モロッコの都市・人口ランキングTOP10

モロッコの都市の人口ランキングです。


モロッコ王国 人口 : 3711万人 (2020年)


1位 カサブランカ 356万人

カサブランカ

モロッコ中部に位置し、大西洋に面する同国最大の都市。前10世紀ごろからベルベル人が定住したと言われ、この地は「アンファ」と呼ばれていた。7世紀には独立国家化していたが12世紀ごろからイスラムに侵略され、14世紀、マリーン朝によって完全にイスラム化した。15世紀に再び独立したが、アンファを拠点とした海賊船がポルトガルを襲ったため、怒ったポルトガルによって攻撃され、その支配下に置かれる。16世紀、ポルトガルによって町は整備され、都市名も「白い家」を意味する「カサブランカ」に改称された。しかし18世紀、大地震により壊滅的被害を受けるとポルトガルは撤退。現在まで続くアラウィ朝によってカサブランカは再建され、街は要塞化した。1907年から1956年まで占領したフランスが要塞の外側に新市街を広げ、官庁街や百貨店、ホテルなどが作られた。モロッコ最大の港湾都市であり、絨毯の産地としても有名。同国有数の観光都市でもある。


2位 フェズ 118万人

モロッコ中北部に位置する内陸都市。8世紀、イスラム系イドリース朝によって町が作られ、9世紀にはその王都となる。建物が密集した迷路状のこの旧市街(フェズ・アルバリ)にはモスク、市場、イスラム神学校などが今も残り、「フェズ旧市街」の名で世界遺産に登録されている。10世紀以降、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝に支配され、イスラムの多様な文化の影響を受けた文化芸術都市として繁栄。13世紀、マリーン朝において再び首都となり、旧市街の南西に新市街(フェズ・アルジェディード)や宮殿、大モスクが建設された。イスラム都市だがユダヤ人も多く住み、歴史を通じて数々の軋轢も生じた。15世紀、ワッタース朝でも首都。サアド朝を経た後、17世紀に成立したアラウィ朝でも首都となった。1911年にフランスに支配されると、丘の上に整然と整備された新市街(ヴィル・ヌヴェル)が築かれた。1956年のモロッコ独立後、フェズ外周に郊外都市(シテ・ポピュレール)が拡大され、人口が増加した。手工芸品の生産が主産業で、ここで生産されるつばのない円筒形の帽子(19世紀以降、オスマン帝国でターバンの代わりに多く用いられるようになったことから、「トルコ帽」とも呼ばれる)は「フェズ」と呼ばれる。


3位 タンジェ 108万人

モロッコ最北部、ジブラルタル海峡に面した港湾都市。日本では英語読みで「タンジール」とも表記される。地中海の入口に位置するという地政学的特性から歴史上、タンジェを巡り各国の争奪戦が繰り広げられてきた。古代フェニキア人が作った古い都市で、ローマや東ローマなどの支配を経て7世紀、アラブ人に支配される。レコンキスタ運動の高まりに伴い15世紀にポルトガルに支配されるも、17世紀、ポルトガルとイギリスの取引で一時英領となる。その後アラウィ朝(モロッコ)が奪還するが、19世紀半ばにスペインが占領。1880年、マドリード条約によってタンジェを対外開港することを条件にモロッコに復帰。その後、モロッコ支配に興味を示すフランスに対し、イギリスへのエジプト支配優越権の承認と引き換えに、タンジェの支配権が認められていたが、1905年と1911年にドイツがタンジェに介入してきたため、関係諸国の取り決めによりタンジェは1912年に国際管理地域となった。1940年にはスペインが侵攻し一方的にタンジェ併合を宣言したが、第二次大戦後、国際管理地域に復帰した。1956年のモロッコ独立によりタンジェも同国に返還。気候が温暖なため、1930年代から世界中の多くの著名人が別荘を構える観光地でもある。


4位 サレ 99万人

モロッコ北部に位置し、大西洋を望む都市。ブー・レグレグ川を挟んで、北にサレ、南に首都ラバトが位置し、両都市は双子都市として栄えてきた。古代ローマの植民都市「シェラ」が起源で、現地名もそれに由来する。11世紀、ムラービト朝、12世紀にムワッヒド朝、マリーン朝に支配され、モロッコの重要な貿易港として発展。17世紀から18世紀にかけて、スペインから亡命したモリスコ(イベリア半島のイスラム教徒)が住み着き、海賊化。海賊らによる自治共和国「ブー・レグレグ共和国」が成立し、自治は40年ほど続いた。現在は港に泥が堆積したため港湾機能は停止しており、首都ラバトのベッドタウンとして発展している。ムワッヒド朝時代の大モスクや、マリーン朝時代のムリサ門など、観光名所も数多い。


