アフリカ大陸の都市・人口ランキングTOP30

アフリカ大陸の都市の人口ランキングを30位まで集計しました。


アフリカの都市は近い将来、人口ランキングで上位を占めると考えられており、特にラゴスは上海を抜いて世界一人口の多い都市になるとする調査もあります。


1位 ラゴス (ナイジェリア) 1312万人

ラゴス
ラゴスは、ナイジェリアの南西端のベニン湾岸に位置する同国最大の大都市・港湾都市。16世紀にポルトガル人によって建設され、後イギリスの植民地に。「奴隷海岸」と呼ばれ、1851年まで奴隷貿易の一大中心地となった。19世紀より保護領の行政府が置かれ、ナイジェリア独立後は首都となる。1976年に国内の南北対立を解消するため、国中央に位置するアブジャに遷都される。1970年代の石油産業にけん引された好景気により高層ビルが多数建設されが、一方で大規模なスラム街が広がり、犯罪、エイズ感染、格差、交通渋滞など、多くの深刻な都市問題を抱える。「ラゴス」とはポルトガル語で「ラグーン」の意味である。





2位 キンシャサ (コンゴ民主) 1012万人

キンシャサ
キンシャサはコンゴ民主共和国の首都。コンゴ川下流に位置する内陸河川交通の要衝。19世紀にはここにキンシャサとキンタンボという名前の2つのコンゴ人の村落があった。19世紀末に鉄道が整備されると、大型船が航行できる地域として海に近いキンシャサは、内陸部の物資を船で集め鉄道で海まで運ぶ結節点として繁栄した。1926年、ベルギーによりレオポルドヴィルとして植民地の首都になる。1960年のコンゴ独立の後は幾度となく内戦の舞台となるが、その間に労働者が殺到し人口が急増。1966年、文化のアフリカ化政策の一環でキンシャサと改名。21世紀に入り政情が以前に比べればやや安定したことを受けて、欧米や中国の鉱山会社が資源を求めてコンゴへ進出しキンシャサは栄えるが、一方で貧富の格差や非常に高い犯罪率が問題となっている。コンゴ川をはさんだ対岸にはコンゴ共和国の首都ブラザヴィルが位置するが、隣り合っている都市が両方とも共国家の首都というのは世界中でここだけである。





3位 カイロ (エジプト) 929万人


エジプトの首都。エジプトはナイル河谷地方の上エジプトとデルタ地方の下エジプトとに古代エジプト以来2分されているが、その両者の接点にカイロは位置する。ナイル川下流河畔の交通の要衝として、中世に建設されてより現在にいたるまで、イスラム世界の学術・文化・経済の中心都市である。それまでは未開の地であったが、イスラム帝国が7世紀にエジプトを征服以来のエジプトの首府となった。ファーティマ朝時代に商業都市としても発展を始める。その後、オスマンやナポレオンの侵攻を受け政治の中心から退くも、半独立を果たしたムハンマド・アリー朝のもとで再びカイロは政治の中心となり、都市の近代化が進められた。しかしこれらの近代化政策は財政を破綻させ、エジプトはイギリスの保護領となるが、1922年には独立を果たしカイロは再び首都となった。イギリスの実効支配を脱したエジプト革命後都市は急拡大を続け、その人口は1907年に95万人だったものが、1988年には1200万人に達している。


4位 ルアンダ (アンゴラ) 777万人

ルアンダ
アフリカ南西部、太平洋に面するアンゴラの首都。天然の良港であり、コーヒーやダイヤモンドを輸出する。もともとは16世紀、ポルトガルによって造られた植民都市。その後オランダ西インド会社、ブラジル植民地軍によって支配される。そのことからブラジルとルアンダの結びつきは強く、19世紀、ブラジルがポルトガルから独立した際にはブラジル領に組み込まれる動きもあった。1961年アンゴラがポルトガルから独立すると、独立運動を支援したキューバ人が多く住むようになった。内戦終了後、豊富な天然鉱物があるアンゴラの首都であるルアンダは急成長。世界中から投資があつまり、とある調査で海外駐在員にとって世界で最も生活費の高い都市にランクされたこともある。


