東京都の都市(市区町村)・人口ランキングTOP50

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16位 豊島区 28万人 

東京都区部北西に位置する区。北部の目白池袋巣鴨は武蔵野台地にあり、南部の神田川沿いの低地は工業・住宅地帯が広がる。古代より豊島という名の駅が置かれた地で、現都区部北西あたりを支配した武蔵国豊島郡に属した。江戸時代は中山道沿いの巣鴨に江戸奉行所が置かれたが、その他の地域は農村地帯だった。廃藩置県では区東部域は東京府北豊島郡に入り、区西部の旧長崎村は武蔵知県事、大宮県、浦和県の管轄に入った後、1871年に東京府北豊島郡に編入された。1885年に日本鉄道(現・山手線など)が品川から赤羽まで開業した際は、現区域内では目白駅が開業したが、池袋周辺は農村地帯だったのため駅の設置は見送られた。その後目白から上野方面への鉄道が計画されたが、目白駅周辺が手狭で駅の拡張性に乏しいため、1903年、目白の北に池袋駅を開業してターミナル駅とした。池袋駅を起点として1914年には東上鉄道(現・東武東上線)、1915年には武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開通。関東大震災を機に都心からの移住が進むと池袋駅周辺は急速に発展し、それまで地域の中心だった大塚からその座を奪った。1932年、巣鴨町、西巣鴨町、長崎町、高田町の4町が合併し東京市に編入され、豊島区が成立。豊島氏の発祥は現・練馬区、旧豊島郡の中心地は現・北区にあったが、このころにはこの地域が旧豊島郡内で最も栄えていたことなどから「豊島」区と名付けられたと言われる。戦後、駅前の西武百貨店などを中心に池袋は副都心として更に発展し、池袋駅は現在、世界第3位の乗降客数を誇る巨大ターミナル駅である。第二次大戦の戦犯が収容されていた巣鴨プリズン跡地に1978年、当時アジア最高峰の高層ビル「サンシャインシティ60」が建設された。JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東京メトロ丸ノ内線・有楽町線・南北線・副都心線、都営三田線、都電荒川線、東武東上線、西武池袋線などの鉄道の他、首都高、春日通り、川越街道、中山道、明治通り、山手通り、目白通りほか主要道路が走る。豊島区は2010年現在、日本で最も人口密度が高い自治体である。


17位 目黒区 27万人

東京都区部の南西部、武蔵野台地末端の目黒台、荏原台に位置する区。区内では縄文時代の東山貝塚遺跡が出土している。2世紀ごろの神話時代に起源を持つ、ヤマトタケルが東国平定と臣下の眼病の治癒を祈念したとされる大鳥神社があり、当神社の「目の神」から地名の「目黒」が転じたと言われる。9世紀に江戸五色不動の一つ・目黒不動尊が建立され、多くの参拝客を集めた。戦国時代は後北条氏、吉良氏の配下。江戸時代は将軍の鷹場や農村地帯で、筍の産地として知られた。廃藩置県では武蔵知県事や品川県の管轄となり、1871年に東京府に組み込まれる。1923年に目黒蒲田電鉄(現・東急東横線)が目黒-丸子間で開通。同時期に起きた関東大震災を機に、都心の住民が鉄道沿線に移住するようになる。特に1927年の自由ヶ丘学園創設を端緒に発展した区南端の自由が丘駅周辺は、高級住宅街として知られるようになった。区北端の駒場の鷹場は明治初期に練兵場となったのち、1878年に駒場農学校(現・東大農学部)となり、第一高等学校を経て戦後、東大教養学部のキャンパスとなった。1932年に目黒町と碑衾(ひぶすま)町が合併して東京市に編入し、目黒区が成立。1896年、目黒村と渋谷村(現・渋谷区)に跨る地域に操業した、日本麦酒醸造(現・サッポロホールディングス)のビール工場は「ヱビスビール」の製造で有名となった。1966年には周辺の地名もビール名にちなんで「恵比寿(渋谷区)」となったが、工場は1988年に千葉に移転。1994年、跡地が百貨店やホテル、美術館などからなる複合施設「恵比寿ガーデンプレイス」としてオープンした。東急東横線・大井町線・目黒線、京王井の頭線、東京メトロ日比谷線が走るがJRの駅はなく(目黒駅は品川区)、鉄道駅数も23区で最も少ない。首都高の他、玉川通り、駒沢通り、目黒通り、旧山手通り、山手通り、環七通り他、多くの主要道路が走る。


