世界の都市人口ランキングBEST100(行政単位別)
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31位 西安 (中国) 831万人

古くは中国古代の都・長安。西周、秦、漢、隋、唐など多くの国の王都となった。呼称も豊邑、鎬京、咸陽、長安、常安、大興、西京、大安、京兆、陝西、永興、安西、奉元と変遷する。隋唐代には人口100万を超える大都市となり、長安城は日本の平城京、平安京の築城にあたり強い影響を与えた。シルクロードの起点であり西域に近く、国際都市・政治の中心として長く栄えたが、宋代以降首都となることはなかった。清代に「西安」と呼ばれるようになり、現在に続いている。
32位 杭州 (中国) 787万人

中国・上海市の西、銭塘江の河口にある都市。隋代以降、北京と結ぶ大運河の南の終点として経済発展した。南宋時代は首都となり、人口124万人を要する当時世界最大の都市となった。世界遺産の西湖を有する中国八大古都の一つ。「上に天有れば、下に蘇州・杭州あり」と称えられ、マルコポーロが「世界で最も華やかな街」と記すなど風光明媚な都市として今も中国中から多くの観光客を集める。現在はハイテク都市としても有名で、中国の大手IT企業アリババの本社なども所在する。
33位 ボゴタ (コロンビア) 771万人

コロンビアの首都。アンデス山脈の盆地、標高2640メートルに位置しており、南アメリカ大陸でもラパス(ボリビア)とキト(エクアドル)に次いで3番目に標高の高い首都である。1991年に名称が「サンタ・フェ・デ・ボゴタ」に変わったが、再び現在の名称に戻る。この地域ではムイスカ族が大規模な首長制社会を形成していたが、1538年、スペイン人のゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサーダ率いる探検隊がたどりつき、植民都市サンタ・フェ・デ・ボゴタを建設した。1717年にスペインがヌエバ・グラナダ副王領を創設すると、ボゴタはその首府となる。スペインからの独立後、市名をボゴタへ変更。1920年代に工業が興り、次第に大都市として発展していった。戦後コロンビア内戦の舞台となるも1980年代以降、急激な経済成長と、麻薬カルテルの抗争から逃れた国内難民などで急速に人口が増加した。1990年代に世界で最も暴力的な都市であるとされ犯罪率の非常に高い都市であったが、その撲滅を目指しており、犯罪率は急減を続けている。
34位 ハイデラバード (インド) 767万人

インド中南部に位置する同国第6の都市。ムスリム系住民が多い。近くには古くからの都であったゴールコンダがあり、1518年のゴールコンダ王国成立後の首都であったが、5代目の王、ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーが、ハイダラーバードの南を流れるムーシー川周辺が豊かな緑に覆われた土地であることに目をつけ、王都に定めた。彼はこの新しい王都の名を、彼の愛した踊り子であるハイダル・マハルの名から「ハイダルの町」を意味する「ハイデラバード」に改めた。その後ニザーム王国成立後も王都となり、大いに近代化される。1947年のインド・パキスタン分離独立後、ムスリムであるニザーム藩王国はヒンドゥー教のインドに併合される事に否定的だったため、現状維持とする暫定協定を結ぶ。しかし、ムスリムのパキスタンへ飛び地独立することを警戒したインドは1948年、経済封鎖によりニザーム家を追いつめ、最後の藩王国はハイダラーバード州としてインドに強制併合された。同州はのち、インド政府初の言語圏基準による州境線を持つアーンドラ・プラデーシュ州として、州政府の権限を与えられている。近年、ITビジネスが牽引する経済発展が著しい。
35位 東莞 (中国) 745万人

中国・広東省、珠江デルタの北東部に位置する地級市。古くより「莞草」(イグサ)の産地で地名もそれにちなむ。水運の要地である虎門鎮を中心に街が形成され、アヘン戦争時には役人・林則徐が、英商人のアヘンを焼却処分した地として知られる。長らく現在の市域の多くは貧しい農村だったが、1980年代末に改革開放政策が取られてからは広州と深圳・香港の中間に位置する地理的な重要性から、香港、台湾、中国企業の工場が多く立地するようになった。特にパソコン部品は世界の供給拠点として重要な地位を占める。産業の発達により出稼ぎ労働者が急増し、それに伴い2010年代にかけ労働者を対象とした性風俗産業が発展。一説にはその規模は同市のGDPの10%に相当する500億元(約8500億円)にも達していたとも言われ、「性都」の異名を取るほどだったが、2014年に関連施設の一斉摘発が行われ性風俗産業は壊滅した。
36位 香港 (中国) 742万人

