ヨーロッパの都市・人口ランキングTOP50

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26位 ベオグラード (セルビア) 119万人

by ZlatanJovanovic

セルビア共和国北部、ドナウ川とサバ川の合流地点に位置する同国の首都。人々の定住が紀元前6千年紀に確認されている欧州最古の都市の一つ。都市名はセルビア語で「白い町」を意味する。水運の便が良く、古くから陣地獲得合戦が繰り広げられた。前4世紀、ケルト人が城塞を築くも、前1世紀にローマ人が奪取。その後フン族、ビザンティン、アヴァール族などに支配される。9世紀に「ビイェルグラード」の名で有史に登場。その後もブルガリア、ビザンティン、ハンガリーと支配者が入れ替わった後、13世紀に「セルビア王国」(12世紀成立)の首都となる。再びハンガリー領になったのち16世紀、オスマン帝国の配下に入る。オスマン時代に市場が置かれ、町も拡大した。17世紀からハプスブルク家に断続的に支配されるも18世紀から再びオスマン領。19世紀にセルビア人による独立の機運が高まり、「セルビア公国」が成立。1838年にベオグラードはその首都となった。1878年にセルビアはオスマンから完全に独立。第一次大戦後、モンテネグロを併合し「スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国」(後「ユーゴスラヴィア王国」と改称)が成立。セルビアはその首都となった。戦後の共産ユーゴスラヴィア連邦期や、1992年の民主化後、ユーゴに残留した「新ユーゴスラビア」期も連邦の首都だった。2006年のモンテネグロ離脱によって成立したセルビア共和国でも首都。


27位 ソフィア (ブルガリア) 119万人

by Deensel

ブルガリア共和国西部の盆地に位置する、同国の首都。紀元前8世紀よりトラキア人の集落が形成され、前1世紀にはローマの都市「セルディカ」として知られ、軍事拠点として発展した。一時廃れたが、東ローマ支配時代の6世紀に再興。世紀、ブルガリアに征服され「スレデツ」と改称する。再び東ローマの支配を経て、12世紀に再度ブルガリア領。14世紀、4世紀に当地に建てられた「聖ソフィア教会」にちなみ、「ソフィア」と改称。その後オスマン帝国領となると、「ルメリア自治領」の中心となり、都市はイスラム文化の影響を受けた。1878年にブルガリア独立を果たすと翌年にその首都となり、新しく定められた都市計画の下、王宮や大学などが整備され、町は急速に発展した。第二次大戦が始まると、ブルガリアは日独伊の枢軸国側についたため、英米による空襲によりソフィアは大きな被害を被った。戦後共産ブルガリアが成立後、ソフィアは工業都市として成長した。1989年の民主化後、多国籍企業が進出し、高層建築物も増加した。


28位 チェリャビンスク (ロシア) 118万人

ロシア中西部、ウラル山脈南部東麓に位置する、同国人口第7位の工業都市。都市名はテュルク系民族の言葉で「高貴」という意味である。1736年に要塞が建設されたことが都市の始まり。19世紀末にシベリア鉄道が開通してから発展し、シベリアへの移民の前線基地として栄えた。第二次世界大戦中は、ドイツの攻撃から逃れてきたロシア西部の工場が疎開してきたことにより、重工業が発展した。1957年、近隣の秘密都市・オジョルスクの核兵器工場で事故が発生し、3万人を越える住民が被曝した。2013年2月15日、チェリャビンスク州に隕石が落下し、衝撃波により市内で3300棟の建物が被害を受けた。


29位 クラスノヤルスク (ロシア) 118万人

by Ninara

ロシア中部、シベリア中南部に位置する同国人口第8位の工業都市。シベリアでは、ノヴォシビルスク、オムスクに次ぐ第3の都市である。17世紀に砦が築かれたのが都市の始まりで、当時は「クラスヌイヤル」と呼ばれた。政治犯の流刑地として知られたが、19世紀にシベリア鉄道が通じると大きく発展。すでに戦前にはソ連の有数の工業都市となっていた。現在も機械製造や化学工業が盛ん。エニセイ川左岸の旧市街と、右岸の新市街との間には2kmを超える橋が架けられている。


