アフリカ大陸の都市・人口ランキングTOP30

アフリカ大陸の都市の人口ランキングを30位まで集計しました。


アフリカの都市は近い将来、人口ランキングで上位を占めると考えられており、特にラゴスは上海を抜いて世界一人口の多い都市になるとする調査もあります。

*最新ランキングに更新しました(2022年3月22日)


1位 ラゴス (ナイジェリア) 1312万人

ナイジェリアの南西端のベニン湾岸に位置する同国最大の都市。「ラゴス」とはポルトガル語で「ラグーン」を意味し、ラゴス・ラグーン内のラゴス島を中心に都市が構成される。もともと「エコ」と呼ばれる小島の村があったが、16世紀、ラグーンの天然の良港に目をつけたポルトガルが都市を建設。1851年まで、「奴隷海岸」と呼ばれたベニン湾岸の奴隷貿易の一大中心地となった。1861年、イギリスの植民地になると英保護領の行政府が置かれ、1960年のナイジェリア独立後は首都となる。1976年に国内の南北対立を解消するため首都が国中央に位置するアブジャに移され、1991年に移転作業が完了した。1970年代、石油産業にけん引された好景気により高層ビルが多数建設されたが、ナイジェリア中から人々が流入したことで大規模なスラム街が広がり、犯罪、エイズ感染、格差、交通渋滞など、多くの深刻な都市問題が生み出された。人口は2025年に1580万人、2050年に3263万人、2100年には8800万人を超える世界最大の都市となるとする予測もある。


2位 キンシャサ (コンゴ民主) 1012万人

キンシャサはコンゴ民主共和国の首都。コンゴ川下流に位置する河川交通の要衝。19世紀にはここに「キンシャサ」と「キンタンボ」という名前の2つのコンゴ人の村落があった。19世紀末に海岸まで鉄道が整備されるとキンシャサは、コンゴ川を下ってきた内陸部の物資を船で集め、そこから鉄道で海岸まで運ぶ結節点として繁栄した。1926年、「レオポルドヴィル」としてベルギーの植民地の首都になる。1960年のコンゴ独立の後は幾度となく内戦の舞台となるが、その間に労働者が殺到し人口が急増。1966年、文化のアフリカ化政策の一環でキンシャサと改名。21世紀に入り、政情が以前に比べればやや安定したことを受けて、欧米や中国の鉱山会社がコンゴへ進出しキンシャサは栄えるが、一方で貧富の格差や非常に高い犯罪率が問題となっている。コンゴ川をはさんだ対岸にはコンゴ共和国の首都ブラザヴィルが位置するが、隣り合っている都市が両方とも国家の首都というのは世界中でここだけである。


3位 カイロ (エジプト) 929万人

エジプトの首都。エジプトは古代以来、ナイル河谷地方の「上エジプト」とデルタ地方の「下エジプト」とに2分されているが、その接点にカイロは位置する。ナイル川交通の要衝として、中世に建設されてより現在にいたるまで、イスラム世界の学術・文化・経済の中心都市である。未開の地であった当地は、7世紀にイスラム帝国がエジプトを征服して以来、エジプトの首府となった。ファーティマ朝時代に商業都市としても発展を始める。その後、オスマンやナポレオンの侵攻を受け政治の中心から退くも、半独立を果たしたムハンマド・アリー朝のもとで再びカイロは政治の中心となり、都市の近代化が進められた。しかしこれらの近代化政策は財政を破綻させ、エジプトはイギリスの保護領となった。1922年の独立後は再び首都。英国の実効支配を脱したエジプト革命後、都市は急拡大を続け、その都市圏人口は1907年に95万人だったものが現在は1600万人に達している。人口爆発に伴い、現在カイロ近郊で新首都(ニューカイロ)や衛星都市の建設が進められており、2020年中にも首都機能の移転が始まると見られる。イスラム地区とカイロ発祥のオールド・カイロ地区は、カイロ歴史地区として世界遺産に登録されている。