中国・香港特別行政区、通称「香港」。唐代より近隣の広州が貿易港として栄えたため、当地には屯門が置かれていた。アヘン戦争後イギリスの植民地となり、香港島、九龍半島が割譲、新界が99年の期限で租借された。第二次大戦期、一時日本に占領されるも、戦後再びイギリス統治に戻る。その後も中国大陸の内乱に乗じて難民が続々となだれ込み、軽工業が発展。1997年、新界の中国への返還に伴い、香港島と九龍半島も返還。英米法に基づく香港基本法の下で中国大陸とは異なる政治制度を有する。自由経済を特徴とする、ロンドン、ニューヨークと並ぶ金融センターであり、多くの欧米企業がアジア本社を構える。富裕人口が多い一方深刻な所得格差も存在する。山岳部や島嶼部に豊かな自然が残る反面、土地が不足し、超高層建築の集積率は世界で最も高い。世界有数の人口密集率は地価の過剰な高騰と、高度な公共交通機関網の発達をもたらした。GDPの8割をサービス産業が占め、金融業の他、外食産業や映画産業、観光業が発展。外国人旅行者数が世界一多い都市であるとする調査もある。公用語は「中文」と「英文」だが、実際は広東語が広く話される。
37位 仏山 (中国) 741万人

中国・広東省のほぼ中央に位置し、省都の広州市に隣接する地級市。古代は百越諸族の居住地であったが、前漢の武帝に南越国を滅されると中原に支配される。唐代に3体の銅の仏像が発掘され、近くに塔坡寺が建てられたことから「仏山」と改められた。また付近の仏教の中心地ということで「禅城」とも称される。明代は窯業が隆盛であり、仏山鎮は江西省の景徳鎮、湖北省の漢口鎮、河南省の朱仙鎮とともに中国四大名鎮に数えられていた。改革開放政策が実施されると香港やマカオに近接した立地条件もあり、仏山は珠江デルタ地帯の中心的な工業都市として発展。改革開放の初期に外資を導入した地域となり、1978年から2004年までに経済規模は50倍に増加し、その間の年平均経済成長率は16.6%にも達した。現在では中国の重要な輸出貿易工業の拠点であり、広州市を中心とする広仏経済圏の中心地である。
38位 瀋陽 (中国) 739万人

中国・遼寧省の省都。瀋陽の歴史は大変古く、7200年前には定住集落があったと言われる。しばらくは地域の一重要都市に過ぎなかったが、17世紀初め、満洲族のヌルハチが「後金」を建国。瀋陽を都城に定め、1634年には「盛京(満州語:ムクデン・ホトン)」と改称した。その後「清」と国号を改めた後金は明朝滅亡後の中国を支配し北京に遷都するが、盛京はその後も副都に位置づけられた。1903年には東清鉄道南満州支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年には「奉天会戦」の舞台となった。清朝滅亡後、瀋陽県と改称。その後1923年に「奉天」、1929年に再び「瀋陽」と改称される。1931年、この地で「柳条湖事件」が起こり、満州事変になだれ込んだ。日本占領の満州国時代は奉天に再度改称。日本は奉天を満州随一の重工業地帯として整備した。戦後瀋陽の名に戻る。2004年に、瀋陽故宮ならびに東陵、北陵などが世界遺産に登録された。
39位 蘇州 (中国) 707万人

中国・上海の北西、長江の南側にあり、太湖の東岸に位置する。古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、9つの古典庭園が世界遺産に登録されている。古来、北京と(蘇州の南に位置する)杭州とを結ぶ「京杭大運河」の通過地となると、江南の主要都市として栄えた。春秋時代に呉の都が置かれ、五代十国時代には呉越国の都となった。近郊の上海が発展して以降、その相対的地位は低下したが、今も南京と並び江蘇省の主要都市である。運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて「東洋のヴェニス」と呼ばれる。
40位 ホーチミン (ベトナム) 700万人