18位 墨田区 27万人

東京都区部の北東部、西で隅田川、北で荒川、東で旧中川に挟まれたゼロメートル地帯に位置する区。1947年、南部の本所区と北部の向島区が合併して墨田区が成立。区名は隅田川の堤防・墨堤の墨と、隅田川の田をあわせたもの。また「墨田」は、古くから数多ある隅田川の別表記のひとつだった。1878年、南葛飾郡から東京府区部に編入され成立した旧本所区は、両国錦糸町が当初の区域にあたり、1889年の東京市設置により押上全域などもに編入された。8世紀ごろ牛の放牧地となり、中世は武蔵国江戸氏一族の知行地。1657年の明暦の大火以後、防火のため江戸城周辺の武家屋敷や町屋が転入し、江戸市内からの避難経路として大川(隅田川)大橋(通称・両国橋)が架けられると、江戸中心部との交通が始まり街が発展。かつての武蔵国と下総国の境界にあたる大川両岸の両国地域のうち、旧下総国側にあたる東両国(現・両国)は、政治の中心である江戸城から離れた川向こうの庶民の盛り場として、江戸最大の賑わいを見せていたという。明暦の大火の犠牲者を弔うため建立された回向院では鎮魂のための大相撲が始まり、両国国技館が相撲の中心地として今に続く。1732年、飢饉やコレラの退散を願って始まった両国花火大会(現・隅田川花火大会)は、日本最古の花火大会である。旧向島区は墨田区北西部にあたり、中世は下総国の水郷地帯だった。江戸時代は天領となり、江戸市内から見て川向こうにあたるため「向島」と呼ばれ、隅田川墨堤の桜や百花園などが名所として知られていた。1878年に東京府南葛飾郡となり、1932年に東京市に組み込まれ旧向島区が成立した。明治以降、現区域は南北ともに発展を続けるが、関東大震災では市域の9割が消失し5万人近い犠牲者を出した。1935年には両区合わせて人口46万を数える東京有数の人口密集地となっていたが、東京大空襲でも再び甚大な被害を受ける。明治期から戦後にかけて、鐘淵紡績(旧カネボウ)、花王、精工舎(現セイコー)、朝日麦酒(現アサヒビール)ら多くの工場が集まるようになるが、工業用水の組み上げすぎにより地盤沈下が問題となった。2012年、区中央の押上に、自立式電波塔としては世界一の高さ(634メートル)を誇る東京スカイツリーが開業し、東京東部の新たなシンボルとなった。JR総武線、東武伊勢崎線・亀戸線、京成押上線、東京メトロ半蔵門線、都営浅草線・新宿線・大江戸線などの鉄道が走り、首都高や水戸街道、京葉道路、墨堤通り、清澄通りといった主要道路が通る。


19位 府中市 26万人

東京都中南部に位置し、南で多摩川に接する市。市域はほとんどが武蔵野台地に属する。武蔵国の国府(大國魂神社付近)が置かれた古くからの中心地であり、市名もそのことに由来する。鎌倉時代は鎌倉から鎌倉街道上道が整備された。江戸時代は府中宿が、甲州街道と鎌倉街道が交差する主要な宿場町、市場町として栄えた。廃藩置県で市域南西部が韮山県、残りは武蔵知県事の管轄に入る。品川県を経て1878年に神奈川県北多摩郡に入り、1893年に東京府に組み込まれた。1916年に京王電気軌道(現・京王線)府中駅が設置され、1923年に日本初の公園墓地・多磨霊園(小金井市に跨る)が開園、1933年には東京競馬場が目黒から移転。1954年に府中町、多磨村、西府村が合併して府中市が成立した。第二次大戦前後に軍施設(府中基地)や工場が相次いで作られたが、特に東芝府中事業所は府中市のランドマーク的存在となり、1961年、事業所の地名も「東芝町」となった。隣には1935年に巣鴨から移転した日本最大の刑務所・府中刑務所がある。基地や工場跡などを利用した公園・文化施設も多く、都心のベッドタウンとして戦後一貫して人口増加を続けている。府中駅前のケヤキ並木通りは国指定の天然記念物。本来同名市は避けられる方針であるが、1954年、広島県府中市とほぼ同時に市名申請がされたため「府中市」が国内に2つ存在している。京王線・競馬場線、jR南武線・武蔵野線、西武多摩川線などの鉄道が走り、中央自動車道、国道20号、府中街道、人見街道、新小金井街道、小金井街道、鎌倉街道、大山街道、東八道路、国分寺街道、川越街道ほか多くの主要道路・街道が通る。(調布市、三鷹市にまたがる)調布飛行場から伊豆諸島への航空路もある。


