東京都の都市(市区町村)・人口ランキングTOP50
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31位 中央区 16万人

東京都区部ほぼ中央に位置する区。1947年、日本橋区と京橋区が合併して成立した。古くは武蔵国豊島郡に属す。1887年成立の旧日本橋区は中央区北部にあたり、江戸時代、徳川家康が江戸入城とともに整備された地区である。1603年に日本橋が完成し、翌年、五街道の起点に定められた。日本橋から江戸橋にかけ魚河岸が整備され、1935年に築地市場に移転するまで賑わいを見せた。江戸初期から中期にかけ日本橋周辺に三井越後屋(現・三越日本橋本店)や白木屋(現・コレド日本橋)、大伝馬町に大丸の「江戸三大呉服店」が軒を連ね、日本の商業の中心地となった。現在の日本橋は1911年架橋されたもので、1964年の東京五輪前に橋上に首都高が架けられたが、2040年にかけ首都高の撤去を伴った一帯の大規模な再開発が計画されている。現在、日本銀行本店のある本石町は江戸時代、金吹所などがある「金座」と呼ばれていた。明治維新後の1871年、日本初の民間銀行・第一国立銀行(現・みずほ銀行の源流)が兜町に作られると、1878年には東京株式取引所(現・東京証券取引所)も設立され、兜町は日本金融の中心地となった。同じく1887年成立の旧京橋区は中央区南部にあたり、日本橋を出て京都に向かう際、最初に現れる橋であった(1959年埋立の京橋川に架かっていた)「京橋」が地名の由来。京橋南の現・銀座はもともと京橋とともに町人地だったが、1612年に駿府から銀座役所(貨幣鋳造所)が移転すると、以降当地は「銀座」と呼ばれるようになった(銀座役所そのものは1800年に日本橋蛎殻町に移転)。1872年の銀座大火により一帯は消失したが、その後大規模な区画整備が行われ、ロンドンのリージェント・ストリートを模した銀座煉瓦街が完成。それ以降日本橋を凌ぐ、東京有数の高級商業地区として発展していった。佃島(つくだじま)は大坂・摂津国の佃の漁民が移住した地で、佃煮の生産で知られた。 佃の石川島は江戸末期、ペリー来航に脅威を抱いた幕府が、水戸藩に命じて造船所(後の石川島播磨重工業、現・IHIの母体。造船所は1979年閉鎖)を作らせた地。月島や勝どきは明治以降工業用地として埋め立てられた地区だが、佃とともに1980年代以降、高層住宅が多く建てられ人口が急増している。JR総武快速線・京葉線、東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線・東西線・有楽町線・半蔵門線、都営浅草線・新宿線・大江戸線ら鉄道の他、複数の首都高、中央通り、江戸通り、外堀通り、昭和通り、京葉道路、晴海通り、東京高速道路など多くの主要道が走る。
32位 東村山市 15万人

東京都西部、多摩湖の東に位置し、北で埼玉県所沢市に接する市。武蔵七党の一つ・村山党の本拠地の東に位置することが市名の由来。古くは武蔵国多摩郡に属し、鎌倉時代には鎌倉街道上道が整備され、戦国時代は相模国後北条氏の領地となる。江戸時代は幕府直轄領、鷹場となり、久米川沿いの宿場町が栄えた。明治の廃藩置県では韮山県、品川県、神奈川県多摩郡に属したのち、1878年から1870年にかけて現市域がすべて東京府に変有された。雑木林の多いのどかな地域だったが、戦後食品工場などが進出し、1957年に久米川団地が建設されると東京都心のベッドタウンとして人口が急増。1964年に市制に移行した。西武新宿線・拝島線・国分寺線・多摩湖線・池袋線・西武園線・山口線、JR武蔵野線、所沢街道、新青梅街道、府中街道、志木街道などが走る。
33位 多摩市 14万人