30位 サマラ (ロシア) 117万人

by Vlad Volkov

ロシア南西部、カザフスタン北に位置する同国人口第9位の都市。ソ連時代は「クイブイシェフ」と呼ばれた。16世紀、タタール人に対する要塞が建設されたことにはじまり、ロシアと中央アジア・中東を結ぶ外交・貿易の中心地として繁栄した。第2次世界大戦中の1941年、対ドイツ戦線から遠く離れていたため、工場のみならず政府機関も疎開してきたことで都市が発展した。冷戦時から航空宇宙産業の中心であったため、閉鎖都市に指定されていた。


31位 ウファ (ロシア) 114万人

by Svetlov Artem

ロシア中西部、ウラル山脈南部に位置するバシコルトスタン共和国の首都であり、ロシア都市人口第10位の都市。地名はテュルク語で「小さい」を意味する。16世紀に要塞が築かれたことにより歴史に登場。18世紀に市に昇格。20世紀前半に油田が開発され、工業が大きく発展した。古くからイスラム教徒であるバシキール人が住み、ロシア有数のイスラム教の中心地である。


32位 ロストフ・ナ・ドヌー (ロシア) 114万人

by Vyacheslav Argenberg

ロシア西部、ドン川の下流の丘の上に開かれた同国都市人口第11位の都市。町のもともとの名前である「ロストフ」は、ロシア北方にある古都・ロストフにちなんだものであり、それと区別するために「ドン川にある」という意味の「ナ・ドヌ」がつく。この地の歴史は古く、ギリシアの植民都市タナイスがあったことで知られる。中世にはジェノヴァ共和国の植民都市ターナがあった。近世にはオスマン帝国の要塞があったが、18世紀初頭にロシアが征服。1749年、オスマン帝国との交易を管理する税関と港が設置されたことで都市として発展。第二次大戦中は「ロストフの戦い」を始めドイツと激戦を繰り広げ、一時ドイツに占領されたことで戦後の再建には10年以上の年月を要した。1952年にヴォルガ・ドン運河が完成し、黒海、アゾフ海、カスピ海、白海、バルト海の五つの海と繋がった。


33位 アムステルダム (オランダ) 113万人

by Andrés Barrios

オランダ北西部に位置する、同国の憲法上の首都。北海からアイセル湖に入った湾の最奥部に位置する。首都ではあるが、王宮や国会、中央官庁、各国大使館など実質の首都機能はほとんどハーグにある。もともと現・アイセル湖は海に繋がっておらず、アムステルダムは湖畔の小さな漁村だったが、12世紀の大洪水によって湖と海の間の陸地が水没し、湖は大きな湾(旧ゾイデル海。現在はダムがで海と区切られ淡水化したのでアイセイ湖)となった。一躍アムステルダムはゾイデル湾の奥にある町として注目され、13世紀に自由都市として都市権を獲得するとハンザ同盟との貿易で発展した。ちなみに「アムステル」には「流れ出す場所」という意味があり、市名は「アムステル川の堤防(ダム)」という意味である。16世紀から17世紀の欧州の宗教戦争の際には、自由を重視する貿易都市として宗教迫害から逃れてきたユダヤ人やユグノーなどを受け入れた。特に当時、欧州の貿易の中心だったアントワープからプロテスタントを受け入れたことで、アントワープが持つ世界中の貿易権益を手中に収めることとなり、ひいてはそれが17世紀、アムステルダムが世界の商業の中心となる礎となった。現在も自由都市としての気風を残しており、人口の3割強は移民である。市街はダム広場を中心に放射線状に広がり、無数の運河が張り巡らされている。


34位 オムスク (ロシア) 112万人

by Антон Денисенко

ロシア中部、オミ川の流入点に位置するシベリア最古の河港都市。ロシア国内第12位、シベリアでは第二の人口を誇る。1716年、東の遊牧民からの防御を目的とする要塞として建設されたのが都市の始まり。以来、シベリア開拓の中心地となり、西シベリア総督府が置かれた。19世紀末にシベリア横断鉄道が完成してから商業が発達し、日本をはじめ各国の領事館も置かれた。しかしロシア帝国の領土拡大に伴い国境の都市ではなくなると、軍事的重要性が低下して都市は衰退した。第2次大戦中、西ロシアの対ドイツ戦線から工場が疎開してきたことにより工業化が急速に進み、冷戦期には国防産業が発展して(外国人の入境を禁じる)「閉鎖都市」となったが、ソ連崩壊に伴い軍事産業が衰退すると街は失業者で溢れた。戦後よりロシア(ソ連)最大の石油化学コンビナートを有し、現在でもヨーロッパ最大級の規模を誇る。文豪ドストエフスキーが1850年から54年にかけて思想犯として流刑に処された地でもある。


