ギリシャの都市・人口ランキングTOP10
ギリシャの都市の人口ランキングです。
ギリシャ共和国 人口 : 1072万人 (2019年)
1位 アテネ 66万人
バルカン半島南東部、ギリシア南部に位置する同国の首都。古代ギリシア語では「アテナイ」と呼ばれた。丘に囲まれたアテネには新石器時代以来人が住んでいたが、前8世紀にはポリスとなり、アクロポリスの丘を中心に街が形成されていた。前5世紀、ペリクレスの時代にペルシアに勝利するとアテナイは全盛期を迎え、文化の中心地として数多くの哲学者や科学者、芸術家を輩出した。しかし、ペロポネソス戦争でスパルタに敗れてから衰えを見せ始め、前4世紀、カイロネイアの戦いで敗れるとマケドニアに支配に下る。その後ローマ領、東ローマ領、フランク公国領を経て、15世紀にオスマン帝国に支配された。そのころまでにアテネは衰退し、1834年にオスマン帝国の支配から開放された際は、人口5000人ほどの小村となっていた。しかし、国王オットー1世が新生ギリシア王国の首都としてアテネを再建すると、第一次大戦ごろにはギリシアの政治経済の中心地に返り咲く。 都市名はギリシア神話の女神で城塞都市の守護女神アテナに因んだもの。女神を祀ったパルテノン神殿はじめアクロポリスの丘には古代ギリシア時代の遺跡が残り、それらは世界遺産に登録されている。またローマ、東ローマ時代の遺跡も多く残る、観光都市として有名である。
2位 テッサロニキ 32万人
ギリシャ北部、エーゲ海に面する港湾都市。古代ギリシア時代から「テルマ」と呼ばれた商業の中心地だった。前4世紀、マケドニアに支配され、カッサンドロス王が新市街を建設。王の妻の名前を都市名として今に続く。ローマ時代を経て、東ローマ時代にはコンスタンティノープル(現イスタンブール)に次ぐ東ローマ帝国第二の都市として栄えた。15世紀にオスマン帝国に支配され、1912年にギリシアに返還される。現在も北ギリシアの文化経済の中心地で、テッサロニキ港はエーゲ海最大の貿易港の一つ。ローマ時代の遺跡やビザンティン教会群は世界遺産に登録されている。
3位 パトラス 21万人
ペロポネソス半島西端に位置する都市。イオニア海コリントス湾の入口の町で、古くからイタリアとの交易が盛んだった。ミケーネ文明の古代都市パトライの遺跡は今の市街よりも内陸にあり、アクロポリス(城市)跡が残る。前1世紀にローマに支配された後、3世紀ごろまで商業都市として繁栄。15世紀以降、ベネチア、オスマン帝国に支配された。1821年、ギリシア独立戦争では蜂起の地となったが、1828年にオスマンが撤退する際に町は焼き払われた。碁盤の目状の現在の市街は、1830年代に焼け野原から再建されたものである。
4位 イラクリオン 17万人
エーゲ海南、クレタ島の北岸にある都市。古代ギリシア読みでは「ヘラクレイオン」。古代ギリシアではクレタ文明の中心地クノッソスの外港として栄えた。現在の市街の起源は、9世紀にアラブ人がクレタ島の首都として建設した「ハンダク」と呼ばれた町である。13世紀にベネチアに支配され、17世紀にオスマン帝国領となると港は放置された。1913年にギリシアに返還。第二次大戦後、新しい港が建設されると商業都市として復興した。アメリカの地中海戦略の拠点として米空軍基地がある。
5位 ピレエフス 16万人