東京都南西部、多摩丘陵の北端に位置し、北に多摩川が流れ、南で神奈川県川崎市に接する市。稲荷塚古墳、臼井塚古墳始め多くの古墳が残り、奈良時代は武蔵国多摩郡となる。武蔵国六所宮の一つである小野神社は、神話時代創立と伝わる。鎌倉時代、吉富と呼ばれていた地に関所(「霞ノ関」)が作られ、それ以来吉富は「関戸」と呼ばれるようになった。関戸は宿場町としても栄える。廃藩置県では神奈川県多摩郡に入り、1893年に東京府に移管。第二次大戦後も養蚕が盛んな農村地帯だったが、1960年代より東京都心の住宅不足解消のため、宅地建設が始まった。特に市制に移行した1971年に入居を開始した(稲城市、八王子市、町田市にまたがる)多摩ニュータウンの中心市となり、市域の6割をニュータウンが占めている。交通網も整備され、2000年には多摩都市モノレール線が多摩センター駅まで延伸した。モノレールの他、京王線・京王相模線、小田急多摩線の鉄道、鎌倉街道、野猿街道、川崎街道などの主要道路が走る。
34位 武蔵野市 14万人

東京都中部、武蔵野台地上に位置する市。1889年に周辺村落が合併して武蔵野村が成立した際は、台地名が村名の由来となった。古くから武蔵国多摩郡に属す。中心地・吉祥寺の名は、1657年の明暦の大火で焼き出された、神田駿河台の吉祥寺(現在は文京区本駒込に移転)門前の住民が、当地に移住してきたことに因む。江戸時代の新田開発による短冊地形が今も街路としてそのまま残っており、「吉祥寺」のみならず、「西窪(現・西久保)」、「関前」、「境」など、開拓者の出身地に由来する地名が付けられてる。廃藩置県では当初武蔵知県事下に入り、一部地域が品川県、入間県、神奈川県に属した後、1893年に東京府に移管。1889年に甲武鉄道(現・JR中央線)吉祥寺駅が完成するが、人口が増加するのは1923年の関東大震災後に都心の住民が多く移住してきてからである。1947年に市制施行。吉祥寺駅前の(三鷹市にまたがる)井の頭恩賜公園周辺は、人気の住宅街として知られている。JR中央線、京王井の頭線、西武多摩川線、吉祥寺通り、三鷹通り、五日市街道、井ノ頭通りなどが走る。
35位 青梅(おうめ)市 13万人

東京都西部、多摩川の上流域にある西多摩地域の中心市。中心地の青梅は、青梅街道の宿場町として発展。山間部では林業が盛んで、青梅街道を通じて江戸に木材が送り出された。織物の産地としても知られる。明治の廃藩置県では神奈川県西多摩郡などに属した後、1893年に東京府に移管された。1951年に市制移行。1970年代、工業団地が造成されると2000年にかけて人口が倍増し、山麓の古くからの宿場町・青梅に替わって、都心部に近く平地の多い東の河辺駅周辺での開発が進んだ。しかし2005年をピークに人口は減少を続けており、今後の予測でも2040年にかけ、多摩地区の市部ではもっとも人口が減少する自治体であるとする予測もある。JR青梅線、御岳登山鉄道、圏央道、青梅街道、滝山街道、奥多摩街道、新奥多摩街道などが走る。
36位 国分寺市 12万人

東京都中央部、武蔵野台地上にある市。奈良時代に作られた武蔵国分寺が市名の由来。7世紀以来、南にある武蔵国府(現・府中市)の宿場町・府中と当地は、東山道武蔵路で結ばれていた。太古の昔、多摩川によって侵食された国分寺崖線(通称「はけ」)が市南部に走るが、崖上が水に恵まれなかったため、武蔵国分寺とその周辺集落は崖下に形成された。江戸時代、崖上に玉川上水が開削され水利が向上すると新田開発が進展した。廃藩置県では神奈川県北多摩郡に属し、1893年に東京府に移管された。第二次大戦以降、都心のベッドタウンとして急速に発展し、1964年に市制に移行。現在も人口増加が続いている。JR中央本線・武蔵野線、西武国分寺線・多摩湖線、府中街道、五日市街道、国分寺街道、連雀通りなどが走る。
37位 小金井市 12万人

