オーストリアの都市・人口ランキングTOP10
オーストリアの都市の人口ランキングです。
オーストリア共和国 人口 : 893万人 (2020年)
1位 ウィーン 191万人
オーストリア北東部の盆地に位置する同国の首都。市内を流れるドナウ川と、バルト海とイタリアを結ぶ「琥珀の道」との交点にあたることから、古くより交通の要衝であった。もともと「ウィンドボナ」と呼ばれるケルト人の土地だったが、前1世紀にローマの軍営地となったことで街の歴史が始まる。12世紀にバーベンベルク家領オーストリアの首都となり、13世紀以降ハプスブルク家の領地となると、16世紀から19世紀初めまで同家が支配する神聖ローマ帝国の首都となった。二度に渡るトルコによる包囲などを乗り越え、ハプスブルク家の庇護の下バロック文化が開花。特に18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に全盛期を迎え、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらが活躍する音楽の都として繁栄した。19世紀始め、ナポレオン戦争で神聖ローマ帝国が消滅した後成立したオーストリア帝国でも首都。1814年にはナポレオン敗北後の欧州の秩序を決める「ウィーン会議」が開かれた。1848年に始まるヨーロッパ動乱の時代に即位したフランツ・ヨーゼフ1世は、17世紀より併合していたハンガリーの独立を認め、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立。二重帝国でも首都はウィーンに置かれ、1910年に人口は現在よりも多い200万人を数えた。しかし1918年、第一次世界大戦での敗戦により帝国が消滅し、ハプスブルク家による支配が終わりを告げると国は混乱を極め、第二次大戦前にはナチス・ドイツに併合された。戦後も1955年まで米英仏ソに分割統治されるなど国際政治に振り回される苦難の歴史が続いたことから、オーストリアは憲法で国際的中立を宣言。ウィーンも国際原子力機関 (IAEA)や石油輸出国機構 (OPEC)をはじめ、多くの国際機関が集まる中立都市として知られている。かつて「ヨーロッパ文化の中心地」として栄えた旧市街は2001年に「ウィーン歴史地区」として世界遺産に登録されたが、その後の開発などにより2017年に危機遺産リストに登録されている。
2位 グラーツ 29万人
オーストリア南東部に位置する都市。地名はスラブ語で「小さな城」を意味し、9世紀頃、城塞が築かれたことで都市の歴史が始まる。12世紀にバーベンベルク家領となり、13世紀に都市圏を獲得。13世紀末に始まるハプスブルグ家の支配の下18世紀頃には商業都市として栄えるも、19世紀前後にナポレオンに幾度となく占領された。1840年に鉄道が開通したことで工業が発展し、今も鉄鋼、精密機械製造などが盛んである。旧市街は「グラーツ市歴史地区」として世界遺産に登録されている。
3位 リンツ 20万人
オーストリア北部に位置し、ドナウ川が街の中央を貫く都市。ローマ時代に砦が築かれ、「レンティア」と呼ばれていた。13世紀にバーベンベルク家領となると都市は発展を始め、ドナウ川水運の要衝として栄えた。15世紀には神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世の居住地となったこともある。1785年に司教座が置かれると文化の中心地となり、天文学者のケプラーらも活躍した。第二次大戦時はナチスに支配されたが、ヒトラーの故郷(ブラウナウ・アム・イン)に近かったことから、ヒトラーはリンツを大改造し「ヒトラポリス」と改名する計画を持っていたとされる。そのころよりドナウ河川の水運を生かした工業が発展し、現在でもオーストリア有数の工業都市として知られる。
4位 ザルツブルク 15万人
