ポーランドの都市・人口ランキングTOP10

ポーランド共和国 人口 3817万人 (2021年)



1位 ワルシャワ 179万人

ポーランド中東部に位置する同国の首都。10世紀ごろから集落が形成され、15世紀、マゾフシェ公の居城となる。1526年、マゾフシェ公爵家断絶によりポーランド王国領に編入。1596年、ヴァーサ王朝ジグムント3世が王宮をクラクフからワルシャワに移し、当時欧州最大面積の国家となっていた「ポーランド・リトアニア共和国」の首都となった。ワルシャワは黄金時代を迎えるが、三十年戦争や大北方戦争に巻き込まれ国力が衰えた18世紀、ロシア、プロイセン、オーストリアによる三度に渡る「ポーランド分割」によりポーランドは消滅。ワルシャワはドイツ帝国プロイセン王国領となった。1807年、プロイセンを破ったナポレオンが「ポーランド公国」を独立させ、一時その首都となるが、ナポレオン失脚により1815年からロシアが支配。約1世紀を経た1918年、ロシア崩壊に伴い独立を果たし、新しく成立した「ポーランド共和国」の首都となった。第二次大戦ではナチス・ドイツが占領。市内のユダヤ人はゲットーに隔離され、多くの人々が絶滅収容所に送られた。反ナチスの抵抗運動は激しくなったが、1943年に起きた「ワルシャワ・ゲットー蜂起」ではナチスによる焦土作戦により鎮圧され、翌年の「ワルシャワ蜂起」でも市内の9割が破壊された。1945年、ソ連軍がナチスを排除した後に成立した親ソ連・共産独裁の「ポーランド人民共和国」でもワルシャワは首都となる。1955年、ワルシャワにてソ連を中心とした共産諸国の軍事同盟「ワルシャワ条約機構」が成立。ソ連崩壊後成立した民主国家「ポーランド共和国」でも首都となり、2004年のポーランドのEU加盟なども追い風となり、急速な都市の近代化が進んでいる。戦乱で破壊された旧市街は、大戦後の復興の過程で戦前の状態に完全に復元され、1980年、旧市街含む市内一帯が「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。


2位 クラクフ 77万人

ポーランド南東部に位置する都市。もともと西スラブ人が居住。8世紀ごろに砦が築かれたと言われ、10世紀にはスラブ(チェコ)人のモラヴィア王国、ボヘミア王国が支配。11世紀、ポーランド王国ピアスト朝の配下に入った。カトリックの司教座が置かれる宗教都市となるも、13世紀にモンゴルの侵略により町は破壊された。程なく町は再建され、14世紀にポーランド王国の首都となった。都市は全盛期を迎え、大学や織物取引所、聖マリア教会などか建てられ、文化の中心地となる。しかし1596年に王国の首都がワルシャワに移されると町は衰退。17世紀の三十年戦争、18世紀の大北方戦争でさらに荒廃し、1795年の(ロシア、プロイセン、オーストリアによる)第三次ポーランド分割によりポーランドが消滅。クラクフはオーストリア領となった。1809年、クラクフはナポレオンによって新しく成立した「ワルシャワ公国」領となり、1815年mナポレオン失脚後のウィーン会議では、クラクフ一帯は露・普・墺を保護国とした「クラクフ共和国」として自治が許された。しかし1846年、独立を求めた「クラクフ蜂起」を起こすも失敗し、共和国は自治権を失った。再びオーストリア領に併合されたが、都市はポーランド文化の中心地として栄えた。1918年にポーランドは独立したが、第二次大戦でクラクフはナチス・ドイツに占領される。ユダヤ人隔離地区・ゲットーに封じ込められたユダヤ系住民は、市近郊のオシフィエンチムのアウシュビッツ強制収容所に送られ、虐殺された。ワルシャワとは異なり市内の破壊は免れたため、ポーランド王国時代の史跡が今も多く残り、旧市街は世界遺産に登録されている。戦後、ソ連の影響の下、工業都市として整備され、巨大な「レーニン製鉄所」も建設された。民主化後の現在も多国籍企業が多く集まる、ポーランド有数の経済都市として成長している。


