中国の遷都

有史以来の中国の遷都についてまとめます。


関連:中国の都市・人口ランキングTOP50世界の都市・20世紀以降の遷都


鎬京(西安付近) (西周)

前1122年?-前771年

実在が確認されている最古の王朝・殷を滅した後、西周の都として現在の西安付近に「鎬京」を定める。対岸にあった「豊邑」から当地に遷都された。


 





洛邑(洛陽) (東周)

前770年-前256年

紀元前8世紀前半、異民族の攻撃を受けた周は、鎬京の東「洛邑(洛陽)」に遷都する。これをもって周は東周となり、それ以前は西周と呼ばれる。

遷都を機に東周時代は支配の実権を失い、春秋・戦国時代に突入する。



咸陽 (秦)

前221年-前206年

戦国七雄のなかから起こった新興の秦は、東方の6国を滅ぼし、中国を統一。孝公が「咸陽城」を造り、西安の隣のこの地に都を移す。その後、始皇帝により阿房宮造営の大規模な工事が行われ、当時としては稀な巨大都市となった。


 





長安(西安) (前漢→新)

前206年-23年

秦を滅した漢の劉邦は、咸陽を破壊し、その郊外に新たな都城を建設、「長安」と命名した。周代以来当地が首都となるのは二度目。武帝の下、漢は繁栄を極めるが、その死後国は荒れた。


雒陽(洛陽) (後漢)

25年-190年

漢を再興した洪武帝は、洛陽に都を移す。洛陽が首都となるのは周代以来二度目。


長安(西安) (後漢)

190年-196年

三度、長安に遷都される。長安に遷都された後の漢を「西漢」とも呼ぶ。


許昌 (後漢)

196年-220年

漢代末、荒れた洛陽・長安を離れ、曹操が遷都した。



洛陽 (西普)

265年-316年

魏・呉・蜀の三国鼎立時代を迎える。魏が蜀を滅ぼし、晋となる。100年ぶりに中国を統一した晋の武帝は、洛陽に遷都。当地は三度目の首都となる。洛陽に都のある時代の晋を「西晋」と呼ぶ。


健康(南京) (東普)

317年-420年

山西で挙兵した匈奴によって西晋が滅ぼされ、洛陽は占拠される。晋の皇族は戦乱によって荒廃した洛陽から江南に逃れ、「健康(南京)」に遷都した。その間、華北は五胡十六国時代と呼ばれる、小国家乱立時代が続く。


 





大興(南京) (隋)

581年-618年

華北は北魏以降、5王朝が乱立(北朝)。江南は、宋以降4王朝が乱立(南朝)。北朝では平城や洛陽が、南朝では引き続き健康が首都となった。

北魏は東西に分裂。西魏の楊氏が隋を開き、「大興(西安)」に遷都。大興城を作り、当地は4度目の首都となる。隋は南朝の陳を滅ぼし、270年ぶりに中国を統一した。


長安(西安) (唐)

618年-907年

隋が土木工事による財政難と高句麗遠征失敗により倒れ、唐が起こる。唐は大興城をそのまま引き継ぎ、「長安」とした。


開封 (北宋)

960年-1127年

唐が滅び、王朝が乱立した五代の動乱ののち、漢族が中心となった宋が成立する。北方のモンゴル系の契丹と講和を結び、開封を首都とした。開封は大運河と黄河をつなぐ中間点にある商業都市として栄えた。



臨安(杭州) (南宋)

1127年-1279年

華北に金が起こり、開封を占領。宋の皇帝の弟が長江以南の臨安(杭州)に逃れ、首都とした。


 





次ページ
 




→ HOMEに戻る
1 2

シェアする