バルカン半島南東部に位置しエーゲ海サロニコス湾に臨む都市。古代ギリシア語読みでは「ペイライエウス」。首都アテネの外港であり、ギリシア最大の港湾都市である。前5世紀、将軍テミストクレスがペルシアとの戦いに備えて作った港町が起源であり、アテナイの外港として発展した。前1世紀にローマに侵略されると衰退。4世紀にもゴート族によって港は壊滅的被害を受けた。しばらく廃れた港だったが、19世紀、ギリシアが独立し首都アテネの港として再建されると大きく発展。ナチスに占領された第二次大戦では連合国の爆撃を受けたが、戦後復興。ギリシア及びエーゲ海最大の港となった。しかし2016年、経済危機でIMFに対し債務不履行に陥り債務圧縮を義務付けられたギリシアは、ピレエフス港を中国の海運大手・中国遠洋運輸に35年の期限で売却。ピレエフス港は、中国の習近平国家主席が推し進める一帯一路構想の地中海での重要な港として位置づけられ、中国遠洋運輸は9億ユーロを投じてピレエフス港を欧州最大の貿易港に育てる計画である。
6位 ラリサ 16万人
バルカン半島部中部、テッサロニキから南西120km、アテネから北西220kmに位置する都市。ギリシアの中央に位置する交通の要地である。旧石器時代より人が住んでいた記録があり、「ラリサ」の名前も古代ギリシア語で「城塞」を意味する。前4世紀ごろまで豪族アレウアダイの本拠地で、テッサリア地方の中心だったが、その後内紛で衰退。前4世紀にマケドニアに支配される。その後ローマ、東ローマ、ブルガリア、セルビアに支配され、15世紀にはオスマン帝国領となる。1881年に独立ギリシア領。肥沃なラリサ平野で収穫される農産物の集散地として発展した。
7位 ヴォロス 14万人
バルカン半島中部、エーゲ海のパガシティコス湾の湾奥に位置する都市。現市街の背後にあるピリオン山麓の丘陵には、ミケーネ時代の古代都市イオルコスがあった。オスマン帝国時代には小村となっていたが、1881年にギリシアに割譲された後、海岸沿いの新市街が都市計画に基づいて発展。現在はギリシア第三の商業港となり、港周辺には大規模な工業地帯を有する。1954年と55年に大地震で壊滅的被害を受けた後、街が再建されたため、ギリシアでは比較的近代的建築の多い都市である。
8位 ペリステリ 13万人
ギリシア南部、首都アテネの北近郊に位置するアテネの郊外都市。都市名はギリシア語で「鳩」を意味する。それまで小さな集落だったが、1922年、ギリシアとトルコが争った希土戦争による混乱でトルコ・アナトリア半島から逃れてきたギリシア系難民によって町が形成された。1960年代以降無秩序に開発が進み、現在では人口密度が13,928人/㎢(東京23区は15,170人/km²)とギリシャではかなり密集している都市である。2000年代に入り地下鉄が開通し、交通状況は大幅に改善されている。
9位 ロードス 11万人
ギリシャ東部、地中海のドデカネス諸島東南に位置するロードス島北東端に位置する同島の中心都市。トルコ・アナトリア半島沿岸から20kmほどの近距離にある。4000年前から人々が住んでいたと言われ、古代ギリシア時代の前3世紀ごろ、世界七不思議のひとつに数えられる高さ50mの「ロードス島の巨像」が作られたと言われる。14世紀、聖ヨハネ騎士団が築いた城塞である旧市街には宮殿や施療院が残り、それらは「ロードス島の中世都市」として世界遺産に登録されている。
10位 イオアニナ 11万人
ギリシア西部に位置し、イオアニナ湖に面する都市。6世紀、東ローマ皇帝・ユスティニアヌス1世によって建設された。町の名称は使徒ヨハネが守護する地域であったという伝承から「ヨハネの(町)」を意味する。9世紀ごろには東ローマ帝国の重要な都市となっていた。15世紀からオスマン帝国領に入るが、18世紀末から19世紀にかけてオスマン帝国支配に反対する地方長官アリー・パシャの拠点となり、国際的都市として一時繁栄した。1913年にギリシャ返還。イオアニナ湖に突出した岬の上にアリー・パシャが築いた城砦があり、観光名所となっている。
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