5位 アレクサンドリア (エジプト) 510万人

アレクサンドリア
カイロに次ぐエジプト第2の都市。紀元前332年、マケドニア国王アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)が、オリエント各地に自らの名を冠して建設したギリシア風の都市の第一号であった。ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄える。多くの哲学者、数学者、神学者が活躍し。641年にはアムル・イブン・アル=アースにより陥落され、イスラーム世界に組み込まれる。アラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため経済的に沈滞したが、学芸の都として性格は残り続け、古代ギリシア・ローマ文明にイスラーム文明がミックスしたアラビア科学揺籃の地のひとつとなった。やがて、インドの香辛料を求めて、ヴェネツィア商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。16世紀にインド洋航路を開拓される再び衰えを見せ始めるが、19世紀にムハンマド・アリーの近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで綿花が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市として三たび繁栄を始める。現在ではエジプト・アラブ共和国の工業や経済の中心地、そして化学産業などが進出し、エジプト屈指の工業都市として発展を続けている。





6位 アビジャン (コートジボワール) 439万人

アビジャン
コートジボワール南部に位置する同国の旧首都であり最大の都市。小さな村であったが、1893年にフランス領コートジボワールが成立した後、フランスは大西洋に面する同地から先住民を追放し、アビジャン市を建設した。1934年に遷都され、アビジャンが首都になった。1960年にコートジボワールが独立すると、開放政策によりアビジャンはさらに開発が進み、西アフリカ諸国から多くの移民を受け入れた。1983年に同国の首都は内陸部のヤムスクロに遷都したが、現在もアビジャンは同国の政治、経済の中心となっている。


7位 ダルエスサラーム(タンザニア) 436万人

ダルエスサラーム
アフリカ中部、太平洋に面するタンザニア最大の都市で、かつての首都。19世紀、対岸にあるインド洋上のザンジバル島を支配するザンジバル・スルタン国によって建設される。1887年にドイツが進出し、1895年に独領東アフリカの首都がとなった。第一次世界大戦でドイツが敗北すると、独領東アフリカはイギリス委任統治領タンガニーカとなり、ダルエスサラームはタンガニーカの政治・経済の中心都市となった。これにより英植民地のインドから数多くの移民を受け入れた。第二次大戦後の1961年にタンガニーカは独立し、1965年にザンジバルと合邦してタンザニア連合共和国が成立するとダルエスサラームが首都となった。1973年、首都は内陸部のドドマに移されたが、国会を除く官公庁や中央銀行をはじめとする主要な機関のほとんどが現在も残っているため、ダルエスサラームが実質的首都と見なされている。


8位 ギザ (エジプト) 421万人

ギザ
カイロ近郊のエジプトの都市。ナイル川中流の西岸に位置する、古代エジプト以来の都市である。クフ王のピラミッドをはじめとするギザの三大ピラミッドと、大スフィンクスがある遺跡の町として有名である。7世紀にエジプトを征服したアラブ人が、現在のカイロの地にエジプトの首都を置いて以来ギザは首都近郊の都市として発展した。19世紀以降ギザのピラミッドとスフィンクスは、外国人が必ず訪れる観光名所となり現在に至る。





9位 カサブランカ(モロッコ) 349万人

カサブランカ
モロッコ中部、大西洋に面する同国最大の港湾都市。前10世紀にベルベル人が定住し、アンファと呼ばれていた。12世紀ごろからイスラム化するも15世紀に再び独立。しかしアンファを拠点とした海賊船がポルトガルを襲ったため、ポルトガルによって破壊される。16世紀、ポルトガルによって街が再建され「カサブランカ」と名付けられる。しかし18世紀、大地震により壊滅的被害を受けるとポルトガルは撤退。アラウィー朝モロッコによってカサブランカは再建され、街は要塞化した。1907年にフランスが占領し、要塞の外側に新市街が作られ、官庁や百貨店、ホテルが立ち並んだ。フランス保護領の次期を経て、第二次大戦後の1956年に独立。現在モロッコの貿易量の4分の3がカサブランカの港を経由し、また絨毯の産地としても有名。同国有数の観光地でもある。


