東京都の都市(市区町村)・人口ランキングTOP50

東京都の自治体の人口ランキングです。


東京都 人口 : 1374万人 (2019年)


1位 世田谷区 90万人

東京23区の南西部、大部分が武蔵野台地に位置し、南で多摩川を挟んで神奈川県川崎市に接する区。江戸時代まで小村で、多摩川沿いの玉川は大山街道の宿場町、等々力渓谷は景勝地・別荘地として知られた。明治以降、練兵場など軍施設が多く作られる。廃藩置県では、東部が東京都荏原郡、西部が神奈川県北多摩郡に分けられ、1893年に北多摩郡が東京府に編入されたことで現区全域が東京府に入った。1907年、多摩川の砂利を都心に運ぶ輸送機関として、区内初の(路面)鉄道・玉川電気鉄道(後の東急玉川線。1969年廃線)が玉川から渋谷へ開通。1913年に現区北部に京王線が開通し、笹塚(現・渋谷区)まで通じた。1925年、玉電支線として三軒茶屋駅-世田谷駅間が開通し、現在も東急世田谷線として(下高井戸まで延伸して)区中央を走っている。1927年には現区中央部に小田急小田原線が開通し、新宿まで直通した。当時人口3万人程度の町だったが、1923年の関東大震災を機に都心の住民が多く移住。中でも小田急開通前後に作られた成城は成城学園によって作られた計画都市で、1925年に牛込区から成城第二中学(後の旧制成城高校、成城大学)が移転。小田急の成城学園前駅が学園によって誘致・建設され、地名もそれまでの「喜多見」から「成城」へと改称された。始めは文士が移住し、後に東宝撮影所ができ映画関係者が多く住むようになると、高級住宅街として知られるようになった。1932年に荏原郡部分が東京市に編入され、拡大した東京35区の一つとして世田谷区が成立。同年、北多摩郡の砧村、千歳村も世田谷区に編入され、現在の区域となった。羽田空港拡張によって大田区がトップになる1990年代まで23区最大の面積を有するなど、区域が広い。三軒茶屋下北沢用賀二子玉川明大前下高井戸千歳烏山千歳船橋など中規模商業地も多いが、区域の9割が住宅街という東京都心のベッドタウン。二子玉川の再開発などで人口は2000年代以降増加傾向にあり、2028年には区内人口が100万人を突破すると予想されている。京王線・京王井の頭線、東急世田谷線・田園都市線・大井町線・目黒線、小田急小田原線が通るが、JR線は通じていない。東名高速、中央自動車道、首都高速、第三京浜、玉川通り、環七・環八通り、甲州街道、世田谷通り、目黒通り、駒沢通り、井の頭通りほか主要道路も多く走る。


2位 練馬区 73万人

東京都区部の北西端にあり、北で埼玉県和光市、朝霞市、新座市に接する区。埼玉県新座市に飛び地がある。地名の由来は、古代「乗瀦(のりぬま)」と呼ばれた地でそれが訛ったとする説、馬の放牧地の意味が転じたとする説がある。1947年まで板橋区に属していたが、区役所までの距離が遠く行政サービスが行き届かないことから、旧練馬町、上練馬村、石神井村、大泉村、中新井村、上板橋村(一部)の区域が23番目の区として分離独立した。鎌倉時代は豊島氏が支配し、石神井城やその支城・練馬城(跡地に作られた遊園地の「としまえん」の名は豊島氏に因む)を築く。区内の関町にはその名の通り奥州へ伸びる街道の関所が設けられていた。江戸時代に千川用水が引かれてからは農業が盛んになり、現在も23区最大の農耕地率を誇る。1914年に東上鉄道(現・東武東上線)、1915年に武蔵野鉄道(現・西武池袋線)、1927年に旧西武鉄道村山線(現・西武新宿線)が開通。第二次大戦後に急速に宅地化が進行した。1983年に営団地下鉄(現・メトロ)有楽町線が、1991年に都営地下鉄12号線(現・大江戸線)が開通、1994年に西武有楽町線が全通。JRの駅は区内に存在しない。関越自動車道、東京外環自動車道、新大宮バイパス、川越街道、環七・環八通り、目白通り、青梅街道、新青梅街道などの主要道路が走る。