ベトナム南部に位置する同国最大の経済都市。古くからベトナムの経済的中心地として栄え、フランス統治時代の影響が残る街並みから「東洋のパリ」と呼ばれる。もともとはクメール人が住む「プレイノコール」という名の小さな漁村だったが、17世紀カンボジア王チェイ・チェッタ2世が、鄭阮戦争で発生した広南国からの難民を受け入れてから、この一帯はゆっくりとベトナム化した。その後同地はベトナム語で「ザーディン」と呼ばれ、19世紀フランス占領後は「サイゴン」と改称。開港し、仏領インドシナのもとで急速に発展した。第二次大戦後の仏のベトナム撤退後、新政府の首都となり、南北ベトナム分断時は南ベトナムの首都となる。1975年、サイゴン市内に北軍が進出し、南ベトナム政府が崩壊。統一共産ベトナム成立後、共産党指導者ホー・チ・ミンの名を冠したホーチミン市となり、首都は北部のハノイに移った。
41位 ダッカ (バングラデシュ) 697万人

バングラデシュ中央部に位置する、同国の政治・文化・経済活動の中心地であり、首都。当地が市街地化されたのは7世紀。8世紀は仏教王朝、9世紀からはヒンドゥー王朝がこの地を治める。12世紀、女神ダケーシュワリーを祀る寺院が建立されると、これにちなみ都市は「ダッカ」と呼ばれるようになる。17世紀、ムガル帝国時代に「ジャハーンギールナガル」の名でダッカは繁栄し、19世紀にはコルカタに次ぐベンガル地方第二の都市にまで発展した。戦後パキスタンとして独立後は東パキスタンの首都となり、バングラデシュとして独立以後も首都のザを引き継いだ。外資を呼び込み商業や貿易の拡大を図るも、急速な発展により世界一人口の増加が急激な都市となった。2013年の「世界で最も住みやすい都市」ランキングではワースト2位の評価を受ける。
42位 リオデジャネイロ (ブラジル) 677万人

ブラジル南東部に位置する、同国第2の人口を有する都市。都市周辺の美しい景観は世界遺産に登録されている。リオデジャネイロはポルトガル語で「1月の川」の意。中南米有数の貿易港でありブラジル経済の中心地。また、世界有数の観光地であり、ショーロ、ボサノヴァを生んだ音楽の都としても名高い。16世紀ポルトガルに発見され、18世紀、内陸のミナスジェライス州で金鉱が発見されると、近隣のリオは金の積出港となり、ブラジル植民地の交通と富の中心となった。のちに植民地の首府となり、ポルトガル宮廷がナポレオン軍を逃れてリオに移転した際にはポルトガル・ブラジル連合王国の首都となった。宮廷がリスボンに帰還後、ポルトガルが軍をブラジル統治のために送り込んだためブラジルは憤激し、独立派はリオに残っていた王太子ドン・ペドロを擁立してブラジル帝国の独立を宣言した。リオはブラジル帝国の首都となり、共和制移行後もその座を引き継いだ。戦後人口はサンパウロに抜かれ、1960年のブラジリア遷都により、首都の座も失った。2016年、南米初となる夏季オリンピックを開催した。
43位 ルアンダ (アンゴラ) 675万人
アフリカ南西部、太平洋に面するアンゴラの首都。天然の良港であり、主にコーヒーやダイヤモンドを輸出している。もともとは16世紀、ポルトガルによって造られた植民都市であり、その後オランダ西インド会社、ブラジル植民地軍によって支配される。そのことからブラジルとルアンダの結びつきは強く、19世紀、ブラジルがポルトガルから独立した際にはブラジル領に組み込まれようとする動きもあった。1961年アンゴラがポルトガルから独立すると、独立運動を支援したキューバ人が多く住むようになった。内戦終了後、豊富な天然鉱物があるアンゴラの首都として急成長し、世界中から投資が集まった。多くの外国人ビジネスマンも集まるようになったが、外国人向けの都市インフラが貧弱だったため、一部のホテルの宿泊費やマンション価格が上昇。ある調査で「海外駐在員にとって世界で最も生活費の高い都市」にランクされたこともある。
44位 バグダッド (イラク) 671万人