20位 港区 25万人

東京都区部中央に位置し、北西部が武蔵野台地、東部が低地および水路を隔て台場地区に及ぶ区。1947年、旧江戸市中だった赤坂区、麻布区、芝区(それぞれ1878年成立)が合併して港区が成立。区北部の旧赤坂区は、元赤坂赤坂青山に該当。「赤坂」はその名の通り、赤土の多い土地で坂が多かったことが地名の由来とする説がある。江戸時代は武家屋敷が多く建ち、赤坂離宮赤坂御所は元・紀州徳川家の上屋敷。青山は徳川家康の重臣・青山家の広大な下屋敷があった地で、江戸時代は町外れの片田舎だったが、明治以降、中流階級の住宅街として発展。1926年には(新宿区にまたがり)明治神宮の外苑が整備された。青山通りが整備された1964年以降商店が建ちはじめ、徐々にファッションの街として知られるようになった。区中西部の旧麻布区麻布六本木にあたり、地名は麻を栽培していたことにちなむ。8世紀建立の竹千代稲荷(現・十番稲荷)はじめ、善福寺氷川神社など古くからの寺社が多く、江戸初期まで門前町として発展した。その後武家屋敷が建ち始め、江戸末期にアメリカ公使館が置かれたことで都内有数の大使館街に発展した。六本木の毛利藩邸は明治以降、軍施設などに転用され、戦後は米軍に接収された(1962年に日本に返還され、1962年に陸上自衛隊檜町駐屯地となった)。1960年代以降、軍関係者や大使館員などの欧米人が集まる繁華街として知られるようになった。2000年代には六本木ヒルズや、自衛隊跡地を再開発した東京ミッドタウンといった複合施設が開業した。旧芝区は、新橋田町三田高輪芝浦などにあたり、1598年建立の家康の菩提寺である増上寺はじめ、泉岳寺愛宕神社など寺社の多い武家地として知られた。新橋には江戸城の見附門である芝口御門があり、明治初期には日本初の鉄道駅が設置されるなど栄えた。西の台地部分の三田、白金は高級住宅街・大使館街となり、湾岸沿いの芝浦は戦後、京浜工業地帯の一部として埋め立て拡大された。1958年に東京タワーが完成。台場地区は江戸末期、外国船の来航に備えて高輪台などの土砂を埋め立てて作られた地区で、1878年から芝区に属したが、埋め立てが進み初期の台場島はほとんどが陸地化。1979年に陸地化された部分が港区、品川区、江東区にそれぞれ分割された。1970年代より台場の再開発が始まり、2007年に港区部分の開発は終了した。1995年からは汐留貨物駅跡地の再開発が始まり、2002年に汐留シオサイトとして完成。JR田町車両センター跡地も、国際的なビジネス都市を標榜する「グローバルゲートウェイ品川」(2024年街開き予定)として開発が始まり、2020年に中心駅として高輪ゲートウェイ駅が暫定開業した。リニア中央新幹線(2027年部分開業予定)の始発駅も作られる予定である。東海道新幹線が品川駅(港区)に止まり、JR山手線・京浜東北線・東海道線・横須賀線、東京メトロ銀座線・丸の内線・日比谷線・千代田線・半蔵門線・南北線、都営地下鉄浅草線・三田線・大江戸線、京急本線、ゆりかもめ、東京モノレールら多くの鉄道が走り、複数の首都高線、第一京浜、日比谷通り、愛宕通り、桜田通り、青山通り、六本木通り、外堀通りほか多くの主要道路が走る。


