ロシアの都市・人口ランキングTOP10

ロシアの都市の人口ランキングをまとめました。


ロシア連邦 人口 : 1億4680万人


1位 モスクワ 1234万人


モスクワは、ロシア連邦の首都。ヨーロッパで最も人口の多い都市である。1156年に砦が築かれて以降、徐々に小都市化していった。モンゴル帝国により灰燼に帰されるも、1271年、この地にモスクワ公国が成立。1480年にはイヴァン3世が、拡大したモスクワ大公国をハン国の占領下から独立させ「タタールのくびき」終わらせると、ロシア最大勢力の都に成長した。クレムリンは壮麗となり、赤の広場もこの時代に作られた。ロマノフ朝時代にサンクトペテルブルクに首都を譲るも、スラヴ文化の中心地として発展を遂げ、ソビエトによって1918年に首都機能が移転されるとソ連崩壊後も引き継がれた。






2位 サンクトペテルブルク 535万人


バルト海に面する、1917年まで帝政ロシアの首都。人口が100万人を超える都市として最北に位置する。「北のヴェネチア」とも呼ばれる美しい街並みが広がる。1703年、大北方戦争でスウェーデンから獲得した当地に、ピョートル大帝によって造られた人口都市。1713年に首都となる。オスマン帝国の東方問題による拡大を食い止める最前線として歴代皇帝は都市の整備を進めた。ドイツ風の呼び名であるが、ドイツとの戦争中はロシア風にペトログラード、共産ソビエト時代はレニングラードと呼ばれた。ソ連時代、首都は国境から遠いモスクワに移され、現在はロシア第二の都市として栄える。


3位 ノヴォシビルスク 161万人


西シベリア南部、オビ川とイニャ川が合流する地点に位置するシベリア最大の都市。1893年に鉄橋が建設されると徐々に発展。聖ニコライと当時の皇帝ニコライ2世にちなみ、当初は「ノボニコラエフスク」と呼ばれたが、共産ソ連成立後の1925年、ロシア色を消すため「新しいシベリア」を意味するノヴォシビルスクに改名した。アメリカの開拓地を思わせることから、「シベリアのシカゴ」とも呼ばれた。クズネツク炭田に近く、また農業地帯の中心地であったこと、交通の要地であったことから大きく発展した。ロシア科学アカデミー、大学、劇場など文化施設が多い。


4位 エカチェリンブルク 146万人


ロシア中央部に位置するウラル地方の中心都市。16世紀末ごろから、逃亡農民・都市貧民のコサックが征服し、この周辺で鉱工業が始まった。市名はロシアの女帝・エカチェリーナにちなむ。ソ連時代の1924年から1991年は革命家・スベルドロフにちなみ「スベルドロフスク」と呼んでいた。ソ連崩壊とともに元の名前に戻る。1783年にシベリア大道、1878年にシベリア鉄道が通じると栄えた。ロシア革命後、スターリンの重工業重視の生産計画によって大工場が次々に建った。第二次世界大戦前の五か年計画では「ウラルマシ」「ウラルエレクトロチャジマシ」などの機械製作の大工場がつくられ、ソ連科学アカデミーも置かれた。街は森林公園で囲まれ、「緑の都市」として知られる。国際空港に加え、鉄道7本、高速道4本が張り巡らされた交通の要衝。ロシア革命時、皇帝ニコライ2世殺害の地。16の国立大学、多数の図書館、劇場、30以上の美術館・博物館が集中している。






5位 ニジニ・ノヴゴロド 125万人


ロシア西部、ヴォルガ川とオカ川とが合流する地点にある商工業都市。ボルガ川最大の港を有する、水陸交通の要衝。1221年にウラジーミル大公ユーリー2世が当地に要塞を築いたのが起源である。市名の「ノヴゴロド」は「新しい町」を意味するが、ロシア中にある同名の都市と区別するため、「下」という意味の「ニージュニイ」をつけた。13世紀、難攻不落のクレムリン(城砦)を有し、モンゴルによる支配からの抵抗拠点として発展。14世紀、モスクワ大公国の支配に下る。18世紀ごろから商都として繁栄し、19世紀にはロシア最大の見本市が開かれるようになった。ソ連時代から「ヴォルガ」などのブランド名で知られる自動車製造の拠点。冷戦時代は軍需・民需の工業の拠点となり、それゆえ1990年まで外国人の立ち入りが禁止された都市であった。ソ連解体後は経済改革が積極的に推進されている。ソ連時代の1932年、文学者のマクシム・ゴーリキーの出身地であることにちなみにちなみ「ゴーリキー」と改称されるも、1990年に現名にもどる。