東京都中央部、武蔵野台地上にある市。国分寺断崖が市南部を走るが、その崖下の窪地で水が湧く井戸が「黄金の井」と呼ばれたことが地名の由来とされる。武蔵国多摩郡に属し、古くから崖下に集落が形成されたが、江戸時代に水利の悪い崖上に玉川上水が開削されると、本格的に新田開発が始まった。明治の廃藩置県では神奈川県に属し、1893年に東京府に移管。1926年の武蔵小金井駅完成後、宅地化が進展し、1970年には市内から水田が消滅した。1958年に市制移行。JR中央本線、西武鉄道多摩川線、五日市街道、小金井街道、新小金井街道、連雀通り、北大通りなどが走る。
38位 東久留米市 11万人

東京都中北部に位置し、北東で埼玉県新座市に接する市。当地は、市内をがなれる黒目(くろめ)川が転じて「久留米」と呼ばれていたが、1970年に市制に移行する際、先に福岡県に「久留米市」が存在していたため、「東」を付けた現市名に改称された。古くから黒目川の湧水地周辺に集落が形成され、約3万年前の下里本邑遺跡や神明山遺跡などが残る。江戸時代は尾張徳川家の鷹場などがある村落で、玉川上水から野火止(のびどめ)用水が分水されると新田開発が進んだ。明治維新後、はじめは神奈川県に属したが、1893年に東京府北多摩郡に移管。1915年に武蔵野鉄道(現・西武池袋線)東久留米駅が開設されるも、第二次大戦後まで雑木林などが広がる農村地帯で、北多摩郡では最も遅く1956年に町制に移行した。1960年代以降、東久留米団地、ひばりヶ丘団地(西東京市にまたがる)などが造成されてから人口が急増。1970年に市制に移行する直前は、「町」としては最も人口の最も多い自治体であった。西武池袋線、所沢街道、新所沢街道、新青梅街道、小金井街道などが走る。
39位 昭島市 11万人

東京都西部に位置し、南に多摩川が流れる市。1954年、昭和町と拝島村が合併して市制に移行した際、両町村から1字づつを取って「昭島市」とした。市西部にあたる旧拝島村は、10世紀、多摩川岸に流れ着いた大日如来像がお堂(現・大日堂)に安置され、村人の信仰の対象とされたことが村名の由来。1521年、多摩川を挟んだ南に滝山城(現・八王子市)が築城されると拝島にも町が形成されはじめ、江戸時代は奥多摩街道と日光脇往還の交わる拝島宿として栄えた。明治期から昭和初期にかけては養蚕が盛んだった。明治の廃藩置県では神奈川県に属した後、1893年に東京都に移管される。市東部にあたる旧昭和町(1928年に昭和天皇即位を記念して命名)は、1922年完成の立川飛行場が軍用に転換されると、軍需産業の中心地となった。戦後、軍需産業が衰え人口も減少したが、高度成長期に工場が多数誘致されると、宅地化が進行した。戦後、米軍に接収されていた立川飛行場が返還され、1983年、跡地が昭和記念公園(立川市にまたがる)として開園した。JR青梅線・八高線・五日市線、西武拝島線、東京環状線、奥多摩街道、新奥多摩街道などが走る。
40位 稲城市 9万人

東京都中南部に位置する市。北に多摩川が流れ、南の多摩丘陵で神奈川県川崎市に接する。中世より武蔵七党に属した稲毛氏に支配され、現地名も「稲毛」が転じたものであるという。武蔵国の府中(現・府中市)と相模国を結ぶ府中街道沿いに集落が形成され、鎌倉時代、多摩川岸の大丸には大丸城があった。明治の廃藩置県では神奈川県に属した後、1893年に東京府に移管される。戦前より東京第二陸軍造兵廠多摩製造所があり、戦後は米軍施設となった。長らく多摩川梨の産地として知られる農村地帯だったが、1970年に多摩市、八王子市に連なる多摩ニュータウンの一部として開発が始まり、1971年には市制に移行。稲城市の市制移行により、南多摩郡が消滅した。1974年に京王相模原線が通じ東京都心と直通すると人口が急増。大部分が川崎市に属するよみうりランド(1964年開園)入口に通じるゴンドラ駅は稲城市にあり、ランド内にも一部飛び地がある。JR南武線、京王相模原線、府中街道、川崎街道、鶴川街道などが走る。
41位 東大和市 8万人