21位 調布市 23万人

東京都中南部、南で多摩川を挟んで神奈川県川崎市に接する市。市域の大部分は武蔵野台地に属する。この地域が、大化の改新によって定められた租税(租庸調)の内、麻の布を調として収めていたことが地名の由来。市内にも布にまつわる地名が多い。観光地として有名な深大寺は8世紀創建の東京を代表する古刹で、三蔵法師玄奘を守護した水神「深大寺王」を祀っている。武蔵国多摩郡に属し、16世紀、上杉朝定が深大寺城を構えた。江戸時代、中心地の布田が甲州街道の宿場町となる。廃藩置県では神奈川県北多摩郡に属した後、1893年に東京府に組み込まれる。1913年に京王線が開通すると、都心のベッドタウンとして人口が増加した。1941年に調布飛行場が開設され、戦後は1954年まで米軍に接収されていた。1955年、調布町と神代(じんだい)町が合併して調布市が成立。戦前より映画撮影所が多く作られ、映画産業の全盛期は「東洋のハリウッド」とも呼ばれた。現在も角川大映スタジオをはじめ、多くの撮影スタジオが集まっている。京王線・京王相模線、甲州街道、旧甲州街道、品川通り、狛江通りなどが走る。


22位 渋谷区 22万人

東京都区部のほぼ中央に位置する区。地名の由来は、かつてこの地が海岸で「塩谷」と呼ばれていたものが転じたとする説、相模国渋谷氏の所領だったためとする説などがある。1932年、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併して東京市に編入し、渋谷区が成立。一帯は古くから武蔵国豊嶋郡渋谷郷に属した。旧渋谷町は現・渋谷駅周辺にあたり、鎌倉時代は鎌倉街道が通じ、渋谷氏が渋谷城(現・金王八幡宮)を構えた。江戸時代は相模国・大山阿夫利神社に通じる大山街道が敷かれ、渋谷川の谷底から伸びる道玄坂と富士見坂(現・宮益坂)に町屋が形成された。旧千駄ヶ谷町は、萱(かや)が多く生えていたことに因む「千駄(「駄」は馬に積む荷物の単位)の萱」が地名の由来。現・千駄ヶ谷原宿にあたり、原宿には江戸時代、藩邸が多く建てられた。旧代々幡町代々木幡ヶ谷の合成地名で、江戸時代、代々木には武家屋敷が広がり、幡ヶ谷にも小規模な集落があった。廃藩置県では武蔵知県事下に属したあと一部が東京府豊島郡、一部が品川県豊島郡に入り、1872年に全域が東京府に編入された。1885年、品川鉄道(現・JR山手線)渋谷駅が開業し、1907年には玉川電気鉄道(現・東急)玉川線が開通。その後周辺区から渋谷宮益町や麻布広尾町などを吸収合併していった。1919年に明治天皇と昭憲皇太后を祭った明治神宮が建立され、表参道が整備される。1927年に東京横浜電鉄(現・東急)東横線が、1933年に帝都電鉄渋谷線(現・京王井の頭線)が開業。1934年に渋谷川を暗渠化し、その上に東急百貨店東横店東館が開業。渋谷川はその後、1970年代にかけて暗渠化が進んだ。同1934年にはハチ公像(初代)が渋谷駅前に建てられる。1938年には東京高速鉄道(現・東京メトロ銀座線)も渋谷駅まで延伸するなど、渋谷駅はターミナル駅として急速に発展した。明治期に作られた代々木練兵場は戦後米軍に接収され、米軍兵舎である「ワシントンハイツ」となった後、1964年に日本に返還。跡地は代々木公園国立代々木競技場となった。1973年に西武グループがパルコを開業したあたりから、渋谷や原宿周辺が若者文化の中心地として広く知られるようになる。現在渋谷駅周辺では、2020年代終わりにかけて「100年に一度」と言われる大改造が進行している。主に南部に松濤、上原、広尾、代官山といった高級住宅街を有し、北部はJR新宿駅の一部まで区域が広がる。JR山手線・中央線・埼京線・湘南新宿ライン、東京メトロ銀座線・日比谷線・千代田線・半蔵門線・副都心線、都営大江戸線、京王線・新線・井の頭線、東急東横線・田園都市線、小田急小田原線が走り、首都高の他、甲州街道、青山通り・玉川通り、井ノ頭通り、明治通り、山手通り、外苑西通りほか多くの主要道路が走る。