6位 カザン 124万人


ロシア西部、カザンカ川とボルガ川の合流地点にある、ロシア連邦タタールスタン共和国の首都。諸説あるがカザンとは、タタール語で「大鍋」という意味であり、地形にちなんだものと思われる。タタール文化の中心であり、水陸交通の要衝。一説によれば、ブルガル人が13世紀後半に建設した都市が始まり。14世紀モスクワ大公国により破壊されるもすぐに再建。15世紀、タタール人が中心となったカザン・ハン国の首都となり商業都市として栄えた。16世紀、モスクワ大公国によって占領されると、タタール人はカザンを追われ、代わりにロシア人が入植した。その後はロシアの東方進出の拠点として急速に発展した。ロシア革命時は反政府運動の中心地。カザン・クレムリンや多くの文化遺産、教育機関が集まる。


7位 チェリャビンスク 120万人


ロシア中西部、ウラル山脈南部東麓に位置する、重工業都市。都市名はテュルク系民族の言葉で「高貴」という意味である。1736年に要塞が建設されたことが都市の始まり。19世紀末にシベリア鉄道が開通してから発展し、シベリアへの移民の前線基地として栄えた。第二次世界大戦中は、ドイツの攻撃から逃れてきた西部ロシアから工場が疎開してきたことにより、重工業が発展した。1957年、近隣の秘密都市・オジョルスクの核兵器工場で事故が発生し、3万人を越える住民が被曝した。2013年2月15日、チェリャビンスク州に隕石が落下し、衝撃波により市内で3300棟の建物が被害を受けた。

 





8位 オムスク 117万人


ロシア中部、カザフスタン、オミ川の流入点に位置するシベリア最古の河港都市。シベリア第二の人口を誇る。 1716年、東の遊牧民から防御する要塞として建設されたのが始まり。以来、シベリア開拓の中心地となり、西シベリア総督府が置かれた。19世紀末にシベリア横断鉄道が完成してから商業が発達した。ロシア帝国の領土が広がり国境の都市でなくなると、軍事的重要性が低下して、都市は衰退した。しかし、第2次世界大戦中、西の対ドイツ戦線から工場が疎開してきたことにより、工業が急速に発展。さらに冷戦期には国防産業の中心地となり、外国人の入境を禁じる閉鎖都市となった。しかしソ連崩壊に伴い、軍事産業が衰退すると街が失業者で溢れた。ロシア最大の石油化学コンビナートを有する。作家のドストエフスキーが1850年から54年にかけて流刑にされた地でもある。


9位 サマラ 116万人


ロシア南西部、カザフスタン北に位置する都市。ソ連時代は「クイブイシェフ」と呼ばれた。16世紀、タタール人に対する要塞が建設されたことにはじまり、ロシアと中央アジア・中東を結ぶ外交・貿易の中心地として繁栄した。第2次世界大戦中の1941年、ドイツとの戦線から離れていたため、工場のみならず、政府機関も疎開してきたことで、都市が発展した。冷戦時から航空宇宙産業の中心であったため、閉鎖都市に指定されていた。






10位 ロストフ・ナ・ドヌー 113万人


ロシア西部、ドン川の下流の丘の上に開かれた都市。町のもともとの名前である「ロストフ」は、ロシア北方にある古都・ロストフにちなんだものであり、それと区別するために「ドン川にある」という意味の「ナ・ドヌ」がつく。この地の歴史は古く、ギリシアの植民都市タナイスがあったことで知られる。中世にはジェノヴァ共和国の植民都市ターナがあった。近世にはオスマン帝国の要塞があったが、18世紀初頭にロシアが征服。1749年、オスマン帝国との交易を管理する税関と港が設置されたことで都市として発展。第二次大戦中は「ロストフの戦い」を始めドイツと激戦を繰り広げ、一時ドイツに占領されたことで、戦後の再建には10年以上の年月を要した。1952年にヴォルガ・ドン運河が完成したことで、黒海、アゾフ海、カスピ海、白海、バルト海の五つの海と繋がった。






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