3位 大田区 72万人

東京都区部の最南端に位置し、多摩川を挟んで神奈川県川崎市に接する区。1932年に成立した北の大森区と南の蒲田区が1947年に合併。両区のそれぞれ1字を合わせて大田区が成立した。区域の殆どが沖積低地と江戸時代以来の埋立地であり、1931年開港の羽田空港が区域の3分の1を占める。1992年には空港の埋め立て拡張工事によって、世田谷区を抜いて23区最大の面積を有するようになった。(品川区にまたがる)縄文時代の大森貝塚があり、鎌倉時代には池上本門寺が日蓮によって建立された。江戸時代は農漁村で、浅草海苔の産地として知られたが、明治時代より沿岸部に工場が多く作られ、川崎市、横浜市にかけて京浜工業地帯が形成された。1918年に渋沢栄一らが設立した田園調布会社(現・東急グループの源流)が洗足大岡山などで住宅開発を行い、特に区北西部の多摩川台で開発した田園調布は都内屈指の高級住宅街となった。1904年開業の東海道本線・蒲田駅は、1922年に池上まで池上電鉄(現・東急池上線)が、1923年に沼部まで目黒蒲田電鉄目蒲線(現・東急多摩川線)が開通し拠点駅となる。大田区は現在も中小零細企業による町工場が多く集まることで知られるが、産業構造の変化などで事業所は全盛期の1万から昨今は3000ほどに減少してきている。JR京浜東北線、京急本線・空港線、東急池上線・目黒線・多摩川線・東横線・大井町線、都営地下鉄浅草線、東京モノレールが走り、首都高、第一京浜、第二京浜、湾岸道路、中原街道、産業道路、環七・環八通り、池上通りなど主要道路も多く区内を通過する。


4位 江戸川区 69万人

東京都南東端に位置し、東で千葉県市川市、南で浦安市に接する区。西の荒川-旧中川と、東の江戸川-旧江戸川に挟まれたゼロメートル地帯に区域が広がり、埋め立てによって拡大した南部は東京湾に面する。もともと陸地であった北部の小岩に古くより人が住み、鎌倉時代は下総国千葉氏の支配下に置かれた。徳川家康の関東国替によって徳川領となり、江戸初期に武蔵国に入る。区一帯は江戸城に近いことから鷹場として幕府直轄領となったが、江戸市中には組み込まれなかった。江戸時代を通じ農漁村で、小松菜の産地、金魚の養殖地として知られる。明治の廃藩置県で東京府に編入され、1932年に小松川町、葛西村ら3町4村が合併して江戸川区が誕生。1911年から区西部に荒川放水路(荒川)が開削され、江戸時代より悩まされていた水害は減少したが、1947年にはカスリーン台風によって甚大な水害に見舞われている。区南部の葛西は開発が遅れていたが、1969年に営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線が開通すると大量の住宅団地が建設され、1980年代以降の都営地下鉄新宿線、JR京葉線の開通で、都心のベッドタウンとして人口増加に拍車がかかった。区民一人あたりの公園面積が23区一大きい区で、埋立地に作られた葛西臨海公園は都内唯一のラムサール条約登録湿地である。上記の他、JR総武本線、京成本線が走り、首都高のほか京葉道路、千葉街道、環七通り、東京湾岸道路、蔵前橋通り、柴又街道、新大橋通り、葛西橋通りなどが通る。市川市と共催で毎夏、江戸川花火大会が開催されている。