5位 マラケシュ 97万人

モロッコ南西部に位置する内陸都市。「マラケシュ」はベルベル語で「神の国」を意味し、国名の「モロッコ」はヨーロッパ人が「マラケシュ」を訛ったものだと言われる。11世紀、ベルベル人国家のムラービト朝がサハラ砂漠を縦断する隊商路の起点として町を作り、その王都となった。12世紀にムワッヒド朝が町を破壊するも王都の座は保つ。現在も街の象徴であるクトゥビーヤ・モスクはムワッヒド朝時代に建てられたものであるが、その他王宮や神学校、スーク(市場)などが残る赤い城壁で囲まれたメディナ(アラビア語で「旧市街」の意)は、世界遺産に登録されている。首都の座を降りた12世紀以降も王の居住地となり、文化の中心地として栄える。1912年にフランス保護領となると、旧市街の西に新市街ゲリーズが作られた。現在は国際的な観光地として有名である。


6位 ウジュダ 57万人 

モロッコ東部、アルジェリアとの国境ほど近くの標高550メートルの高原上に位置する都市。10世紀、ベルベル人によって建設され、ムラービト朝、マリーン朝、オスマン帝国、アラウィ朝、フランスの配下に置かれた。その間、街は破壊と再建が繰り返される。1950年代から1960年代にかけては、隣国のアルジェリア独立戦争の混乱に乗じて、多くのアルジェリア人が流入した。現在ではアルジェリアへの鉄道が通じており、モロッコ東部有数の貿易都市として栄えている。


7位 メクネス 57万人

モロッコ中央部、標高500メートルの高原に位置する内陸都市。10世紀、ベルベル人によって町が作られ、17世紀にはアラウィ朝の王都となった。スルタンのムライ・イスマーイールは、「モロッコのベルサイユ宮殿」とも称された壮麗な王宮を建てた。城壁、マンスール門、モスクなどが残るメディナ(旧市街)は世界遺産に登録されている。18世紀に首都がフェズに移った後は衰退した。現在は周辺地域の肥沃な土壌を生かした農業や、絨毯の製造が盛んである。町近郊にイスラム教の聖地ムーレー・イドリスがある。


8位 ラバト 53万人 

モロッコ北中部に位置し、大西洋を望む同国の首都。ブー・レグレグ川を挟んで北に位置するサレとは双子都市の関係にある。一帯は、古代ローマの植民都市サラ・コロニアだった地で、12世紀、ムワッヒド朝によりスペインへの進撃拠点として整備されると、「勝利の野営地」を意味する「ラバト」と呼ばれるようになった。その後一時衰退するも、17世紀、スペインからモリスコ(イベリア半島のムスリム)が移住してくると再び活気を取り戻す。海賊化したモリスコたちは隣町のサレとともに「ブー・レグレグ共和国」を作り、共和国は40年ほど存続した。1912年に始まるフランス保護領時代、保護領主都のフェズが政情不安に陥るとラバトに主都が移され、ヨーロッパ風の新市街が整備された。1956年のモロッコ独立後も首都を引き継いでいる。2012年には「ラバト:近代的首都と歴史的都市が共存する遺産」という名で世界遺産に登録された。


9位 アガディール 49万人

モロッコ南西部に位置する港湾都市。16世紀初頭、ポルトガルによって町が作られ、ヨーロッパとを結ぶ貿易港となった。19世紀に一時衰退。1911年にはフランスによるモロッコの実効支配をドイツが脅かした「第二次モロッコ事件(アガディール事件)」が起こった。1960年にはモロッコ史上最悪とも言われるアガディール地震が発生し、甚大な被害を被った。震災後再建が進み、現在では主にヨーロッパ人が訪れる風光明媚な観光地として知られるようになった。


10位 ケニトラ 49万人 

モロッコ北部に位置し、太平洋を望む都市。もともとモロッコ守備隊の要塞だった地で、フランス保護領時代の1913年、フランスが軍港を建設し町を整備した。地名も初代モロッコ統監の名にちなみ「ポート・リヨテ」と名付けられたが、モロッコ独立後、「小さな橋」を意味する現地名に変更された。1963年までアメリカ海軍と空軍の基地があった。


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