万人


1位 シドニー 432万人

タスマン海に面する都市。4万年前からアボリジニが定住。1770年にジェームズ・クックにより発見されると1788年にイギリス人が入植し、オーストラリア最初の植民地として定められた。都市名はクックの後援者・シドニー卿トマス・タウンゼントにちなんだもの。当初は流刑植民地であり大部分は囚人であったが、1847年には囚人が人口にしめる割合はわずか3.2%にまで低下。囚人の人口が減少するにつれ商業が活発化し、1850年にはオーストラリア初の大学・シドニー大学も創設された。19世紀前半までシドニーは、オーストラリアにある6つのイギリス植民地の都市で最大規模を誇った。1851年に近隣でゴールドラッシュが起こると、人口は急激に増加し工業化が進んだが、同じくゴールドラッシュに湧いたメルボルンのほうが航路上本国イギリスに近いことから繁栄し、19世紀後半にはメルボルンに次ぐオーストラリア第2位の都市に後退。この頃からシドニーとメルボルンとの敵対感情が強くなったと言われる。1901年にオーストラリア連邦が成立すると首都は臨時に最大都市メルボルンに置かれたものの、その後両都市の敵対関係を考慮して中間地点にあるキャンベラに遷都された。20世紀初頭にメルボルンの人口を追い越し、現在に至るまでシドニーは国内最大の都市に君臨している。


2位 メルボルン 419万人

オーストラリア大陸南東部、ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港町。先住民族クリンの地であったが、ヨーロッパの移民により持ち込まれた病気によりクリン族は滅びた。1837年、英国首相メルバーン卿にちなんで「メルボルン」と名付けられ、ニューサウスウェールズ植民地の中心地となった。1850年代に近隣で金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、シドニーよりも英国に近い地理特性を活かし急速に発展した。1880年代はシドニーを抜き大英帝国でも2番目に大きな都市となり、「素晴らしいメルボルン」として知られた。今日でも市内にはヴィクトリア時代の建築物が多く残る。1901年にオーストラリア連邦が成立してから、1927年にキャンベラに移転されるまで臨時首都。1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会が開催された。エコノミスト誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で度々首位を獲得し、ロンドン、ニューヨーク、パリに次いで世界の学生が学んでいる。


3位 ブリスベン 205万人

ブリスベン

オーストラリア東部にある、クイーンズランド州の州都である港湾都市。当市の南には、観光地として有名なゴールドコーストがある。先住民族のアボリジニは、当地のことを “Mian-jin”(棘のような形をした土地)と呼んでいた。1842年にイギリスの流刑植民地となる。街の名前は当時の総督名にちなむものである。第二次世界大戦中はアメリカ軍が駐屯し、連合国軍の太平洋南西部の中心基地となった。川が多く、水害が多い土地としても有名である。現在は国内外から多くの移民を受け入れ、オーストラリアで最も人口増加率の高い都市の一つである。


4位 パース 187万人

パース

オーストラリア南西部にある、西オーストラリア州の州都である鉱工業都市。オーストラリア大陸西部でヨーロッパ人が建設した最初の大規模な入植地である。1826年、オーストラリア入植の兆しを見せていたフランスに対し機先を制するため、パース南のオールバニーに基地を作り、1829年に自由移民の入植地としてパースが建設された。1850年には安価な労働力を手に入れたい農家や実業家の要求によって流刑植民地となる。金やダイヤモンドの発掘によって発展。パースはオーストラリアの他の主要都市からかなり離れた場所にあり、隣国のインドネシアの首都・ジャカルタの方が首都キャンベラやシドニーより近い。世界の住みやすい都市ランキングでは常に上位に名を連ねる。


5位 アデレード 116万人

アデレード

オーストラリア南部、南オーストラリア州の州都。他のオーストラリアの大都市とは異なり、流刑植民地ではなくはじめから自由植民地として計画されたという歴史を持つ。1836年にイギリスの植民地となる。オーストラリア初代測量局長官ウィリアム・ライトが、トレンス川近郊のアデレードヒルと呼ばれる高台を都市建設地として選定。都市名はドイツ語で「貴婦人」を意味する。計画都市であり、整った街路と豊かな緑地帯を持ち、中心部に州議会議事堂、官庁、大学、博物館、植物園などがある。文化芸術の都市としても有名。


6位 ゴールドコースト 60万人

ゴールドコースト

オーストラリア東部、ブリスベン南に位置するオーストラリア最大の観光保養都市。サーファーズパラダイス、バーリーヘッズ、パームビーチなどが連なる全長50kmほどの長い海岸が有名。1889年にブリスベンからの鉄道が開通すると、ホテルが海岸沿いに建てられるようになる。第二次世界大戦後も帰還兵の保養地として人気を集め、いつしか不動産や物価の上昇が顕著な状況から「ゴールド・コースト」と呼ばれるようになった。夏には人口が3倍に膨れ上がる。


7位 キャンベラ 43万人

キャンベラ

オーストラリアの首都。都市名は先住民族の言葉で「人々が集う場所」の意。ライバル関係にあったシドニーとメルボルンの首都争奪戦を裁定するため、1908年、両市の中間に位置する当地がオーストラリアの首都として選ばれた。世界中から都市計画案を募り、1911年にアメリカ人建築家B.W.グリフィンの案を基礎に建設が始まった。1927年にメルボルンから正式に首都が移転。しかし都市建設の歩みはきわめて遅く、都市建設が本格化したのは第二次大戦後しばらくしてからである。1960年代に人造湖や衛星都市が完成。円形、六角形、八角形の広場を中心に環状、放射状の街路が組み合わされ、機能ごとにわけられた地区によって整然とした市街が形成されている。当初の人口2万5000人の計画が見直され、人口100万人都市として新都市計画を策定。幾何学的パターンにとらわれない、居住環境を重視した都市建設が進められている。連邦直轄地だが、1988年に地方自治権が与えられた。多くが政府機関で働き、住民の所得も高い。


8位 ニューキャッスル 32万人

ニューキャッスル

オーストラリア東部、シドニーの北に位置する港湾、工業都市。地名はイギリス本国のニューカッスルにちなむ。1801年に流刑植民地として入植され、石炭の産地、農産品の積出港として発展した。1915年に石炭を利用する製鉄所の建設を機に近代工業も発展している。戦時中には日本軍の攻撃を受けたこともある。1989年にはオーストラリア史上最大のニューキャッスル地震が起きている。


9位 セントラルコースト 30万人

セントラルコースト

オーストラリア東部、ニューキャッスルとシドニーの間に位置する都市。中心地・ゴスフォードには1823年に入植がはじまる。オーストラリアに多い、典型的な流刑植民地であった。1889年にシドニーへの鉄道が開通し、1930年に高速道路ができると発展。2016年、ゴスフォード市とワイオング市が合併し、同国第9の人口を持つ都市・セントラルコーストとなった。


10位 ウロンゴン 26万人

オーストラリア東部、シドニーの南に位置する都市。ウロンゴンの名前の由来は、「海の音」を意味するアボリジニの言葉であるとする説がある。鉄鋼業を中心とする、同国最大の重化学工業都市である。市内南部のイラワラ湖は観光地として知られ、市内には植民地時代の歴史的建造物が多く残る。


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