5位 足立区 68万人

東京都の北東部に位置し、埼玉県川口市、草加市、八潮市、三郷市に接する区。縄文中期まで奥東京湾の水域に位置し、現在も区内全域が低地帯に属する。古くは「阿太知」とも書かれた、7世紀ごろから歴史に登場する古い土地である。そのころに制定された武蔵国足立郡は、現在の埼玉県北部あたりまで広がる広い区域を指した。9世紀に西新井大師が建立され、江戸時代は江戸北端に位置する奥州街道の宿場町・千住宿として栄えたが、その他の地域は水田地帯であった。1932年に千住町、西新井町、江北村、舎人村、綾瀬村ら3町7村が合併して足立区が成立。それまで区内は陸続きだったが、明治から大正かけ、住民を立ち退かせて荒川放水路を開削したため、南の千住と北の西新井竹ノ塚が水路で分断された。関東大震災後に人々が多く住むようになり、戦後は中小工場と住宅が密集した。1896年開業の北千住駅はすぐに常磐線と東武伊勢崎線の乗換駅となり、1962年に営団地下鉄(現・メトロ)日比谷線が、1969年に千代田線も乗り入れると都内有数の大ターミナル駅となった。その他に京成本線が走り、2005年にはつくばエクスプレスが、2008年には舎人ライナーが新たに開通。首都高の他、奥州(日光街道)街道、環七通り、尾久橋通り、尾竹橋通りなどの主要道が走っている。


6位 杉並区 56万人

東京都23区の西端、武蔵野台地に位置する区。江戸時代、阿佐谷の領主・岡部氏が、青梅街道沿いに杉並木を作りそこを境界としたことが地名の由来。11世紀、善福寺川の谷に大宮八幡宮が建立される。江戸時代は武蔵国多摩郡に属し、江戸市内には含まれなかった。高井戸が甲州街道の宿場町となり、青梅街道、五日市街道沿いにも集落が形成された。明治以降は廃藩置県で一時品川県に属した後、1872年に神奈川県に移管される。すぐに東京府に戻り東多摩郡、その後豊多摩郡に属していたが、1932年に杉並町、和田堀町ら4町が東京市に編入され、拡大された東京35区の一つとして杉並区が成立した。1891年に現JR中央線・荻窪駅が、1922年に高円寺駅ら3駅が開業し、昭和初期には北に西武新宿線、南に京王井の頭線が開通。関東大震災以後、都心の住民が多く移り住み、東京郊外の閑静な住宅街、学校の多い文教都市として発展した。1962年には営団地下鉄(現メトロ)丸ノ内線荻窪線が開通。甲州街道、青梅街道、新青梅街道、五日市街道、環七・環八通りなどの主要道が走る。


7位 板橋区 56万人

東京23区の北西部に位置し、埼玉県和光市、戸田市、川口市に接する区。区北を荒川が流れる。奈良時代は武蔵国豊島郡広岡郷と呼ばれていた地で、平安時代には石神井川に掛かる板の橋に因んで「板橋」と呼ばれていたとされる。江戸時代は江戸四宿の一つ、中山道の板橋宿として栄えた。ながらく農村地帯であったが、1914年に池袋から東武東上線が開通すると宅地化が進んだ。1932年に板橋町、練馬町、志村村ら9町村が合併して、拡大した東京35区の一つとして板橋区が成立したが、区域が広すぎたため1947年に練馬区が分離独立し、現在の区域に収まった。1968年には都営地下鉄6号線(現・三田線)が開通し、終点(当時)の高島平駅周辺に、日本住宅公団(現・都市再生機構)による大規模な住宅団地が造成された。1983年には営団地下鉄(現・メトロ)有楽町線が、1985年にJR埼京線が区をかすめるように開業し、交通の便が向上した。首都高の他、中山道、川越街道、笹目通り、山手通り、環七・環八通りなどの主要道路が走る。