メソポタミア平原のほぼ中央、ティグリス川中流の河畔に位置するイラクの首都。紀元前3000年代のシュメール人の都市国家の時代から集落の存在が確認され、ハンムラビ王時代の紀元前1800年ごろの記録には「バグダドゥ」の名もあらわれる。7世紀、新興のイスラム教を信奉するアラブ人たちによって占領され、762年にアッバース朝によって計画都市として町が建設された。イスラム世界の学問・文化の中心地として発展を遂げ、唐の長安と並ぶ世界最大の都市となるも、13世紀のモンゴル軍の侵攻によって一時バグダッドは灰燼に帰した。その後、イルハン朝、ジャライル朝、ティムール朝、テュルク系の黒羊朝、白羊朝、サファヴィー朝、オスマン帝国などの支配に入る。1917年、英軍に占領されると1921年、「英委任統治領メソポタミア」が成立し、バグダッドはその首都となった。委任統治終了後のイラク王国でも首都となり現在に続くが、その後も数多くの戦争の舞台となった。2003年のイラク戦争でも米軍による空爆が行われた。その後連合国によって占領されていたが、2006年にイラク暫定政府が成立した後、2011年に米軍が完全撤退した。人口増加が著しく、2025年に人口806万人、2050年に1509万人、2075年に2439万人、2100年には3410万人の超巨大都市になるとの予測がある。
45位 哈爾浜(ハルビン) (中国) 654万人

中国東北部に位置する副省級市。漢代より様々な民族に管轄されるもこの地域一帯は森林地帯であった。本格的な開発が着手されたのは清代になってから。1898年、ロシア帝国により満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、交通の要衝としてロシア人を中心に人口が急増。1907年、清朝はハルビンを対外交易拠点とすることを決定し「浜江庁」を設置した。ロシアも同年、現市内の7,000k㎡の地域を市区と定め清朝に対抗したが、清が中華民国となりその支配が既成事実化するとロシアは撤退していった。満洲事変が勃発し、日本により満洲国が建国されるとハルビン特別市が成立。満洲からロシア・ヨーロッパ方面への鉄道輸送の要衝として発展し、1940年には人口が60万人に達した。満洲国崩壊後の国共内戦の結果、共産党が1946年にハルビンの支配権を獲得するとハルビン特別市政府を設立。1954年、省の合併により黒龍江省に移管され、現在に至っている。
46位 アフマダーバード (インド) 635万人

インド西部に位置する同国第7の都市。インドにおいては比較的イスラム教徒やジャイナ教徒が多い地域である。15世紀、デリー・スルタン朝から独立したグジャラート・スルタン朝ニ代目の王・アフマド・シャー1世が、森林地帯だったこの地に王都として町を作り、王の名にちなみ都市名を「アフマダーバード」とした。16世紀にムガル帝国に支配されてからは、繊維製品をヨーロッパに輸出する貿易港として栄える。19世紀、イギリス東インド会社が支配。1930年にイギリス支配に抵抗したガンディーの「塩の行進」もこの街が出発点となるなど、ガンディーゆかりの地であり、彼の博物館も建てられている。2017年、市街地が「歴史的都市アフマダーバード」として世界遺産に登録された。
47位 サンティアゴ (チリ) 626万人

正式名称サンティアゴ・デ・チレ 、通称「サンティアゴ」は、チリ中央・アンデス山麓の標高520mの高地盆地に位置する同国の首都。16世紀、スペインによって町が建設され、19世紀の独立戦争後チリ共和国の首都となった。1879年から1884年まで、鉱物資源である硝石を巡りボリビア、ペルー、チリの間で「硝石戦争」が勃発し、チリが勝利。ペルー、ボリビアから獲得した領土より産出される硝石によって国は南米随一の強国に成長し、それに伴い首都サンティアゴも発展した。1985年に地震が発生し、中心部の歴史的建造物が破壊される。1990年、首都機能をサンティアゴに残したまま、国会議事堂が約120km離れたバルパライソに移転した。
48位 大連 (中国) 580万人

