奈良県の都市・人口ランキングTOP10
奈良県の都市の人口ランキングです。
奈良県 人口 : 134万人 (2021年)
1位 奈良市 35万人
奈良県北部の奈良盆地に位置する、同県の県庁所在地。710年、元明天皇が藤原京からこの地に「平城京」として遷都し、日本の中心地となったことで歴史に名を現す。唐の都・長安を模して、東西4.3km、南北4.8kmの都城が築かれ、最盛期には20万人ほどの人口を擁する大都市となった。784年に長岡京に遷都されると都は田畑に帰したが、寺社仏閣は残り、東大寺や興福寺、春日大社の門前町が「奈良町」として栄えた。「奈良」の名は、盆地の平らな地形から派生した「均(なら)す」の語が由来であると言われる。室町時代には墨や刀剣、扇子などの生産が盛んだったが、江戸時代中期には観光都市としての性格が強くなった。明治時代、廃仏毀釈運動などにより奈良町は一時停滞。廃藩置県で誕生した奈良県の県庁所在地となるが、その後奈良県は堺県と合併。さらに堺県ごと大阪府に編入されたが、1877年に奈良県として分離独立し、再び県庁所在地となった。第二次大戦中は空襲を免れたため、天平文化の史跡旧跡が多く残り、「古都奈良の文化財」として8つの史跡・自然がユネスコの世界遺産に登録されている。現在では大阪のベッドタウンでもある。
2位 橿原(かしはら)市 12万人
奈良県北西部、奈良盆地南部に位置する市。「大和三山」である天香久(あまのかぐ)山、耳成(みみなし)山、畝傍(うねび)山に囲まれる。神武天皇が大和を平定し、畝傍山麓に橿原宮を建立。694年には天武天皇により、唐風の都城である藤原京が作られ、710年に平城京に遷都されるまで日本の中心だった。明治新政府による国家神道成立の過程で、建国の地として橿原が権威付けられ、1890年、畝傍山の神武天皇陵の南に、神武天皇と皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命を祀る橿原神宮が創建された。JR桜井線と近鉄大阪線、南大阪線、橿原線が乗り入れる交通の要衝で、戦後は大阪や奈良のベッドタウンとして人口が増加した。
3位 生駒市 11万人
奈良県北西端に位置し、西と北で大阪府、北西で京都府に接する市。生駒山地東斜面を市域とする。長らく寒村だったが、室町時代には現在も全国一の生産を誇る茶道具・茶筅(ちゃせん)の製造が盛んになった。江戸時代、生駒山中腹に宝山寺が作られ、その門前町となる。1914年に大阪とを結ぶ、当時日本最長の複線トンネルだった生駒トンネルが完成し、大阪電気軌道(元・近鉄奈良線)が完成すると、大阪のベッドタウンとして急速に都市化した。1964年にはより大型の新生駒トンネルが開通し、鉄道車両が大型化し交通の便が向上したこともあり、人口が急増した。
4位 大和郡山市 8万人
奈良県北西部、奈良盆地北西部に位置する市。 古くは東大寺の所領地だった。1162年に郡山城が築城され、16世紀、豊臣秀吉の弟・羽柴秀長によって普請が行われた。江戸時代、城主は目まぐるしく替わったが、1724年、柳沢氏が転封し15万石の城下町となった。江戸時代に始まった金魚の養殖は現在も盛ん。
5位 香芝(かしば)市 7万人
奈良県北西部に位置し、西で大阪府に接する市、市西部は二上山(にじょうさん)、東部は奈良盆地に属する。古くは興福寺(現・奈良市)の荘園で、二上山の金剛砂の採掘が盛んだった。現在もその砂を利用した紙やすりが市内で生産されている。JR和歌山線、近鉄大阪線・南大阪線、などが通る交通の要衝で、大阪のベッドタウンとして人口増加が続いている。
6位 天理市 6万人
奈良県北部に位置する市。神話時代に建立された日本最古の神宮とも言われる石上(いそのかみ)神宮が市内に所在する。古くから上(かみ)街道の宿場町、市場町として発展。中山みきを教祖として1838年に生まれた天理教の本部が1881年にこの地に置かれると、町は天理教を中心とした宗教都市となった。現在でも神殿や病院、大学、信徒宿泊所など市域の半分近くを天理教関連の施設が占め、市民の4分の1程が天理教徒であると言われる。1954年、3町3村が合併して市制に移行する際には、日本で初めて宗教名が自治体名として使用された。教団としては市長や市議会議員などに候補者を擁立しておらず、市政との直接の関わりは持っていないが、イベントや土地利用の協議などで市と教団は協力関係にある。また、宗教法人であるため非課税法人ではあるが、教団として天理市に寄付金を納めており、これらは天理市の貴重な財政源となっている。
7位 大和高田市 6万人
奈良県北西部に位置する市。神話時代建立と伝わる石園座多久虫玉(いわぞのにいますたくむしたま)神社(通称・竜王宮)が市内に所在する。古代は葛下郡賀美郷に属していたとされ、飛鳥時代に作られた、奈良盆地を東西に横切る横大路が市内を貫いている。大阪方面から長谷寺(現・桜井市)や伊勢神宮に参詣する順路にあたり、宿場町として栄えた。戦国時代に当麻(たいま)氏が高田城を築城。1600年に専立(せんりゅう)寺が建立され、寺内町が形成された。江戸時代は大和木綿を産し、また市場町として賑わう。明治期には紡績工場が作られ工業都市となった。1948年の市制移行時、当地は「高田」と呼ばれていたが、新潟県高田市(現・上越市)がすでに存在していたため、旧国名である「大和」をつけ「大和高田市」となった。戦後より1990年代なかばごろまで、大阪のベッドタウンとして人口増加が続いた。
8位 桜井市 5万人
奈良県北部に位置する市。大和朝廷の中心だったと考えられる地で、多くの古墳が残る。日本最古の神社の一つと言われる大神(おおみわ)神社が鎮座し、奈良時代には大和国と伊勢国を結ぶ初瀬街道(伊勢街道)沿いの初瀬山中腹に、真言宗豊山派の総本山・長谷寺が作られ、今もそれらの重要な史跡が多く残っている。近世は吉野山で採れた木材を集散する市場町として栄え、製材業は現在も盛んである。JR西日本桜井線、近鉄大阪線が交差する鉄道交通の要衝で、大阪のベッドタウンとして2000年ごろまで人口増加が続いた。
9位 葛城市 3万人
奈良県北西部、奈良盆地の南西部、金剛山地の東斜面に位置する市。2004年、新庄町と當麻(たいま)町が合併し、葛城市が誕生した。県内でも有数の古墳が多く残る地域である。古くより、大阪と奈良を結ぶ、日本最古の官道とも言われる丹比道(たじひみち、のちの竹内街道)が走る。7世紀、当麻寺の寺領となり、大化の改新(645年)以降、白鳳文化がこの地で花開いた。室町時代、二上山城が築かれ、江戸時代は新庄藩の陣屋町、武内街道の宿場町となった。大阪のベッドタウンとして、戦後より一貫して人口が増加している。
10位 北葛城郡広陵町 3万人
奈良県北西部に位置する町。東部の百済地区は百済人の渡来した地であるとされ、鎌倉時代建立の百済寺が残る。農村地帯で米や麦のほか全国有数の靴下生産地である。1980年代以降、隣の香芝市に跨って「真美ヶ丘ニュータウン」が造成され、人口は増加傾向が続いている。『竹取物語』ゆかりの神社であると言われる讃岐神社が町内に鎮座する。
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