8位 八王子市 56万人

東京都南西部に位置する、多摩地区の中心市。南西で神奈川県相模原市に接する。市の西半分は関東山地の山麓にあたり、陣馬山、高尾山が連なる。南部に多摩丘陵が、北部に秋川丘陵が広がり多摩川が流れる。地名は10世紀、華厳菩薩妙行の深沢山(八王子城山)での修行中に現れたとされる「スサノオの神と8人の王子」にちなむ。16世紀、大石定重が多摩川近くの滝山に城を作り、のち北条氏照が南の城山・八王子城に居城を移す。江戸時代、徳川家康は八王子城を廃城とした上で八王子を幕府直轄地とし、江戸の甲州口の守りの要地として代官18人を任じた。八王子城よりも東にあたる現在の八王子駅周辺に八王子町が開かれ、城下の住民も移住。江戸時代を通じ、甲州街道の宿場町、市場町として栄え、また養蚕や絹織物業が盛んな「桑の都」としても知られた。1889年、甲武鉄道(現・JR中央本線)が開業。1908年に神奈川方面に伸びる横浜線が、1931年に後に群馬方面に伸びる八高線が八王子駅から分岐した。1925年に玉南電気鉄道(のち京王電鉄と合併)が東八王子駅(現・京王八王子駅)を終点として開通。1927年に高尾登山電鉄が、1931年には皇室墓地である高尾山麓の多摩御陵(武蔵野陵)への参拝路線として京王高尾線が開通。1960年代からは都心から多くの大学が移転し、一大学園都市となった。1998年には区東部に多摩都市モノレールが開通。戦後より2010年まで一貫して人口増加が続いた。中央自動車道、圏央道、甲州街道、東京環状、八王子バイパスなどの主要道路が通る。


9位 江東区 51万人

東京都23区の南東部に位置し、荒川と隅田川に挟まれ東京湾に臨む区。初期東京15区の一つであった深川区と1932年成立の城東区が、1947年に合併して江東区が成立。区名は「隅田川の東」の意。横十間川以西が旧深川区にあたるが、江戸初期、大阪摂津の深川八郎右衛門が小名木川一帯を開拓したのが地名の由来。江戸初期建立の永代寺(深川不動堂)富岡八幡宮を中心に門前町が広がった。隣の木場は明暦の大火(1657年)後、日本橋の材木河岸が移転したことで大きく発展。問屋業で財を成す者が多く現れ、深川は彼らが遊ぶ花街としても知られるようになった。旧城東区部では、北に位置する1661年建立の亀戸天神を中心に町を形成。明治期は東京帝大建設のため、遊郭が根津から木場南東の湿地帯に移設(洲崎遊郭)された。現区内は関東大震災で大きな被害を受けるも、大戦前に人口は両区合わせて41万人を数えていた。東京大空襲でも再び一帯は焦土と化したが、戦後は沿岸部の埋め立てが進み、工業地帯が拡大した。しかし、地下水の組み上げ過ぎにより地盤沈下が進行したため区の大部分がゼロメートル地帯となり、また高度成長期で都内のゴミが急増したため、かつて飛行場建設用に埋立てていた夢の島がゴミ処理場となった。1970年には材木置場が木場から新木場に移設される。そのころより湾岸埋立地を利用した臨海副都心(通称「お台場」)建設計画が本格化し、当初はオフィス街として計画が進むも、1996年にお台場で開かれる予定だった世界都市博覧会の開催中止決定以後、商業地区としての開発が進んだ。近年は豊洲を中心に沿岸部でマンション開発が進み人口が急増。2005年には戦前のピーク人口を超えた。2019年、半世紀ほど大田区と帰属を巡って争っていた中央防波堤埋立地は、8割が江東区に属することで決着。2021年開催の東京オリンピックでは沿岸部が主会場となり、10箇所で競技が行われた。北からJR総武線、都営新宿線・大江戸線、メトロ半蔵門線・東西線、JR京葉線、メトロ有楽町線、りんかい線、ゆりかもめが走り、首都高ほか千葉街道、東京湾岸道路、永代通り、葛西橋通り、蔵前橋通り、明治通り、丸八通り、晴海通り他多くの主要道路が貫く。富岡八幡宮の深川祭は江戸三大祭の1つ。