中国の東海岸、遼東半島の最南端に位置する副省級市。魏晋の時代より「三山」、「三山浦」、「三山海口」、「青泥窪口」などと呼ばれてきた。「大連」と呼ばれるのは19世紀末、清が大連湾に砲台を築き町が形成されてからである。日清戦争後の1898年、仏独露による日本に対する三国干渉の結果、ロシアは日本が放棄した大連や旅順を含む遼東半島南東部を租借。大連はロシア語で「遠い」を意味する「ダルニー」と改称された。ダルニーはロシアにとって貴重な不凍港であったため、(シベリア鉄道と繋がる)東清鉄道の終着駅を設置した。その後パリをモデルにした都市づくりが進められるが、本格的に発展するのは日本占領後である。1905年、日露戦争により当地を獲得した日本は都市名を「大連」に戻しインフラ整備を進め、大連駅を始めとした現在に続く旧市街の街並みをほぼ完成させた。1930年代には満州国の主要貿易港となり、人口も60万人を超える。太平洋大戦末期、ソ連の対日参戦によりソ連が大連を支配したが、ようやく1951年になって中国に返還。そのため大連は戦後の国共内戦を逃れている。一時旅順と合併し「旅大」と改称するも、1981年に現在の名前に戻る。1990年代の改革開放経済のもと目覚ましい発展を遂げ、特に1984年に設置された「大連経済技術開発区」には日本企業が多く進出するなど、現在も日本との繋がりが深い。
49位 青島 (中国) 576万人

中国・山東省、山東半島の南の付け根に位置する港湾都市。歴史的に山東半島の港は半島北部に集中し、南に位置する青島は辺鄙な漁村に過ぎなかった。街の発展は、国防上の観点からこの地に海軍の軍事施設が建設された清代末期からである。1898年、日清戦争後の仏独露の三国干渉のどさくさに紛れて、ドイツが清から99年間の期限で港を租借。ドイツはこの地を極東における本拠地とした。青島はドイツのモデル植民地として整備され、今なお西洋風の町並みや青島ビールなどにドイツ文化の名残が見て取れる。第一次大戦で日本がドイツからこの地を奪取するも1922年に中国に返還。しかし1937年の日中戦争により再び日本の支配に下る。第二次大戦後、一時米軍司令部の所在地となった。1984年に対外開放され、近代的な港湾都市として発展した。現在も中国の海洋産業の中心都市であり、国家歴史文化名城に指定された海岸観光地としても有名である。
50位 シンガポール (シンガポール) 568万人

マレー半島南端に位置する都市国家シンガポールの、唯一の自治体ならびに建前上の首都。同島嶼には2世紀に定住が始まり、12世紀、スマトラ島の王族がこの地に「シンガ・プラ」と呼ばれるの町を建設した。貿易船の寄港地として栄えるも、14世紀、ジャワ島の王族に滅ぼされた後は荒廃した島だった。町が発展するのは、1819年にイギリスの植民地行政官がトーマス・ラッフルズがジョホール王国からの許可を得て、イギリス東インド会社の交易所を設立してからである。1824年、英国は同島の主権を取得。1826年にはシンガポールは英国の海峡植民地の1つになり、人口が加速度的に増大した。第二次世界大戦中は日本に占領され、戦後英国領に復帰。英国自治領を経て、1963年に英国からの独立したマレーシア連邦に編入。しかしマレー人優遇政策をとるマレーシア政府と華人の多いシンガポールが対立したため、1965年にマレーシアから「シンガポール共和国」として独立。それ以来、シンガポールは急速な発展を遂げ、韓国、台湾、香港と並ぶ「アジア四小龍」の1角と言われた。東南アジアにおける貿易、交通及び金融の中心地の一つであり、世界第7位、アジアではトップの一人当りの名目GDPを記録する、世界有数の富裕国家である。
51位 バンコク (タイ) 566万人