23位 文京区 22万人

東京都区部に位置し、多くの台地と南部の神田川沿いの低地に分かれた区。1947年、小石川区と本郷区が合併して文京区が成立。地名は東京大学やお茶の水女子大学、東京教育大学(現・筑波大学)、東洋大学、拓殖大学など教育機関が多く所在していたことに由来。弥生町では1884年、「弥生時代」の名前の由来となる弥生町貝塚が発見されている。古くから一帯は武蔵国に属し、中世に上杉氏、戦国時代は後北条氏の支配に下る。旧本郷区湯島駒込など文京区東部を占め、(本郷にある小間物屋の)「かねやす(兼康)」までが江戸の内、と言われた。江戸時代初期から町屋となり、大名屋敷も多く建てられた。明治以降は加賀藩上屋敷跡に東京帝大が設置され、夏目漱石、樋口一葉、正岡子規ら多くの文人が居を構えた。旧小石川区は文京区西側の台地部分にあたり、区内を流れる小川(名前不明、現在は暗渠)に小石が多かったことが地名の由来。春日は三代将軍家光の乳母・春日局が、音羽は大奥の奥女中・音羽がその名の由来。江戸時代は武家屋敷が多く建ち、1722年に八代将軍吉宗が作った、無料の療養所である小石川養生所(現・小石川植物園)もあった。江戸初期に水戸藩上屋敷内に作られた小石川後楽園は今に続く名勝である。1937年には後楽園隣の旧東京砲兵工廠跡地に後楽園球場(現・東京ドーム)を建設。1955年には敷地内に後楽園遊園地も開場した。白山は大正時代以降、花街として栄える。区内に大繁華街はないが、湯島聖堂護国寺六義園など寺社仏閣、庭園が多い閑静な住宅街として知られる。東京メトロ丸ノ内線・南北線・有楽町線・千代田線、都営地下鉄三田線、大江戸線が走るが、区内にJRの駅は存在しない。首都高5号線の他、国道17号、目白通り、本郷通り、春日通り、外堀通りなどの主要道路が走る。


24位 荒川区 21万人

東京都北東部に位置し、日暮里駅周辺の台地を除き、全域が低地に属する区。江戸時代は、多くの寺社がある観光地の日暮里の他は区域のほとんど農村地帯だった。現・南千住駅近くには延べ20万人もの罪人が処刑されたという江戸三大刑場の一つ・小塚原刑場があり、跡地は延命寺と豊国山回向院になった。明治以降、官製千住製鉄所をはじめ、荒川(現・隅田川)の水運を利用した工場が多く建てられ、急速に工業地帯化が進展。1932年、北豊島郡南千住町、三河島町、尾久町、日暮里町が合併して東京市に編入され、荒川区が成立した。区名は区の北東を走る旧荒川にちなむが、1965年に荒川放水路を「荒川」と正式に改称し、旧荒川の正式名称を江戸時代以来再び「隅田川」としたため、荒川区は現在「荒川」と名の付く川には接していない。荒川区成立当時人口は30万ほどで、東京市内最大の人口を有する区であった。近年は南千住での大規模な再開発をはじめ、工場跡地などの再開発が進み、2000年代に人口が増加した。JR山手線・京浜東北線・常磐線・貨物支線、東京メトロ千代田線・日比谷線、京成本線、つくばエクスプレス、都電荒川線、日暮里・舎人ライナー、日光街道、明治通り、尾久橋通りなどが通る。


25位 西東京市 20万人

東京都中部の武蔵野台地に位置し、北で埼玉県新座市に接する市。2001年、田無市と保谷市が合併して西東京市が発足した。一帯は古くから武蔵国に属す。現市西部にあたる旧田無市は、江戸城造営のための木材輸送路として開通した青梅街道の宿場町、市場町として発展。「田無」の名の由来は、農民が宿場の旅館業に精を出し農耕がおろそかになったからというもの、台地上の乾いた土地で田んぼがなかったからというものなど諸説ある。明治維新後、韮山県、品川県、入間県、神奈川県に所属した後、1893年、東京府北多摩郡に移管される。1927年に西武鉄道村山線(現・西武新宿線)が開通したことで、東京都心のベッドタウンとして発展が始まった。戦前には大日本時計(シチズン)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨工業)などの工場が作られ、戦時中は航空機製造の一大地となった。戦後、工場跡地などに(旧・保谷市、現・東久留米市にまたがり)ひばりが丘団地が造成され、日本のマンモス団地ブームの先駆けとなった。1967年市制移行。現市東部にあたる旧保谷市は、江戸時代、保谷氏によって開拓され、玉川上水の分流・千川上水が引かれると、新田開発が進展。明治以降、品川県、入間県、熊谷県、埼玉県に属したあと、1907年に東京府北多摩郡に移管される。1915年、武蔵野鉄道武蔵野線(現・西武池袋線)保谷駅が開業。近郊農業が盛んで、鉄道を通じて農作物が都心に出荷された。戦後は都心のベッドタウンとして急速に発展し、1967年に市制移行。現市域内を西武池袋線・新宿線、青梅街道、新青梅街道、所沢街道、五日市街道、富士街道などが走る。