オーストリア中北部に位置し、西でドイツに接する都市。「ザルツ」は近隣で産出される「塩」、「ブルク」は「砦」を意味する。ケルト人、ローマ人に支配され、8世紀には司教座が置かれた。カトリックの中心地となりローマ法王庁との関係が強かったことから「北のローマ」の異名を持つ。1816年のウィーン会議でオーストリア領になるまでドイツに属していたため、現在でもドイツ文化の影響が色濃く残っている。18世紀にはザルツブルク出身のモーツァルトが大司教の宮廷作曲家として活躍。1920年からモーツァルトを記念して「ザルツブルク音楽祭」が毎夏開かれている。中世の趣が残る旧市街は「ザルツブルク市街の歴史地区」の名で世界遺産に登録されている。
5位 インスブルック 13万人
オーストリア西部に位置し、アルプス山脈に囲まれる都市で、アルプス越え交通の要地。イン川が街の中央を走り、地名もラテン語で「イン川の橋」を意味する。12世紀、神聖ローマ帝国アンデクス伯が町を購入。13世紀にハプスブルグ家チロル伯領の首都となった。チロル伯断絶後の15世紀、マクシミリアン1世の時代には一時神聖ローマ帝国の首都が置かれ、近隣のチロル鉱山から産み出される富によって文化・芸術も栄えた。1848年にウィーンで三月革命が起こった際にも一時臨時首都となる。避暑地、スキーのメッカとして有名で、1964年と1976年に冬季オリンピックが開かれた。
6位 クラーゲンフルト 10万人
オーストリア南部、イタリアとの国境近くに位置する盆地内の都市。ウェルテル湖の東側に街が広がる。公式名は「クラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼー」。12世紀に都市が作られ、13世紀に都市権を獲得。しかし16世紀から18世紀にかけ4回ほど大火に遭い、現在残っている建物はそれ以降のものがほとんどである。1863年の鉄道開通以降、商業都市として発展した。ナチスに占領された第二次大戦後、オーストリア独立の1955年までイギリス軍が駐留していた。
7位 フィラハ 6万人
オーストリア南部、イタリアとスロベニアの国境近くに位置する都市。標高500m、ドナウ川支流のドラウ川沿いに街が広がる。ローマ時代から繁栄し、10世紀ドイツ国王領、11世紀バンベルク司教領となり、13世紀に都市権を獲得。中世もドイツとイタリアを繋ぐ交通の要地として栄えた。しかし1348年にはこの地域では史上最大とも言われる大地震に見舞われ、また他に新たな交易路が増えたことで一時フィラハは衰える。16世紀の宗教戦争ではプロテスタント化するも、すぐにカソリックが奪回した。1759年にオーストリアが購入し同国に編入。19世紀、鉄道網が整備されると再び商業が栄え、オーストリア南部の玄関口となっている。ウィンタースポーツが盛んで、温泉も湧き出る観光地としても有名である。
8位 ヴェルス 6万人
オーストリア中北部に位置する都市。もともとはケルト人の地で、ヴェルスの名もケルト語に起源を持つと言われる。ローマ時代に繁栄したが、帝国の消滅とともに衰退。中世にバンベルク領となり、13世紀に都市権を獲得。交通の要衝として復活した。16世紀、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が没した地でもある。第二次大戦中はナチスの空軍拠点の一つで、戦後は都市の復興まで10年ほどの時間を要した。14世紀から見本市が盛んで、現在も年間100回ほどの展示会が開かれている。
9位 ザンクト・ペルテン 5万人
オーストリア北東部に位置する古都。ローマ時代から町が形成され、13世紀に都市権を獲得。中世から織物業が盛んで、ひいてはそれが18世紀以降の機械化した綿工業の発展、20世紀以降工業都市としての繁栄に繋がった。ザンクトペルテン大聖堂を始め、多くのバロック建築が今に残っている。
10位 ドルンビルン 4万人
オーストリア西部のスイス国境近く、東アルプスの標高437メートルに位置する都市。9世紀ごろに街の歴史が始まり、14世紀にオーストリアに組み入れられる。19世紀の終わり頃、繊維産業が盛んになり都市は発展を始め、1901年に市に昇格した。第二次大戦はオーストリア独立の1955年までフランス軍が駐留。1989年のフォアアールベルク応用科学大学の設立以降、科学都市としても知られる。現在も繊維産業が盛んで、国際見本市も多く開かれている。
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