35位 バーミンガム (イギリス) 112万人

by Toumaii3

イングランド中央部に位置する、イギリス第二の都市。14世紀ごろまで小さな町だったが、産業革命期、ロンドンとリヴァプールが鉄道で結ばれたことで、両都市の中間点に位置するバーミンガムは地の利を生かして発展した。ミッドランズ炭田地帯に位置し、その動力で工業が発展。産業革命の原動力となった、ジェームズ・ワットによって改良された「蒸気機関」が初めて製造された地である。しかし工業化が進んだことでバーミンガムを含む周辺の重工業地域は、工場排煙が常に街を覆い尽くす「ブラック・カントリー」となり、また都市への労働者の流入によりスラムも拡大するなど、都市環境は劣悪を極めた。第二次大戦ではドイツ軍の爆撃を受け街は大きな被害を受けるが、再建の過程を利用してスラムを一掃。しかし製造業の衰えとともに、戦後は一貫して人口流出が続いた。近年、人口は増加傾向にあるものの、2023年、市への(過去に遡る)男女同一賃金の支払いを要求する裁判所の判決によって財政が立ち行かなくなり、市は破綻を宣言。市議会は解散し、現在、国が管理する委員会が市の運営を担っている。


36位 クラスノダール (ロシア) 109万人

by Maska999

ロシア南西部、黒海沿岸に近接して位置する同国人口第13位の都市。18世紀末、帝政ロシアの黒海コサック軍の屯営が設けられたことが町の始まり。当時は「エカテリノダール」と呼ばれていた。19世紀後半に鉄道が通じると、ロシア南部の交易都市として発展。ソ連時代の1920年に現市名に改称し。工業都市として成長した。現在でも工業の他、観光都市としても知られる。


37位 ヴォロネジ (ロシア) 105万人

by Insider

ロシア西部に位置する同国第14位の人口を擁する都市。16世紀、クリミア・ハン国などからの防衛のため、ヴォロネジ川右岸の険しい高台の上に要塞が築かれたのが町の始まり。17世紀にはロシア海軍の艦艇建造拠点となった。ソ連時代は工業都市として発展。第二次大戦中は半年間にわたり戦場となり、多大な被害を被った。1957年より近隣のノヴォヴォロネジに原子力発電所があり、現在もう一つの原発建設が進んでいる。


38位 ペルミ (ロシア) 103万人

by Latitude

ロシア西部、ウラル山脈の西麓に位置する同国都市人口第15位の工業都市。20世紀半ばは一時、スターリンの右腕だったヴャチェスラフ・モロトフにちなみ「モロトフ」と呼ばれていた。18世紀に銅の製錬所が作られたことが町の始まり。もともと町中を走るカマ川による水運の便利がよかったこととに加え、20世紀に入りシベリア鉄道が開通したことより工業都市として発展した。冷戦中も大砲生産が行われる、対外的に閉鎖された都市だった。現在もロシア有数の工業都市。


39位 ボルゴグラード (ロシア) 102万人

by Alexxx1979

ロシア南西部に位置する、同国都市人口第16位の工業都市。8世紀からチュルク系ハザール・カガン国の首都が当地近郊に置かれ、交易地として栄えた。モンゴル配下の14世紀、一時町は破壊された。16世紀、ロシア南部を守る要塞として再び歴史に登場した。当時は「女帝のもの」を意味する「ツァリーツィン」と呼ばれたとされる。19世紀以降大きく発展し、ロシア革命後は工業都市として重点的に開発され、都市名もスターリンにちなみ「スターリングラード」と改称された。第二次大戦時はナチス・ドイツと7ヶ月にわたる「スターリングラード攻防戦」が繰り広げられ町は灰燼に帰したが、ロシアが枢軸国に勝利して第二次大戦の局面を転換させた、重要な戦いとなった。1961年に現都市名に改称。戦後も世界有数のボルガ水力発電所が築かれるなど、現代にいたるまでソ連・ロシアの重要な工業中心地の一つ。