26位 台東区 19万人

東京都区部の北東部に位置する区。1947年、下谷(したや)区と浅草区が合併して台東区が成立した。一帯は古くから武蔵国豊島郡に属す。旧浅草区は台東区東部の隅田川に沿った細長い区域で、7世紀に建立された浅草寺が発祥。奈良時代には集落があったとされる、東京都区内で最も古い地域である。「浅草」の名の由来は、浅い草が茂っていたため、アイヌ語で「海を越す」という意、チベット語で「聖者のいる場所」の意等、様々な説がある。江戸時代に入ると千住宿に通じる奥州街道沿いに門前町が形成され、蔵前には米を貯蔵する蔵が立ち並んだ。1657年に明暦の大火で消失した日本橋葺屋町(現・人形町)の吉原遊郭が浅草日本堤に移転し、「新吉原」と称する江戸有数の盛り場となった。明治時代には東京府により浅草寺周辺に「浅草公園」が作られ、人口池(「瓢箪池」)周辺が街区として整備された。特に浅草公園六区は、見世物小屋などが集まる東京最大の歓楽街として発展。六区のシンボルであった展望塔の凌雲閣は、当時日本最高層の建築物だった。しかし1923年の関東大震災で凌雲閣は半壊し、また市街に国鉄が敷設されなかったことなどから浅草は衰退を始める。第二次大戦では空襲により浅草寺の大部分が消失。戦後、浅草公園は浅草寺に返却され、浅草寺は復興費用を得るため瓢箪池を埋め立て土地を売却した。高度成長期も新宿など東京副都心の発展などで浅草の相対的な衰退は続いたが、近年は観光地として盛り返しつつある。浅草北の山谷は明治期、吉原に客を運ぶ人力車夫や労働者が住む町で、戦後は被災者用の仮設宿泊所が多く集まっていたが、高度成長期の建築需要の増加に伴い、多くの日雇いの建設労働者が集まり宿泊する、日本有数の寄せ場となった。1878年成立の旧下谷区は台東区西部にあたり、上野の高台に対して低地に位置したことから「下谷(下屋)」の名がつけられたが、行政区分上の下谷区は台地上の上野、谷中等を含んだ。江戸時代以前は後北条氏の配下にあり、ほとんどが湿地帯であった。江戸時代、徳川家の菩提寺として上野に寛永寺が建立され、最盛期には現在の上野公園全域を含む、広大な敷地面積を誇った。明治以降、日本鉄道(現・東北本線)の開通(1883年)によって上野駅がその始発駅となると、上野は東京都心北東の玄関口として発展した。新幹線、JR山手線・京浜東北線・宇都宮線・高崎線・常磐線・総武本線、東京メトロ銀座線・日比谷線・千代田線、都営浅草線・大江戸線、京成本線、東武伊勢崎線、つくばエクスプレスなどの鉄道や、首都高1号上野線、国道4号、6号、言問通り、不忍通り、明治通り、中央通り、昭和通り、江戸通りなどの主要道が通る。


27位 小平市 19万人

東京都中央部、武蔵野台地上に位置する市。律令国家では武蔵国多摩郡に属す。旧石器時代の遺跡などいくつか残るものの、水源がほとんど無いため長らく人々が住み着かなかった。徳川家康の江戸入城により、江戸城築城のための資材を運ぶ道として青梅街道が作られる。1654年に水不足解消のため玉川上水が開削され、小川九郎兵衛が小川村を開いたことで集落が形成された。江戸時代を通じて新田開発が行われ、明治の廃藩置県でははじめ神奈川県に属した。1889年、周辺7村が合併し、平地が多かったことから「小川」の名に「平」を合わせた「小平村」が成立した。1893年に東京府編入。しかし明治以降も新田開発によって作られた集落がいくつか点在する農村地帯だった。1894年、川越鉄道(現・西武国分寺線)が開通。関東大震災後から宅地開発が始まり、昭和初期には西武新宿線、多摩湖線が開通。女子英学塾(現・津田塾大学)や陸軍経理学校などが設置されたが、本格的に発展するのは戦後になってからである。都心のベッドタウンとして、特に1960年代を通じて人口は約2.5倍に急増し、1962年に市制に移行した。西武新宿線・多摩湖線・国分寺線・拝島線、JR武蔵野線の鉄道線、青梅街道、新青梅街道、五日市街道、府中街道、立川通り、小金井街道ほか主要道路が走る。