東京都西部、狭山丘陵南麓に位置し、北で埼玉県所沢市に接する市。市北端に村山貯水池(多摩湖)がある。古くから空堀川岸に集落が作られ、武蔵七党の一つ・村山党の根拠地であった。江戸時代に青梅街道が作られ、野火止(のびどめ)用水が引かれると開墾が進み、また狭山茶の産地、養蚕地として知られた。明治の廃藩置県では神奈川県に属した後、1893年に東京府に移管。1919年に周辺6村が合併し、「大いに和する」の意味から「大和村」となる。戦前より日立航空機立川工場があり、戦後米軍に接収されたのち日本に返還され、現在跡地は工場や団地、公園などに転用されている。1950年に西武拝島線が開通し、工場が多く作られるようになると人口が急増した。1970年の市制移行時に、すでに神奈川県大和市があったことから、「東京の大和市」を意味する「東大和市」に改称した。西武拝島線、多摩都市モノレール線、青梅街道、新青梅街道、芋窪街道、志木街道などが通る。
42位 狛江(こまえ)市 8万人

東京都中南部に位置し、南で多摩川を挟んで神奈川県川崎市に接する市。多摩川岸には古くから集落が形成されていた。3世紀末ごろからのものと見られる、都内有数の狛江古墳群も残る。高句麗からの渡来人である高麗(こま)人が住んでいたことが地名の由来とされ、高麗人は多摩川の水を利用して麻作りを行っていた。明治期の廃藩置県で神奈川県に入った後、1893年に東京府に移管。1912年に多摩川が東京府と神奈川県の境界とされたため、多摩川対岸の狛江村の区域が神奈川県に編入された。明治まで農村地帯だったが、1927年に小田急小田原線が開通すると住宅地として発展。特に1960年代に人口が急増し、1970年に市制に移行した。小田急小田原線、世田谷通り、水道道路、狛江通りなどが走る。
43位 あきる野市 8万人

東京都中西部に位置し、西部に関東山地が聳え、多摩川と秋川に挟まれる市。1995年、秋川市と五日市町が合併し、あきる野市が誕生した。市東の旧秋川市は二宮神社で縄文土器が発掘されており、古くから集住していたことが確認されている。市西部にあたる旧五日市町は、その名の通り中世から5、10の日に市が開かれていた地で、江戸時代には江戸に奥多摩の木材を運び出すための輸送路として五日市街道が整備された。現市域は廃藩置県で神奈川県に属した後、1893年に東京府に移管された。1925年に五日市鉄道(現・JR五日市線)が開通するも第二次大戦後まで養蚕が盛んな農村だったが、旧秋川市側は高度成長期、ベッドタウンとして発展した。秋川渓谷や東京サマーランド(1970年開園)などが行楽地として有名である。JR五日市線、圏央道、五日市街道、滝山街道、秋川街道などが通る。
44位 国立(くにたち)市 7万人

東京都のほぼ中央に位置する市。古くから甲州街道沿いに集落が形成され、谷保(やぼ)村と呼ばれた。明治の廃藩置県で韮山県や神奈川県に属した後、1893年に東京府に移管。1889年に甲武鉄道(現・JR中央本線)が開通したが、甲州街道沿いの旧市街に配慮して、街道北部に鉄道が敷設された。関東大震災後、箱根土地(後のコクド、西武グループ)の堤康次郎が理想の学園都市建設を計画。神田から東京商科大学(現・一橋大学)を誘致し、1926年には箱根土地が街の中心に国立駅を建設して国鉄に譲渡した。駅名(「国立」)は国分寺と立川の中間に位置するという意味で名付けられ、1951年には自治体名となった。駅前の大学通りは一時、堤の拠点である軽井沢へ飛ぶ飛行機の滑走路として使用されていた。1952年には東京都で初めて、国立駅前一帯が文教地区に指定される。1967年市制移行。JR中央線・南武線、中央自動車道、甲州街道、日野バイパスなどが走る。
45位 清瀬市 7万人

東京都中部北端、埼玉県所沢市と新座市の間に突き出すように位置する市。平安時代以降に集住が始まり、武蔵七党の一つ・村山党の支配下にあった。志木街道沿いの集落として発展し、市(いち)も立っていた。現市域は明治の廃藩置県で武蔵知県事下、品川県、入間県、神奈川県などを経て、1893年に東京府に編入された。1931年、結核診療所である府立清瀬病院(現・国立病院機構東京病院)の設置以降、武蔵野の雑木林を開拓して多数の結核診療所が開設されるなど、清瀬は結核の療養地として知られた。第二次大戦以降、東京都心のベッドタウンとして人口が急増し、1970年に市制に移行した。西武池袋線、志木街道、小金井街道、新小金井街道、柳瀬川通りなどが走る。
46位 武蔵村山市 7万人