タイ中南部に位置する同王国の首都。1782年にラーマ1世が、それまでの首都トンブリーからチャオプラヤー川対岸の当地に首都を移したことに始まる。王宮の周囲には運河が掘られ、ラッタナーコーシン島と呼ばれる人工の島が作られた。この島の中には王に許された者のみ住むことが出来た。建国当初は島内のみがバンコクの中心として機能していたが、タイの経済発展と共に市街地は東へ延びていく。1972年には、市域拡大が進みバンコク市政府の負担になっていたノンタブリー県、サムットプラーカーン県、パトゥムターニー県が分離。一方で1975年にはかつての首都だったトンブリー県がバンコクに吸収されている。「バンコク」は主に外国人が使う俗称で、儀式的正式名称は「イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヴァカルマン神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都」と大変長く、タイ国民は冒頭の部分だけを抜き出して「クルンテープマハナコーン」もしくは「クルンテープ」と呼ぶことが多い。
52位 鄭州 (中国) 553万人

中国中部、華北平原の西端に位置する。殷代は首都ともなった、3500年の歴史を有する国家歴史文化名城であり、中国八大古都の一つである。隋代より「鄭州」と呼ばれる。歴史上たびたび黄河の水害を受け、経済はあまり発展しなかった。日中戦争時の1938年には、侵攻する日本軍から撤退を図る国民党軍が日本軍を撒くために黄河の堤防を破壊したため大氾濫が起き、鄭州は被災者1250万人、死者89万人の大被害を被った。20世紀始めに東西を貫く鉄道の隴海線、南北を貫く京広線が建設され、鄭州はその交差点となったため経済がようやく発展を始めた。2001年からは旧市街の東部に人口150万人規模の新都市・鄭東地区を建設している。
53位 済南 (中国) 553万人

中国・北京の南、山東省の西部に位置する副省級市。市中を黄河が流れ、豊かな自然と歴史資源を持つ国家歴史文化名城である。いわゆる黄河文明の中心であったと言われ、現在の市街の下には殷の時代のものと思われる古代の都市跡が埋まっている。周代から繁栄し、西晋時代に仏教が広まると仏教の中心地の一つとなった。北宋時代には詩や書画などが盛んな文化の都として知られる。商業都市でもあり、近代以降は日本人をはじめ多くの外国商人が居住した。改革開放後も商工業都市として成長している。
54位 サンクトペテルブルク (ロシア) 538万人

ロシア北東に位置するバルト海に面する都市で、人口100万人を超える都市としては世界最北にある。フィンランドの首都ヘルシンキとエストニアの首都タリンとは、バルト海を囲んでそれぞれ約300kmほどの距離で近接している。大北方戦争でスウェーデンから獲得した沼地に、ピョートル大帝によって1703年から建造が始められた計画都市であり、「北のヴェネチア」とも呼ばれる美しい街並みが広がる。1713年から1917年まで帝政ロシアの首都。18世紀には科学アカデミーやエルミタージュ美術館が作られ、文化の中心地となった。「サンクトペテルブルク」はドイツ風の呼び名であるが、ドイツとの戦争中はロシア風に「ペトログラード」、ソビエト成立後は「レニングラード」と呼ばれ、ソ連崩壊後に現市名に戻った。ソ連時代、首都は国境から遠いモスクワに移され、現在はロシア第二の都市として栄えている。
55位 アレキサンドリア (エジプト) 522万人

カイロに次ぐエジプト第2の都市。紀元前332年に作られた、マケドニア国王アレクサンドロス3世がオリエント各地に自らの名を冠して建設したギリシア風都市の第一号であった。ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄える。多くの哲学者、数学者、神学者が活躍したが、641年にはイスラムの武将アムル・イブン・アル=アースにより陥落され、イスラム世界に組み込まれる。アラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため経済的に沈滞したが、学芸の都としての性格は残り、古代ギリシア・ローマ文明にイスラム文明がミックスしたアラビア科学揺籃の地のひとつとなった。やがてインドの香辛料を求めてヴェネツィア商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。16世紀に(アフリカ南端を回る)インド洋航路が開拓されると再び衰え始めるが、19世紀、ムハンマド・アリーの近代化改革の一環で、綿花が輸出商品としてナイルデルタで大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市として三たび繁栄を始める。現在では化学産業なども進出し、エジプト屈指の経済・工業都市として発展を続けている。
56位 リヤド (サウジアラビア) 518万人