4位 ルアンダ (アンゴラ) 777万人

アフリカ南西部、太平洋に面するアンゴラの首都。天然の良港であり、コーヒーやダイヤモンドを輸出する。もともとは16世紀、ポルトガルによって造られた植民都市。その後オランダ西インド会社、ブラジル植民地軍によって支配される。そのことからブラジルとルアンダの結びつきは強く、19世紀、ブラジルがポルトガルから独立した際にはブラジル領に組み込まれる動きもあった。1961年、アンゴラがポルトガルから独立すると、独立運動を支援したキューバ人が多く住むようになった。内戦終了後、豊富な天然鉱物があるアンゴラの首都であるルアンダは急成長。世界中から投資が集まり、現在では「海外駐在員にとって世界で最も生活費の高い都市」にランクされることもある。


5位 アレクサンドリア (エジプト) 510万人

アレクサンドリア

カイロに次ぐエジプト第2の都市。紀元前332年、マケドニア国王のアレクサンダー大王が、オリエント各地に自らの名を冠して建設したギリシア風都市の第一号であった。ヘレニズム時代の地中海貿易と文化の中心地として栄え、多くの哲学者、数学者、神学者が活躍した。7世紀、イスラムの武将・アムル・イブン・アル=アースにより陥落され、イスラム世界に組み込まれる。アラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため経済的に沈滞したが、学芸の都として性格は残り続け、古代ギリシア・ローマ文明にイスラム文明がミックスしたアラビア科学の中心地となった。やがて、インドの香辛料を求めてヴェネツィア商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄する。19世紀に綿花の積み出し港してさらに発展。現在ではエジプトの工業や経済の中心地である。


6位 ナイロビ (ケニア) 439万人

ナイロビ

アフリカ中部東、ケニアの首都。赤道に近いが海抜1798メートルの高原に位置するため、気候は年間を通じて涼しい。都市名はマサイ語で「冷たい水の場所」を意味する。19世紀末、イギリスによって鉄道工事の基地として建設され、1907年に英領東アフリカの首都となる。交通の要衝であり、冷涼な気候と水に恵まれ肥沃な農地を有するため移住者が急増した。英本国からも移住者が増加したが、彼らは気候のいい高原のある市西部に集中して入植し「ホワイト・ハイランド」を形成。市東部はインド人と黒人居住区に指定され、劣悪な環境におかれた。このように都市形成の初期段階において、ナイロビはアフリカ人による歴史を持たない。1963年のケニア独立後、ナイロビへの人口流入はいっそう急激となり、街東部に広大なスラム街が生まれ、治安の悪化を招いた。近くにナイロビ国立公園があり、多くの観光客を集めている。コーヒー、紅茶、サイザル麻などの集散地。都心部には高層ビルが建ち並び、東アフリカの中心的都市として多くの国際機関がある。


7位 アビジャン (コートジボワール) 439万人

アビジャン

コートジボワール南部に位置する同国の旧首都であり、同国最大の都市。もともとは小さな村であったが、1893年にフランス領コートジボワールが成立した後、フランスは大西洋に面する同地から先住民を追放し、アビジャンを建設した。1934年に植民地首都となる。1960年にコートジボワールが独立すると、開放政策によりアビジャンはさらに開発が進み、西アフリカ諸国から多くの移民を受け入れた。1983年に同国の首都は内陸部のヤムスクロに遷都したが、現在もアビジャンは同国の政治、経済の中心となっている。


8位 ダル・エス・サラーム (タンザニア) 436万人

ダルエスサラーム

アフリカ中部、太平洋に面するタンザニア最大の都市で、かつての首都。19世紀、対岸にあるインド洋上のザンジバル島を支配していたザンジバル・スルタン国によって建設される。1887年にドイツが進出し、1895年に独領東アフリカの首都となった。第一次大戦でドイツが敗北すると統治はイギリスに移り、これにより英植民地のインドから数多くの移民が流入した。1961年に独立し、1965年にザンジバルと合邦してタンザニア連合共和国が成立するとダルエスサラームは首都となった。1973年、首都は内陸部のドドマに移されたが、国会を除く官公庁や中央銀行などの主要な機関のほとんどが現在もダルエスサラームに残っているため、実質的な首都と見なされている。


9位 ギザ (エジプト) 421万人

ギザ

カイロ近郊のエジプトの都市。ナイル川中流の西岸に位置する、古代エジプト以来の都市である。クフ王のピラミッドをはじめとする「三大ピラミッド」と、大スフィンクスがある遺跡の町として有名である。7世紀にエジプトを征服したアラブ人が現在のカイロにエジプトの首都を置いて以来、ギザは首都近郊の都市として発展した。19世紀以降ピラミッドとスフィンクスは、外国人が必ず訪れる観光名所となっている。