10位 葛飾区 46万人

東京都北東端、西で荒川、東で江戸川に挟まれた低地帯に位置し、北で埼玉県三郷市、八潮市、東で千葉県松戸市に接する区。地名の由来は葛が多く茂っていたためとされるが、『万葉集』などにも登場する「葛飾」は古くから、東京、埼玉、千葉、茨城に渡る広い地域を指すものであり、葛飾区一帯も武蔵国葛飾郡に属していた。柴又帝釈天(1629年創立)の門前町である柴又、水戸街道と成田街道の分岐点に位置する宿場町の新宿(にいじゅく)、鎌倉街道下道沿いの集落・金町などが栄えていたが、他の地域は水田地帯であった。明治期は(武蔵国内の都心外縁の旧幕府領を管轄した)武蔵知県事の管轄に入り、その後1869年成立の小菅県に属したのち、1872年に東京府に編入され葛飾郡、その後南葛飾郡に入った。関東大震災後に宅地化が始まる。1932年、金町や水元村ら7町村が合併して葛飾区が成立。戦後は中小零細企業が集まり、特に玩具産業は有名になった。1963年、治水対策として(荒川と江戸川の間を流れる)中川から分岐して下流で旧江戸川と接続する新中川が開削された。JR常磐線・総武線、京成本線・金町線・押上線、北総線、首都高三郷線・中央環状線、東京外環自動車道、水戸街道、環七通りが走る。松戸市との間の江戸川の渡し船「矢切の渡し」は、現在も観光資源となっている。三郷市に接する都立水元公園は、都立公園として23区最大の面積を有する。


11位 町田市 42万人

東京都の最南端に位置し、神奈川県に突き出すように市域が広がり、横浜市、大和市、相模原市に接する市。市内に縄文時代の高ヶ坂(こうがさか)石器時代遺跡がある。古くから市域のほとんどが武蔵国に属し、鎌倉幕府が開かれると鎌倉から街道が作られ、鶴川街道との交点となった本町田が栄えた。江戸時代初期は幕府直轄地となり、江戸中期以降、八王子方面から送られてくる生糸と繭を取り扱う市場町として栄えた。横浜開港後は、横浜と八王子を結ぶ町田街道を通じて、生糸貿易がさらに盛んになる。明治初期、市域は武蔵知県事下と韮山県に分割所属したがすぐに神奈川県に入り、1893年、周辺の村が合併し東京府に移管された。1908年、横浜鉄道・原町田駅(現・JR横浜線町田駅)が開業し、1913年に町制に移行。1927年には小田急小田原線・新町田駅(現・町田駅)も開業すると、本町田から両駅のある原町田周辺に町の中心が移動した。戦後宅地化が急速に進み、1958年、町田町と3村が合併して市制移行。1960年代より、市北西部にまたがって多摩ニュータウンの造成が始まり、現在では1960年当時より人口が6倍ほどに増加している。都心から移転したものも含め、大学の多い学園都市でもある。JR横浜線、小田急小田原線の他、東で東急田園都市線が、西で京王相模原線が市内を通過する。東名高速道路、保土ヶ谷バイパス、東京環状、鶴川街道、芝溝街道、成瀬街道、町田街道など主要道が走り、横浜町田ジャンクションがある。