40位 ケルン (ドイツ) 101万人

bridge and cologne cathedral

by Imad Bo on Pexels.com

ドイツ西部に位置する同国第4の都市。紀元50年にローマの支配されたが、その際の「植民地(コロニア)」の意が都市名「ケルン」の語源となる。10世紀から15世紀のかけて、東西ヨーロッパを結ぶ重要な交易路の一つとして繁栄。4世紀にキリスト教が伝播すると8世紀末には大司教座が置かれたが、13世紀にハンザ同盟の一員となり世俗都市となると、司教座は街から出ていった。16世紀、同盟の衰退や宗教戦争とともに経済活動も沈滞。18世紀末には一時フランスに占領されるも、すぐにプロイセンに復帰した。その後は鉄道網を活かし工業都市として発展。ゴシック・リバイバルに伴い、19世紀末にケルン大聖堂が完成した。第一次大戦では一時イギリスに占領され、第二次大戦では市街の9割が消失する大惨事を経験するも、ケルン大聖堂は戦火を免れた。戦後、交通の要衝として発展を遂げている。


41位 オデッサ (ウクライナ) 101万人

by Сергій Криниця (Haidamac)

ウクライナ南部に位置し、黒海に臨む同国都市人口第三位の港湾都市。14世紀、タタール人により「カチベイ」と呼ばれる集落が築かれたが廃れ、15世紀、オスマン帝国がその跡地に「ハジベイ」と呼ばれる要塞を築いた。ロシアとトルコの戦争の結果1791年にロシア領となり、古代ギリシア都市オデッソスがこの地にあったとの誤解(実際には400kmほど離れたブルガリア・バルナにあった)により、1795年、地名が「オデッサ」と改められる(「オデッサ」は英名風の読みであり、ウクライナ語名では”Одеса(オデサ、オデーサ)”、ロシア語名では”Одесса(アジェーサ)”。米国テキサス州にもロシア人労働者が当地に因んで名付けた「オデッサ」と呼ばれる町がある)。オデッサは、サンクトペテルブルクに次ぐロシア帝国第二の港湾都市に成長した。日露戦争中の1905年、ロシア海軍の水兵による反乱として知られる「戦艦ポチョムキン号の反乱」が起こった。ソ連成立後は亡命者や餓死者が大量に発生し、1914年当時約60万いた都市人口は、1924年には半減していたとされる。第二次大戦中はドイツ軍に占領され、ユダヤ人を中心に多くの人々が虐殺された。ウクライナ独立後の2000年に自由貿易港に指定され、現在も同国最大の貿易港である。丘陵部には保養地も多く、リゾート都市としても知られる。


42位 ストックホルム (スウェーデン) 98万人

by JZ

スウェーデン東中央、メーラレン湖とバルト海の間の小島が無数に集まる地帯に位置する同国の首都で、北方最大の都市。運河や湖が多いことから「北欧のベネチア」とも言われる。13世紀、スウェーデンの貴族・ビルイェル・ヤールが、小島の一つのスタツホルメン島に築いた城塞が都市の始まり。戦闘に備えて、丸太が島の周りに据えられたことから「丸太の小島(スウェーデン語で「ストックホルム」)」と呼ばれた。現在も「ガムラスタン(「古い街」)」という名の旧市街として残る城塞を中心に、街が拡大していった。バルト海を挟んで対岸のドイツ・ハンザ同盟と結びつき、港町として発展。そのため中世を通じてドイツ文化の影響を強く受けていた。16世紀、北欧諸国の同盟・カルマル同盟を脱してスウェーデン王国として独立するとその首都となる。18世紀以降、ヨーロッパ大陸が戦乱に見舞われたのと対象的に、ストックホルムは大きな戦禍に直接巻き込まれなかったため安定した社会環境を保つことができ、多くの外国人が流入した。1912年の夏季オリンピック開催地。ヨーテボリに次ぐ同国第二の港を持ち、ITや金融業が産業の中心である。毎年12月、ストックホルム市庁舎にてノーベル賞の授賞式が行われる。