東京都西部、多摩湖の南西、狭山丘陵の南麓に位置し、北で埼玉県所沢市に接する市。中世の武士団、武蔵七党の一つ・村山党発祥の地で、その居館が置かれていた。青梅街道沿いに町が発達。明治の廃藩置県では韮山県、品川県、入間県、神奈川県に属した後、1893年に東京府に移管した。狭山茶の生産と養蚕が盛んで、村山大島紬が有名。1960年代より工場が進出し、人口も急増した。1917年の周辺村の合併で「村山村」と改名したが、1970年に市制に移行する際には山形県村山市がすでに存在していたため、「武蔵村山市」に改称している。市南西に米軍横田基地の一部が及んでいる。青梅街道、新青梅街道、江戸街道、武蔵村山立川線などの主要道路が走るが、市内には鉄道が通っていない。市の南を走る西武拝島線や、東を走る多摩都市モノレール線が市内からの最寄り線だが、2032年を目処に、東大和市から多摩都市モノレールが市内に延伸されることが決定している。
47位 千代田区 6万人

東京都区部の中心に位置する区。1947年に麹町区、神田区が合併して成立。一帯は武蔵国豊島郡に属し、区域は初期の江戸市内にあたる。区名は江戸城の別名「千代田城」に因むもの。1878年成立の旧麹町区は江戸城の外郭内に該当し、現在の皇居、丸の内、大手町、有楽町、日比谷、永田町といった、日本の政治経済の中枢機関が集まる地域である。平安末期、江戸重継が後の江戸城本丸あたりに居館を構える。江戸城完成以前は、武蔵国府中(現・府中市)に通じる古道(後の甲州街道)が、大手町から半蔵門を通過していたとされる。江戸氏没落の後、1457年に太田道灌が江戸城を築城。鎌倉時代は江戸城のすぐ南に品川湊(みなと)があり、六浦(神奈川県横浜市金沢区)を経由して幕府のある鎌倉に至る水陸路が通じていたとされる。後に上杉氏、後北条氏の居城となり、1590年に関東転封となった徳川家康の居城となった。当時江戸城は荒れ果て、大手門近くに100軒ほどの藁葺きの家があっただけだったという。江戸初期に天下普請が行われ、江戸城は巨大で豪華なものになったが、1657年の明暦の大火で天守はじめ城の多くの部分を焼失。資金を町の復興に充てるため天守は再建されず現在に至っている。江戸城西に位置する麹町(地名は古くから麴の産地だったことに因む)は、呉服屋・岩城桝屋が店を構えた商人地だったが、明治維新後商業地としては衰退。現在ではオフィス、高級住宅街とへと変化し、明治期より隣の隼人町に最高裁判所が所在している。1868年、明治維新で江戸城が無血開城し、同年京都より天皇が入城。日本の事実上の首都となり、翌年江戸は「東京」と改称した。同年、九段坂上に明治維新の殉難者を祀った東京招魂社(現・靖国神社)が創建される。丸の内は江戸時代以前は日比谷入江にあたるが、埋め立てられたのち大名屋敷が多く建てられた。明治維新後、屋敷跡は三菱に払い下げられ、ロンドン・ロンバード街に倣って丸の内に作られた赤煉瓦街は「一丁倫敦(いっちょうロンドン)」と呼ばれ、ほかに帝国劇場(1911年)、東京駅(1914年)、丸の内ビル(1923年)などが建てられた。有楽町には東京市役所(1898年完成。現・東京都庁、1991年に新宿へ移転)が置かれ、日本劇場(1933年完成)を中心とする劇場街、新聞社が多く本社を構える街としても知られた。同じく江戸時代の藩邸跡の大手町は、明治期に官庁街となるも、戦後の官庁の霞が関集約の方針に伴い民間に払い下げられ、高層ビルが立ち並ぶオフィス街へと変化した。永田町は明治初期に陸軍機関が置かれ、1936年に国会議事堂が完成すると、霞が関と合わせて日本政治の中枢となった。永田町の日枝神社(創立年不詳)は家康の入城以来、江戸城の鎮守である。旧神田区(1878年成立)は千代田区の北東部を占める地域。神田はもともと伊勢神宮の神田(かみだ)があった地で、8世紀、現在の大手町に神田明神が創建されたのち駿河台に移り、1616年に現在地に移転した。また日比谷入江の埋立は、神田にあった山を切り崩した土砂が使用されている。江戸時代は武家屋敷の多い地域だったが、それらは明治以後教育機関に転用され、都内有数の文教地区となった。世界最大規模とも言われる神田神保町の古書店街は、1913年の大火後、岩波茂雄が古書店(後の岩波書店)を開いたのが始まりで、近くに大学も多かったことから、古書街として大きく発展した。秋葉原は1869年の大火ののち火除け地(秋葉ヶ原)となり、秋葉神社も建立された。当初「あきばはら」と呼ばれていたが、国鉄の駅名が「あきはばら」となったことにより現在の呼び名が定着した。1928年には神田青果市場(1989年に大田区に移転)が完成。終戦直後に駅前に立っていた闇市が世界的な電気街へ発展し、現在ではサブカルチャーの聖地として多くの観光客を集める。東海道新幹線、東北・上越・山形・秋田・北陸新幹線、JR東海道線・横須賀線・山手線・京浜東北線・中央線・総武線・京葉線・上野東京ライン、東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線・東西線・千代田線・有楽町線・半蔵門線・南北線、都営三田線・新宿線・大江戸線、つくばエクスプレスの鉄道、首都高、桜田通り、六本木通り、甲州街道、昭和通り、青山通り、新宿通り、靖国通り、白山通り、晴海通り、日比谷通り、愛宕通り、永代通り、内堀通りほか主要道路が数多く走る。オフィス・商業施設が多いため夜間人口はわずか6万人だが、昼間人口は80万人以上にのぼる。
48位 福生(ふっさ)市 5万人