12位 品川区 39万人

東京区部の南部に位置する区。武蔵野台地東端にあたる西部と、低地帯の東部に分かれる。水路を隔てたいわゆる「お台場」の八潮公園一帯、フェリー・ターミナル一部も飛び地として品川区に属する。区北部を目黒川が流れるが、目黒川が古くは品川と呼ばれていたこと、小紋染の一つ「品革」の染色が盛んだったことなどが地名の由来とされる。1877年、アメリカ人動物学者、E・モースにより、縄文時代の大森貝塚が(大田区にまたがって)区内で発掘された。律令国家時代は駅制の駅が置かれていたと言われる。武蔵国に属し、中世は品河氏の地。江戸時代は幕府直轄領となり、現・JR品川駅(港区)より南あたりで、江戸四宿の一つである東海道品川宿が栄えた。さらに南の海沿いには江戸三大刑場の一つ、鈴ヶ森刑場もあった。廃藩置県では東京府に入るが、一時品川県に移管され、1871年に東京府に戻る。1878年に東京府荏原郡に移管されると荏原郡庁が置かれた。1932年に東京市が拡大し、品川町・大井町・大崎町が(旧)品川区、荏原町が荏原区として成立。1947年、両区が合併して(現)品川区となった。戦前より大井町大崎で工業地帯が形成され、埋め立てが進んだ沿岸が港湾埠頭や競馬場となる。北部の台地では、かつて太田道灌の館があった御殿山が高級住宅街、大使館街として知られるようになった。JR山手線・京浜東北線・埼京線・東海道本線・横須賀線・湘南新宿ライン・貨物鉄道、東急目黒線・大井町線・池上線、京急本線、東京メトロ南北線、都営地下鉄浅草線、三田線、りんかい線、東京モノレールが走り、首都高羽田線・目黒線・湾岸線・中央環状線、国道1号や第一京浜、中原街道、目黒通り、山手通り、環七通りなど数多くの主要道路が区内を通過する。


13位 北区 35万人

東京都区部の北部に位置し、荒川を隔てて埼玉県川口市、戸田市に接する区。1947年、南の滝野川区と北の王子区(ともに1932年成立)が合併して北区が成立。古代より区域一帯は武蔵国豊島郡に属した。旧滝野川区域では弥生時代の西ケ原遺跡が出土。平安以降は上中里に豊島氏が平塚城(現・平塚神社)を構え、主に東京西側を支配した豊島郡の中心地となった。江戸時代は飛鳥山が江戸近郊のサクラの名所として知られる。旧王子区域では岩淵が江戸時代、日光御成街道一番目の宿場町として栄え、明治の廃藩置県では一時浦和県に属した。その他の地域は長らく水田地帯であったが、明治以降は旧王子製紙を始め多くの製紙、紡績の工場が集まるようになり、赤羽王子西ヶ原には軍施設が作られた。戦後それらは陸上自衛隊十条駐屯地に引き継がれた他、大学や公園、住宅団地に転用された。特に王子の陸軍造兵廠跡の赤レンガ倉庫を利用した北区中央図書館は名所となっている。戦後人口が倍増し1960年代に最大45万人を記録したが、その後2000年にかけ人口の減少が続いた。JR山手線・京浜東北線・宇都宮線・埼京線・湘南新宿ライン、都電荒川線、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道の鉄道、首都高中央環状線ほか、日光御成街道、中山道、明治通り、環七・環八通りなどが走る。