43位 ドニプロ (ウクライナ) 96万人

by Олег Тоцкий (tov-tob)

ウクライナ東部に位置し、街の中央をドニエプル川が流れる同国有数の工業都市。同国4位の都市人口を擁する。1世紀ごろからスラブ人が住み、9世紀、キリスト教が伝わり修道院がつくられるも、12世紀にタタール人によって破壊された。16世紀頃にはポーランド、オスマン帝国、モスクワ大公国がせめぎ合う地となり、このころ要塞が作られたとされる。最終的にはロシア領となり、1775年に都市が建設される。当初、都市名はロシア皇帝エカチェリーナ2世にちなみ「エカチェリノスラーフ」とされ、1926年には共産党指導者のグリゴリー・ペトロフスキーにちなんで「ドニエプロペトロフスク」に改名された。独立後もこのロシア名が使用されていたが、2016年、共産主義時代のシンボルを消し去る目的から都市名を「ドニプロ」に変更することが決定した。


44位 ナポリ (イタリア) 91万人

by Miguel Hermoso Cuesta

ナポリ湾に面したイタリア第三の都市で、南イタリア最大の港湾工業都市。紀元前6世紀、古代ギリシアによって建設される。都市名はギリシア語で「新しいポリス」を意味する「ネアポリス」が語源だと言われている。ローマ、西ローマを経て東ローマの属州になり、7世紀にナポリ公国が作られる。12世紀、ノルマン人が南下支配してノルマン・ドイツ系のシチリア王国の一部となった。13世紀、動乱に乗じてシチリア王国から分離したナポリ王国が興り、14世紀にはルネッサンスの中心地の一つとなるも、16世紀以降フランス、オーストリア、スペインの支配を受けることとなる。ナポレオン支配後の19世紀、ナポリ王フェルディナンドが返り咲き、ナポリ王国とシチリア王国が合併して両シチリア王国が作られる。同国の首都となったが、1861年にイタリア王国に統一されるとそれ以降は一地方都市に収まった。「ナポリを見て死ね」と謳われるほどの風光明媚な都市で、「ナポリ歴史地区」は世界遺産である。ピザ発祥の地。


45位 ドネチク (ウクライナ) 90万人

by Maxim Karpinskiy

ウクライナ東部、ドンバス重工業地帯に位置する同国第5の都市。”Донецьк(ドネツィク)”はウクライナ語名で、ロシア語名は “Донецк(ドネツク)”。草原地帯(ステップ)だったこの地に1860年、イギリス人実業家のジョン・ヒューズが鉄道路生産のための溶鉱炉を建設。世界最大級のドネツ炭田(ドンバス)の鉱石を利用し、町はドンバス屈指の工業都市へと発展した。ヒューズの功績が認められ、都市名も彼の名のロシア語風の読みに因んで「ユゾフカ」とされた。1924年にはスターリンに因み「スターリノ」に改名。ソ連の第1次5ヵ年計画(1928年-1932年)により大製鋼所が建設された。フルシチョフ時代の1961年、スターリン批判の波により都市名も「ドネツク」に改名される。2014年のウクライナにおける反ロシアの「マイダン革命」と、ロシアによるクリミア併合に伴う国内の不安定化を契機として、ドンバス地方のロシア編入を求める親露勢力が市を制圧。「ドネツク人民共和国」の成立を宣言し、ドネツィクをその「首都」とした。露宇間ですぐに停戦協定が結ばれたが散発的に戦闘が続き、2022年にはロシアが「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を国家承認してウクライナに軍事侵攻した。


46位 サラトフ (ロシア) 90万人

by Roman Novikov (Роман Новиков)

ロシア西部に位置する同国人口17位の都市。都市名はタタール語で「黄色い山」を意味する。16世紀、要塞都市として歴史が始まり、市内を流れるボルガ川の川港を起点とする、交易の中心地として栄えた。町は当初ボルガ川右岸に形成されたが、17世紀に農民反乱で市街が破壊されると、一時中心は左岸に移った。19世紀にモスクワから鉄道が通じ、ソ連時代は近郊で採れる天然ガスを動力として、工業が発展した。