サウジアラビア中央に位置する同国の首都。18世紀、現在のサウジアラビア王国に続くサウード王国の支配下に入る。19世紀、ライバルのラシード家ジャバル・シャンマル王国の下に入るも、20世紀初頭にサウード家がリヤドを奪還。1932年、統一サウジアラビア王国の首都となった。当時は小都市であったが、第二次大戦後、サウジで発見された油田の資金が流入するようになると都市は急成長し、アラビア半島最大の都市となった。
57位 プネー (インド) 505万人

インド西部・ムンバイの南のデカン高原に位置する同国第8の都市。高原にあるため、富裕層の避暑地として発達した。街の40%が緑に覆われるなどインドでもっとも緑化された街の一つであり、また同国で最も安全な都市とも言われている。教育・研究の中心地であり、またベンガルールと並び同国最大のIT産業の集積地でもある。
58位 アンカラ (トルコ) 503万人

トルコ中央部に位置する同国の首都。フリュギア時代の「アンキュラ」が現在のアンカラ旧市街の始まりである。アンキュラは紀元前189年、ローマ帝国に占領されて「アンゴラ」となり、大劇場、大浴場、神殿、などが整備された。1073年にムスリムのセルジューク朝によって支配された後、1356年にオスマン帝国の配下に入る。20世紀に入り衰退化したオスマン帝国が崩壊し、1923年にイスラム初の世俗国家として「トルコ共和国」が成立。それまで帝国の首都だったイスタンブールを宗教的中心地として守るため、共和国の新首都は地方の小都市にすぎなかったアンカラに移された。遷都により人口が急増したため、アナトリア半島中央部に位置する旧市街のウルス地区が手狭となったため都市整備計画が定められ、国際コンペで優勝したドイツ人都市計画家ヘルマン・ヤンセンの計画により1932年から新市街イェニシェヒル地区の建設が開始された。現在アンカラは経済的にも成長を遂げ、イスタンブールに次ぐトルコ第2の都市に発展している。
59位 ヤンゴン (ミャンマー) 472万人

ヤンゴンはミャンマーの都市。6世紀、低地ビルマを支配していたモン族によって「ダゴン」の名で創設。1755年、アラウンパヤー王がダゴンを征服し「戦いの終わり」を意味する「ヤンゴン」と改名した。19世紀、三度にわたるイギリスとビルマによる英緬戦争の結果英国の支配下に入り、「ラングーン」と改称され英国領ビルマの首都となる。英国は軍の技師・アレクサンダー・フレーザーの設計に基づき、バズンダウン川の東側およびヤンゴン川の南側と東側に接するデルタ地帯に新都市を建設した。植民地時代のヤンゴンは広大な公園や湖、近代的な建物と伝統的な木造建築の融合が見られる「東の庭園都市」と呼ばれ、社会的インフラではロンドンと肩を並べるほどの都市となった。また当時ヤンゴンの人口におけるビルマ人の割合はわずか約1/3であり、インド人を中心とした外国人の集まる国際都市でもあった。第二次大戦中は日本により占領され、連合国軍の空襲を受ける。戦後再び英領に戻り、1948年に英国から独立したビルマ連邦でも首都を引き継いだ。1988年のクーデターにより政権を掌握した軍事政権は2006年、首都をネピドーに移すも、ヤンゴンはミャンマー経済の中心地としてその地位を維持している。
60位 長沙 (中国) 471万人

中国内陸部の華中地域、洞庭湖の南に位置する都市。長江中流では最も古い歴史をもつ国家歴史文化名城である。古代から水陸交通の要衝であり、現在は北京と広州を結ぶ京広鉄道沿線に都市が広がっている。春秋戦国時代に楚国の地として歴史に現れる。秦代には「臨湘」と呼ばれ、北方とは異なる華中華南文化の中心として栄えた。日清戦争後の下関条約で開港させられたが、貿易港としては発展せず、現在では中国内陸の工業都市として成長を続けている。1972年に紀元前2世紀の馬王堆漢墓が発掘され、古代史を伝える遺跡として注目が集まった。
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