3位 ウッチ 67万人

ポーランド中央部に位置する都市。14世紀ごろに町は作られるも長らく小村だった。18世紀末の第三次ポーランド分割によりドイツ・プロイセンの治下に入り、このころよりドイツ人職人がウッチに移住するようになった。1815年、ロシア配下ポーランド立憲共和国となると工業都市として開発され、織物や繊維工業の中心地として成長。19世紀終わり頃にはポーランド第二の都市にまで発展した。20世紀初頭に激しい反ロシアの蜂起が起こり、第一次大戦でもドイツと戦い多くの戦死者を出した。第二次大戦ではナチス・ドイツに占領され、都市名がナチスの軍人にちなみ「リッツマンシュタット」と改称された。ゲットーが作られ、ジプシーなど非ユダヤ人用の絶滅収容所、強制収容所も郊外に建設された。戦時を通じ、市民42万人が犠牲になったとされる。戦後、都市名は「ウッチ」に戻され、戦災のひどかったワルシャワに代わり1948年までポーランドの事実上の首都となった。共産ポーランド時代は再び工業都市として発展。しかし民主化後は社会主義的な産業構造の後進性などから、経済は低迷した。近年は観光都市として再建されている。


4位 ヴロツワフ 64万人

ポーランド南西部に位置する都市。10世紀、ボヘミア公ブラチスラフ1世により都市が作られたが、すぐにポーランド公国(のちポーランド王国)に支配される。また同時期に司教座も置かれた。11世紀、貨幣鋳造所が設立され、ポーランド金融の中心地となる。13世紀のモンゴルによる侵略後、14世紀にポーランド王国は統一されるも、ヴロツワフはポーランドから離脱。はじめボヘミア王国に、17世紀にはオーストリア・ハプスブルク家に支配された。18世紀半ば、オーストリアに勝利したドイツ・プロイセン領となり、ドイツによる支配は1945年まで続いた。第二次大戦中はドイツとソ連の激戦地の一つとなり、町の7割が焼失。ポーランド人による反ドイツの地下活動も繰り広げられ、ナチスのゲシュタポ(秘密警察)により弾圧された。戦後、ドイツの敗戦によりポーランド領に戻り、町は戦前の状態に再建された。19世紀より工業都市として発展した町で、現在もポーランド有数の豊かな地域である。


5位 ポズナン 53万人

ポーランド西部に位置する都市。8世紀ごろ、スラブ人によって作られたポーランド最古の都市の一つ。穀倉地帯に位置し、古くより交通の要衝だった。10世紀、ポーランド公国(のちポーランド王国)の首都となり、ポーランド初のカトリック司教座も置かれる。13世紀に一時モンゴルに侵攻されるも、14世紀ごろからドイツ・ハンザ同盟に加盟する商業都市として発展した。しかし17世紀の三十年戦争、18世紀の大北方戦争により都市は荒廃。18世紀後半の第二次ポーランド分割によりドイツ・プロイセン領となった。19世紀、ナポレオンが作った「ワルシャワ公国」領となり、ナポレオン失脚後のウィーン体制では再びプロイセン支配下の「ポズナン大公国」領。1918年のポーランド独立により同国領となった。第二次大戦ではドイツとソ連の激戦地となり、街の6割近くを焼失。都市は戦後、完全な形で復元された。現在も交通の要衝にあたる商業都市で、博覧会などが多く開催されている。


6位 グダンスク 47万人

ポーランド北部、バルト海に面する都市。ドイツ後では「ダンツィヒ」と呼ばれる。10世紀、初代ポーランド公ミェシュコ1世が砦を建設。11世紀、ポーランド系ポメラリア公国の中心地となる。14世紀、ドイツ・ハンザ同盟に加わり、バルト海貿易で栄えた。16世紀、完全にポーランドの配下に入ると、各国の人々が住む国際都市として黄金時代を迎えた。しかし欧州の戦乱に巻き込まれ国力が低下した18世紀前半にロシアに支配され、その後のポーランド分割でポーランドが消滅。グダンスクはプロイセンに併合された。1807年、プロイセンを破ったナポレオンにより、フランスに従属した半独立都市「自由都市ダンツィヒ」となるが、ナポレオン失脚後再びプロイセン領となり、住民のドイツ化が進んだ。第一次大戦のドイツ敗戦により、街はどの国にも属さない国際連盟保護下の「自由都市ダンツィヒ」となり、外交権はポーランドが得た。しかし、住民はドイツ系が多数を占めており、1933年にはナチスが市政を握った。第二次大戦では完全にナチスが都市を占拠し、ポーランド系住民は殺害されたり、強制収容所に送られた。町もナチスと連合軍との激戦地となったため、その多くが破壊された。戦後ポーランドが主権を回復すると「グダンスク」の名に戻り、町も復元。ドイツ系住民はドイツに強制送還された。ポーランド民主化を主導した政治組織「連帯」は、1980年のグダンスクのレーニン造船所でのストライキがきっかけとなり結成された。ポーランド及びその背後に控える東欧諸国にとって、バルト海における重要な港湾都市であり、またポーランド有数の観光都市としても栄えている。