47位 マルセイユ (フランス) 87万人

by Didier Duforest

フランス南東部、プロヴァンス地方にある同国第二の都市にして、同国最大の港湾都市。古代ギリシアの一民族であるポカイア人が紀元前600年頃に築いた植民市「マッサリア(マッシリア)」が街の始まりである。前3世紀からのポエニ戦争ではローマ側についてフェニキア人のカルタゴと戦い、ローマ帝国成立後はローマの属州となった。しかしローマの内戦でカエサルに敵対したかどで自治権を縮小され、繁栄を失う。10世紀、プロヴァンス伯が支配し、1481年にフランス王国に併合。17世紀に自由港として開かれると、18世紀には人口10万を数える欧州有数の貿易都市に成長した。第二次大戦ではドイツ軍に占領され大きな損害を受けたが、戦後復興の過程で近代的な高層ビルが多く建てられ、南フランスを代表する商工業都市として繁栄している。


48位 チュメニ (ロシア) 84万人

by Vyacheslav Bukharov

ロシア中央部、シベリア西部に位置する同国第18位の人口を擁する都市。16世紀、当時トゥルク系のシビル・ハン国が西シベリアを占領していた時代に、ロシアの東方遠征の拠点として作られた。それ以来シベリアへの玄関口の町として知られる。ソ連時代に油田(「チュメニ油田」)が発見され、工業都市として発展。市内をトゥーラ川が流れ、河川交通の中心でもあった。現在もロシア国内の原油の約6割、天然ガスの約8割を産出している。


49位 トリノ (イタリア) 84万人

by Hpnx9420

イタリア北西部の商工業都市。同国第4の都市。ローマ時代以前に住んでいた「タウリニー人」が都市名の語源である。古代ローマの軍事植民都市として栄え、中世には東ゲルマン人のランゴバルド王国の一部となった。16世紀、フランスに支配されたが、18世紀には北イタリアの名門・サルジニア王国の首都として発展。イタリア王国統一後もフィレンツェに遷都される1864年まで首都だった。第二次大戦では多大な被害を受けるも、戦後フィアットに代表される自動車産業の中心地として発展した。2006年には冬季オリンピックが開催される。イタリア王サボイア家の王宮は世界遺産に登録されている。


50位 クラクフ (ポーランド) 80万人

by Andrzej Otrębski

ポーランド南東部に位置する同国第二の都市。もともと西スラブ人が居住。8世紀ごろに砦が築かれたと伝わり、10世紀にはスラブ(チェコ)人のモラヴィア王国、ボヘミア王国が支配。11世紀、ポーランド王国ピアスト朝の配下に入った。カトリックの司教座が置かれる宗教都市となるも、13世紀にモンゴルの侵略により町は破壊された。程なく町が再建されると14世紀にポーランド王国の首都となり、大学や織物取引所、聖マリア教会などか整備された文化の中心地となる。しかし16世紀末に王国の首都がワルシャワに移され、17世紀の三十年戦争、18世紀の大北方戦争を経て町は衰退。「第三次ポーランド分割」でのポーランド消滅により、クラクフはオーストリア領となる。19世紀は一時ナポレオンによる「ワルシャワ公国」領に。ナポレオン失脚後は露・普・墺を保護国とした「クラクフ共和国」領となった。19世紀半ば、独立を求めた「クラクフ蜂起」は失敗に終わり、再びオーストリア領となったが、クラクフはポーランド文化の中心地として栄えた。1918年にポーランドは独立したが、第二次大戦時はナチス・ドイツに占領される。ユダヤ人隔離地区・ゲットーに封じ込められたユダヤ系住民は、市近郊のオシフィエンチムのアウシュビッツ強制収容所に送られ虐殺された。大戦時、市内は戦災を免れたため、ポーランド王国時代の史跡が今も多く残り、旧市街は世界遺産に登録されている。戦後、ソ連の影響の下、工業都市として整備され、巨大な「レーニン製鉄所」も建設された。民主化後の現在も多国籍企業が多く集まる、ポーランド有数の経済都市として成長している。



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