10位 アジスアベバ (エチオピア) 327万人

アジスアベバ
アフリカ大陸北東部、エチオピア中央に位置する同国の首都であり、政治、経済、文化の中心地。市名はアムハラ語で「新しい花」の意。アディスアベバはもともと避暑地であり、気候がよかったことから1889年、エチオピア帝国メネリク2世が当地に遷都した。1936年にイタリアに占領され伊領東アフリカの首都となる。第二次大戦中はイギリスの支配下に入るもすぐにエチオピア帝国に戻る。戦後近代化が急速に進んだ。国連アフリカ経済委員会、アフリカ連合などの本部があり、アフリカの政治的な首都と呼ばれる。


11位 イバダン (ナイジェリア) 316万人

イバダン
アフリカ大陸中部西、首都ラゴスの北に位置するナイジェリア南西部の商業都市。19世紀初頭、オヨ帝国から独立したイバダン王国の首都が置かれ、都市国家として栄えた。1893年にイギリス支配下に入り、1901年にはラゴスから鉄道が、1920年には自動車道が開通。ココア、タバコ、ヤシ油の集散地として栄えた。1951年に西部ナイジェリアの首都になった際には人口が40万を超え、アフリカ人が建設した最大の都市と言われた。





12位 ナイロビ (ケニア) 313万人

ナイロビ
アフリカ中部東、ケニアの首都。赤道に近いが海抜1798メートルの高原に位置するため、気候は年間を通じて涼しい。都市名はマサイ語で「冷たい水の場所」を意味する。19世紀末、イギリスによって鉄道工事の基地として建設され、1907年に英領東アフリカの首都となる。交通の要衝であり、冷涼な気候と水に恵まれ肥沃な農地を有するため、移住者が急増した。英本国からも移住者が増加したが、彼らは気候のいい高原部である市西部に集中して入植し「ホワイト・ハイランド」を形成。市東部はインド人と黒人居住区に指定され、劣悪な環境におかれた。このように都市の形成の初期段階においてナイロビはアフリカ人による歴史を持たない。1963年のケニア独立後、ナイロビへの人口流入はいっそう急激となり、街東部に広大なスラム街が生まれ、治安の悪化を招いた。近くにナイロビ国立公園があり、多くの観光客を集める。コーヒー、紅茶、サイザル麻などの集散地。都心部には高層ビルが建ち並び、東アフリカの中心的都市として多くの国際機関がある。


13位 カノ (ナイジェリア) 282万人

カノ
アフリカ西部、ギニア湾に面するナイジェリアの北部に位置する内陸の街。サハラ隊商路の要地で、数世紀の間西スーダン地方の主要な市場町の一つであり、金・塩・奴隷・象牙などを扱う交易拠点として発展した。 11世紀末から12世紀中頃までハウサ王国カノの首都。12世紀頃より、ムスリム商人の活動にともなってイスラム化した。 1820年代前半にイギリスの探検家が来訪し、1903年イギリス支配下に入る。1960年、ナイジェリアがイギリスから独立。 現在ではピーナッツの生産、集散地として知られる。アド・バイェロ大学があり、ナイジェリア北部における教育の中心地でもある。旧市街は周囲17kmの城壁に囲まれ、その外側にイギリスが建設した新市街がある。1991年には約60万人だった人口が、現在は415万人にまで急増している。


14位 ドゥアラ (カメルーン) 276万人

ドゥアラ
アフリカ中部西、ギニア湾支湾のボニー湾にのぞむカメルーンの港湾都市。同国最大の港をもち、フランス系資本を中心に工場、商社が並び立つ。1800年頃ドゥアラ族の地で、1901から1916年までドイツ領カメルーンの首都、1940から46年はドイツに抵抗するド・ゴールの自由フランス支配地域の首都であった。古来のアフリカ文化と植民地時代のヨーロッパ文化が混交する街である。





15位 ヤウンデ (カメルーン) 276万人

ヤウンデ

アフリカ中部西、カメルーンの首都であり同国人口第二の都市。1888年、標高約700mの丘陵地に象牙交易の基地としてドイツが創設。 1915年にベルギーが占領、1922年にはフランスに占領され仏領カメルーンの首都となった。1940から一時ドゥアラに遷都したが、1960年のカメルーンの独立とともに同国の首都となった。軽工業が盛んであり、周辺農村部採れたカカオ、コーヒーの集散地でもある。





 

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