東京都西部に位置し、西に多摩川が流れる市。市名には麻の古語(「フサ」)由来説、アイヌ語由来説など数多あるが、いずれにしても「ふっさ」「ふっちゃ」「ふっつぁ」という音に、縁起の良い「福」と「生」の字が後から当てられたものである。古くは多摩十六郷の一つ・福生郷。江戸時代は徳川家の鷹場や旗本領となり、養蚕や酒造で知られていた。明治の廃藩置県では韮山県、品川県、神奈川県などに属し、1893年に東京府に移管。1940年、陸軍多摩飛行場が完成し、終戦後すぐに米軍横田基地として接収された。その後横田基地は拡張され、現在では市の面積の約3分の1ほどを占めている。米軍関係者が多く住み、人口の約4%が外国人(2014年)である。1970年に市制移行。JR青梅線・五日市線・八高線、西武拝島線、東京環状線、五日市街道、永田橋通り、奥多摩街道、新奥多摩街道などが走る。
49位 羽村(はむら)市 5万人

東京都西部に位置し、西に多摩川が流れる市。武蔵野の端(はし)を意味する「端村(はむら)」が転じて「羽村」と表記されるようになったと言われる。奈良時代より武蔵国多摩郡に属し、江戸初期に開削された玉川上水は、羽村市内で多摩川から分岐して始まる。養蚕が盛んな地だったが、戦後工場誘致が行われ人口が増加。1991年に市制に移行した。JR青梅線、西多摩産業道路、羽村街道、奥多摩街道、新奥多摩街道、水道道路、国道16号などが走る。市域の一部に米軍横田基地が及んでいる。
50位 西多摩郡瑞穂町 3万人

東京都西部に位置し、北で埼玉県入間市、東で所沢市に接する町。町域は狭山丘陵西部にあたり、市南部は米軍横田基地に占められている。古くから武蔵七党の一つ・村山党の地で、江戸時代は青梅街道と日光脇往還が交差する箱根ヶ崎が宿場町として栄え、新田開発も行われた。狭山茶や花卉(かき)栽培がさかん。JR八高線、国道16号、青梅街道、新青梅街道、羽村街道、岩蔵街道などが走っている。
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