14位 新宿区 34万人

東京都の区部中央に位置する、東京都の都庁所在地。1947年、四谷区、牛込区、淀橋区が合併して新宿区が成立。旧四谷区四谷や新宿駅東部にあたり、1878年成立の東京15区に属する。江戸城の外堀内にあたる四ツ谷駅付近は江戸城の見張り台である四谷見附があった。また甲州街道と青梅街道の分岐点では、江戸四宿の一つである内藤新宿が古くから栄えた。旧牛込区も東京15区に属する旧江戸市内で、市ヶ谷神楽坂早稲田などに相当する。古くは武蔵国の「神埼牛牧」と呼ばれる牧場があり、戦国時代は後北条氏が牛込城を構えた。江戸時代は大名の下屋敷などが建てられ、明治以降は大学や住宅地となり文人も多く住んだ。旧淀橋区は新宿駅周辺や大久保戸山落合などの地域で、長らく武蔵国豊島郡、明治以降は豊多摩郡などに属し、区としての成立も1932年と新宿区内では新しく開けた地域である。1885年、内藤新宿から西の町外れの畑の真ん中に、日本鉄道・内藤新宿駅(現・JR山手線新宿駅)が完成し、1906年により西(現在の新宿駅の位置)に移設された。1923年の関東大震災で被害の大きかった東京下町の住民が移住してくると街は大きく発展。百貨店が続々開業し、すぐに新宿駅東口一帯は日本最大の繁華街となった。神楽坂も震災に遭った浅草の芸者が移り住み、花街となる。新宿駅周辺は1960年代以降、学生運動や若者文化の中心地となり、1970年代に入ると歌舞伎町が東洋最大の歓楽街として栄えるようになった。1965年、新宿駅西口の淀橋浄水場が東村山市に移転したことで、跡地が新宿新都心として再開発が始まり、1970年代には日本初の高層ビル群が完成。1991年には日比谷から都庁が移転した。現在は人口の1割が外国籍という、アジアを中心とした外国人が多く住む区でもある。新宿駅はJR山手線・埼京線・湘南新宿ライン・中央線・総武線、京王線、小田急小田原線、東京メトロ丸ノ内線、都営新宿線・大江戸線が乗り入れる、世界最大の乗降客数を有する鉄道交通の要衝。区内には他にも東京メトロ有楽町線、東西線、南北線、副都心線、都電荒川線、西武新宿線が走り、首都高、明治通り、甲州街道、青梅街道、山手通り、外堀通り、目白通り他、多くの主要道路が集まる。


15位 中野区 33万人

東京都区部の西部に位置する区。かつて武蔵野台地は「上野」、「中野」、「下野」と分けて呼称されていたが、当地が中野と呼ばれていたことが地名の由来。古くから武蔵国豊島郡に属す。15世紀ごろ、紀伊国熊野の僧侶で商人の鈴木九郎がこの地を開拓し、戦国時代は後北条氏が支配した。1586年、現区中央に新井薬師が建立され、地域の中心地となる。江戸時代は幕府直轄地や旗本領などが混在し、中野村が成木街道(現・青梅街道)の馬継場となるが、その他の地域は農村地帯だった。明治の廃藩置県でははじめ武蔵知県事に管轄され、品川県を経て1872年に東京府に入るが、すぐに神奈川県に移管。東京府回帰を求める運動が起こり、再び東京府に戻された。1889年に甲武鉄道(現・JR中央本線)中野駅が開業。関東大震災以降、都心の住民が多く移り住み、また1927年に区北部に西武村山線(現・新宿線)新井薬師前駅が開通したことで、さらに宅地化が進んだ。1932年、豊多摩郡野方町と中野町が合併して中野区が成立。1961年に営団地下鉄(現メトロ)丸ノ内線、1966年に東西線、1997年に都営12号線(現大江戸線)が開通した。新宿や池袋など大繁華街に近く交通の便が良いことから単身労働世代による賃貸住宅が多く、人口が密集している地域である(人口密度の高さは豊島区についで都区内2位)。JR中野駅の北西は江戸時代、五代将軍綱吉が発令した「生類憐れみの令」によって建てられた犬小屋が堀で囲われていた場所で、その名も「囲町」と呼ばれる。囲町は第二次大戦前に陸軍中野学校となり、秘密機関としてスパイを養成。戦後も警察大学校などに転用されたが、大学校移転後に跡地の再開発が行われ、2012年、公園やオフィス・大学施設からなる「中野四季の都市」が街開きした。青梅街道の他、首都高中央環状線や山手通り、目白通り、早稲田通り、青梅街道、新青梅街道、環七通りなどの主要道路が走る。


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