28位 三鷹市 18万人

東京都中部に位置する市。古くは武蔵国多摩郡に属した。地名は江戸時代、幕府や徳川御三家の鷹場があったことにちなむ。1654年の玉川上水開削により新田開発が始まり、1657年の明暦の大火で被災した江戸・神田連雀町(現・神田須田町、神田淡路町)の住民が移住してきたことで集落が拡大した。現在も区内の「下連雀」「上連雀」という地名にその名残が見られる。廃藩置県では神奈川県北多摩郡に属し、1893年に東京府に編入された。1924年には東京天文台が完成。しばらく農村地帯だったが、関東大震災を機に都心の住民が移住したことで人口が増加。1930年に中央本線三鷹駅が開業し、1933年には京王井の頭線が開通したことで都市化が進展した。1941年に(府中市にまたがって)陸軍調布飛行場が完成し、1944年には中島飛行機三鷹研究所ができるなど、戦前戦中は軍都としても栄えた。戦後、三鷹研究所跡地に国際基督教大学が開学。都心のベッドタウンとして公団住宅が多く作られ、1950年代から1970年はじめにかけて、人口は3倍ほど増加した。(武蔵野市にまたがって)井の頭公園(1917年開園)が広がり、東京都心近郊の自然の多い住宅地として人気が高い。JR中央本線、京王井の頭線、甲州街道、連雀通り、人見街道、吉祥寺通り、三鷹通りなどが走る。


29位 日野市 18万人

東京都西部、多摩川の南岸に位置し、市の中央を多摩川支流の浅川が走る市。南部は台地で高低差があり、市内には自然が多く残る。地名は、中世の武士団・武蔵七党の一つ、西党の日奉(ひまつり)宗頼を祀った日野宮神社に因むというもの、のろし(烽火)が上げられた場所で「火野」が転じたとするもの、などその由来には諸説ある。関東三大不動の一つ、金剛寺高幡不動尊は8世紀ごろ建立と伝えられる。江戸時代初期、多摩川を渡る日野の渡しの拠点として、甲州街道日野宿が整備された。廃藩置県でもそのまま「日野宿」の名で神奈川県に編入。1893年に東京府に編入され、町制に移行し「日野町」となった。戦前より日野台地に工場が誘致され、特に1942年に独立した日野重工業(現・日野自動車の前身)は同市に本社を置く大企業の一つである。戦後、多摩平団地などの住宅団地が作られ、都心や八王子のベッドタウンとして人口が急増。1963年に市制に移行した。JR中央線、京王線・動物園線、多摩都市モノレール、中央自動車道、日野バイパス、甲州街道、川崎街道、新川崎街道、平山通り等が走る。


30位 立川市 18万人

東京都西部に位置し、南で多摩川に接する市。9世紀、現・立川駅南に諏訪神社が建立される。平安末期より武蔵七党の一つ、西党の日奉(ひまつり)氏の一族、立河氏が支配する。江戸時代、北部の砂川に玉川上水が引かれると新田開発が始まり、五日市街道沿いに集落が作られた。廃藩置県では神奈川県に属し、現市域はそれぞれ立川村、砂川村となり、1893年に東京府に移管。1889年に甲武鉄道(現・JR中央線)の立川駅が開業し、立川駅北東に1922年、陸軍飛行連帯の立川飛行場が作られると軍都として発展した。1940年、立川町が市制移行。第二次大戦後、立川飛行場は米軍に接収され、1956年には米軍基地拡張に反対する砂川闘争が起こった。1963年、砂川町が立川市に吸収され、現在の市域となる。1977年、米軍が横田基地に移転したのに伴い立川飛行場が日本に全面返還され、一部が自衛隊立川基地として引き継がれたほか、残りの部分が広大な国営昭和記念公園(昭島市にまたがる)や立川広域防災基地として整備された。立川駅北口の再開発も進み、立川駅は多摩地方最大の乗降客数を誇る商業中心地となっている。JR中央線・青梅線・南武線、西武鉄道拝島線、多摩都市モノレール、中央自動車道、五日市街道、立川通り、奥多摩街道、新奥多摩街道、甲州街道、芋窪街道などが走る。


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