7位 シュチェチン 39万人

ポーランド北西部のドイツ国境近くに位置する港湾都市。もともとゲルマン人やバルト人が住んでいた地に8世紀、ポメラニア語を話す西スラブ系ポモージェ人が要塞を築き、12世紀ごろにはポメラニア地方最大の都市へと成長した。13世紀にはハンザ同盟に加盟し繁栄したが、ポモージェ家が断絶するとスウェーデンの支配下に置かれ、その後ドイツ・プロイセンに支配される。第二次大戦ではソ連とナチスの激戦地となり、町の7割近くが焼失。戦後、ポーランド領となり、ドイツ系住民は追放された。ソ連崩壊後、(バルト三国の独立により)ロシアの飛び地となった港湾都市カリーニングラードをポーランド領とする代わりに、シュチェチンをドイツ領に復帰させるというロシアの案もあったが頓挫した。現在ではグダンスクに次ぐ国内第2の港湾都市、工業都市として発展している。


8位 ビドゴシュチ 34万人

ポーランド北部に位置する都市。13世紀ごろ、ドイツ騎士団が城塞を築いたことに歴史が始まる。14世紀、ポーランド王より都市権が与えられ、15世紀ごろ、バルト海に面する港湾都市グダンスクがポーランドの配下におさまったことで、ビドゴシュチもブルダ川を通じてバルト海に繋がる河港として発展が始まった。18世紀、第一次ポーランド分割でドイツ・プロイセン領となりると、西側に向けてビドゴシュチ運河が開削され、ドイツのオーデル川とも繋がった。19世紀、ワルシャワ公国に一時属する。その後プロイセン領に戻るも、第一次大戦後にポーランド領に復帰した。第二次大戦中はナチス・ドイツの大規模な弾圧を受ける。鉄道の要地でもあり、共産ポーランド時代に工業都市として発展。(1999年にポーランドが加盟した)北大西洋条約機構(NATO)の合同軍訓練センターが所在する。


9位 ルブリン 33万人

ポーランド東部に位置する都市。バルト海と黒海を結ぶ街道が通る位置にあたり、10世紀ごろから商業都市として発展した。14世紀、ポーランド王によって商業特権が与えられ、16世紀にルブリンでの条約締結により成立した「ポーランド・リトアニア共和国」では、国内有数の経済都市として栄えた。しかし17世紀、大北方戦争でスウェーデンに攻撃され衰退すると、18世紀末、第三次ポーランド分割でオーストリア領、19世紀には一時ワルシャワ公国に属した後、1815年よりロシア配下のポーランド立憲王国領となった。1918年、ポーランド独立に伴い同国領となり、工業都市として成長。このころにはユダヤ人が住民の約半数近くを占めていた。第二次大戦ではナチス・ドイツによる激しいユダヤ人の弾圧が行われ、郊外に巨大なルブリン強制収容所も作られた。第二次大戦終戦直後、一時ポーランドの臨時首都となる。14世紀から17世紀にかけての都市全盛時代の建築物が今も多く残っている。


10位 ビャウィストク 29万人

ポーランド北東部に位置する都市。14世紀ごろから集落が形成され、18世紀に都市権を獲得。1795年にプロイセン領、1807年からロシア領に入る。20世紀初頭から繊維産業で栄え、1919年にポーランド領となった。しかし第二次大戦期の1939年、ドイツとの取引でロシア・ベラルーシ領に編入され、ポーランド人はシベリアなどロシア奥地の強制収容所に送られた。その後1941年にドイツが侵攻するとユダヤ人の弾圧が始まり、ゲットーに閉じ込められていたユダヤ人による蜂起も起った。戦中を通じ、ドイツにより約10万人もの住民が殺害されたとされる。現在ではポーランド北東部の経済・文化の中心地である。ビャウィストク市街から東のベラルーシ国境地帯まで奥深い森林地帯が続くが、それらは「ビャウォヴィエジャの森」の名で世界遺産に登録されている。


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