10位 カサブランカ (モロッコ) 356万人

カサブランカ

モロッコ中部、大西洋に面する同国最大の港湾都市。前10世紀にベルベル人が定住し、「アンファ」と呼ばれていた。12世紀ごろからイスラム化するも15世紀に再び独立。しかしアンファを拠点とした海賊船がポルトガルを襲ったため、ポルトガルの報復によって破壊される。16世紀、ポルトガルによって街が再建され「カサブランカ」と名付けられる。しかし18世紀、大地震により壊滅的被害を受けるとポルトガルは撤退。アラウィー朝モロッコによってカサブランカは再建され、街は要塞化した。1907年にフランスが占領し、要塞の外側に新市街が作られ、官庁や百貨店、ホテルが立ち並んだ。フランス保護領の時期を経て、第二次大戦後の1956年に独立。現在モロッコの貿易量の4分の3がカサブランカの港を経由している。古くから絨毯の産地としても有名。


11位 アジスアベバ (エチオピア) 327万人

アフリカ大陸北東部、エチオピア中央に位置する同国の首都であり、政治、経済、文化の中心地。市名はアムハラ語で「新しい花」の意。アディスアベバはもともと避暑地であり、気候がよかったことから1889年、エチオピア帝国メネリク2世が遷都した。1936年にイタリアに占領され伊領東アフリカの首都となる。第二次大戦中はイギリスの支配下に入るもすぐにエチオピア帝国に戻る。戦後近代化が急速に進んだ。国連アフリカ経済委員会、アフリカ連合などの本部があり、「アフリカの政治的な首都」と呼ばれる。


12位 イバダン (ナイジェリア) 316万人

イバダン

アフリカ大陸・中部西、首都ラゴスの北に位置するナイジェリア南西部の商業都市。19世紀初頭、オヨ帝国から独立したイバダン王国の首都が置かれ、都市国家として栄えた。1893年にイギリス支配下に入り、20世紀はじめにラゴスから鉄道と自動車道が相次いで開通。ココア、タバコ、ヤシ油の集散地として栄えた。1951年に西部ナイジェリアの首都になった際には人口が40万を超え、「アフリカ人が建設した最大の都市」と言われた。


13位 カノ (ナイジェリア) 282万人

カノ

アフリカ西部、ギニア湾に面する、ナイジェリアの北部に位置する内陸の街。もともとサハラ隊商路の要地で、金・塩・奴隷・象牙などを扱う交易拠点として発展した。 11世紀末から12世紀中頃までハウサ王国カノの首都。12世紀頃より、ムスリム商人の活動にともなってイスラム化した。 1820年代前半にイギリスの探検家が来訪し、1903年にイギリス支配下に入る。1960年、ナイジェリアがイギリスから独立。 現在ではピーナッツの生産、集散地として知られる。アド・バイェロ大学があり、ナイジェリア北部における教育の中心地でもある。旧市街は17kmの城壁に囲まれ、その外側にイギリスが建設した新市街がある。1991年には約60万人だった人口が、現在は415万人にまで急増している。


14位 ドゥアラ (カメルーン) 276万人

ドゥアラ

アフリカ中部西、ギニア湾支湾のボニー湾にのぞむカメルーン最大の都市。同国最大の港をもち、フランス系資本を中心に工場、商社が並び立つ。内陸に位置する同国の首都・ヤウンデと鉄道で結ばれる。1800年頃からドゥアラ族とヨーロッパ人の通商が始まり、その後ドイツが上陸して支配下に入る。1901年から1916年までドイツ領カメルーンの主都。第一次大戦でドイツ敗退後はフランスに占領され、1940年から1946年にかけて、ドイツの占領に抵抗する「自由フランス」カメルーンの主都となった。古来のアフリカ文化と植民地時代のヨーロッパ文化が混交する街である。


15位 ヤウンデ (カメルーン) 276万人

アフリカ中部西、カメルーンの首都であり、同国人口第二の都市。1888年、標高約700mの丘陵地に象牙交易の基地としてドイツが創設。1915年にベルギーが占領、1922年にはフランスに占領され仏領カメルーンの首都となった。1940年から一時ドゥアラに遷都したが、1960年のカメルーンの独立とともに再び同国の首都となった。軽工業が盛んであり、周辺農村部採れたカカオ、コーヒーの集散地でもある。


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